第74話 皇帝と皇女

『魔器が使えぬと申すか?』

『はい、陛下。ディアステネス軍の通心、それに探知・索敵の魔器は私の保有するものを除いて全て使い物にならなくなりました。ただ旧式の魔道具は使えます。現在はディアステネス軍全体から魔道具を集めかろうじて司令部と各師団の間の通心は保たれております』


 本当に司令部と各師団の間、だけなのだ。師団から大隊、大隊から中隊という魔器で網の目のように張り巡らされていた通心網はもはや構築できない。辛うじてディアステネス上将の手駒である第2師団だけが大隊までの通心が可能になっている。

 しかし通心の質は悪い。魔器を使い慣れた魔法士にはもどかしい。帝国軍が魔器を使い始めて10年、若い魔法士には旧式の魔道具を使った経験さえ無い者もいた。

 魔器と旧式の魔道具では伝える情報の質、量、速度が比較にならない。イフリキアの魔器の性能に魅せられて帝国軍は全面的に魔器の使用に移行していたのだ。それが裏目に出た。魔器の性能を前提にした作戦行動は不可能だった。


『信じ難いが、そういう魔法を王国軍が持っているというのだな』

『はい、陛下。アリサベル師団に属する少数の魔法士の仕業と考えておりますが……』


 ディアステネス軍に唯一残ったドミティア皇女の魔器を使って、ガイウス7世とドミティア皇女が直接に通心していた。魔法士を介すると、どんなに口の硬い魔法士であっても何かの拍子にか皇族同士の通心内容が漏れるかもしれなかった。皇族はガイウス大帝に繋がる血を持っているだけあって、ほぼ全員が通心の魔法を使うことが出来た。だから秘匿度の高い通心は直接行うのが普通だった。人払いをした豪奢な専用天幕の中でガイウス7世の側にいるのは魔法院の総裁で皇女の父であるカルロ・フェリケリウス・ルファイエだけだった。ドミティア皇女の側にはディアステネス上将さえもいなかった。


 側に控えて2人の通心をモニターしていたカルロ・ルファイエがガイウス7世に発言の許可を求めた。ガイウス7世が頷くのを待って、


『ドミティア、なぜお前の魔器が使えるのだ?ファルコスの魔器も壊れたといったではないか』


 言われて始めてその事実に気づいたように、ドミティア皇女は手に持った魔器を見た。


――本当に何故、この魔器は壊れなかったのだろう?--――


『分かりません。イフリキア様が守ってくださったのかも……。イフリキア様が自ら作られた魔器ですから』

「イフリキア!?」 


 その名を聞いてガイウス7世が大きな声を出した。まるで得心がいったように拳を握って頷いた。カルロ・ルファイエに向かって、


「あやつに息子がいたな?」

「陛下、はい、確かにそのように記憶しております」


 カルロ・ルファイエはそう言ったが、忘れるはずはなかった。息子を人質にイフリキアに協力をさせていたのだ。イフリキアが仕事をしていたのは魔法院だった。いや、魔法院に閉じ込められていたと言っても良かった。だから、息子と一緒に暮らしたいというイフリキアからの要望を直接受けるのは、いつもカルロ・ルファイエだった。最初の内こそその要望を皇帝に伝えていたが、ガイウス7世が登極して以降は殆どそんなことはしなくなっていた。ガイウス7世が嫌な顔をして、全く相手にしなかったからだ。それでもイフリキアからは何回も要望が出ていたのだ。皇帝に直接お願いをしたいというイフリキアの言葉は言を左右して聞き流した。


 ガイウス7世の顔が冷たくなり、声が低くなった。


「イフリキアが死んだとき、その息子も始末しろと命じた」


 カルロ・ルファイエにとってもドミティア・ルファイエにとってもこれは初耳だった。全ての情報を皇家に属する者が共有するわけではない。特に暗部が絡むようなことはそうだ。


「陛下?」


 カルロはそう呼びかけ、ドミティアはガイウス7世の言葉に思わず息を飲んだ。しかし、先帝がイフリキアと渡り人の間にできた子供をどう評したかを知っているカルロ・ルファイエにとっては、ガイウス7世のその決断は理解できるものだった。その子は、イフリキアがいなくなれば帝国の不安定要因にしかならない存在だった。フェリケリア大神聖帝国の再統一を目指しているガイウス7世にとっては放置できない案件だというのがカルロ・ルファイエの考えだった。


「だが、逃げられた。そして、捜索に出したデクティス・セルモアがアンジエーム近辺で消息を絶ったと聞いた」


 そう言えば、デクティスが失敗したらしいと聞いて、続けてアンジエームに派遣した暗部の男達も帰ってこなかった。王国侵攻の準備にかまけてそれ以上の手を打たなかったことをガイウス7世は初めて後悔した。

 ドミティア皇女は再度息を飲んだ。暗部の手を逃れたというのも、近衛で一番の腕と言われたデクティス・セルモアを斃したというのも信じられない事だった。


『きっとそやつだ。イフリキアの作った魔器だけを破壊したのだ。何か魔器について我々の知らない事を知っているに違いない。どういう伝手でアリサベル師団に潜り込んだのかは分からぬが……。王国のあの魔法学の水準で魔器を破壊するなどということができるとは信じられんからな』


 アンジエームを陥としたとき、王国魔法院も徹底的に調査した。大量の資料を押収し、帝国魔法院で精査・分析した。その結果から言えば、ドミティア皇女のもたらした情報――帝国軍の魔器の作動を妨害し、魔器そのものも破壊することができる――は、王国魔法院の魔法研究の水準からは到底信じられないほどかけ離れていた。


『ドミティア!』


 ガイウス7世の声が厳しくなった。


『はい』

『アリサベル師団の動きに特に注意を払え。イフリキアの息子は外見がイフリキアにそっくりだと報告を受けている。アリサベル師団と接触したときはそんな者がいないかよく確かめろ』


 そのためにはドミティア皇女は前線近くに出なければならないかもしれない。それは皇女の安全に影響する。それが分かっていてもガイウス7世の命令に躊躇いはなかった。皇女の身を危険にさらしても確かめなければならないことだった。


『はい』


 ドミティア皇女にも危険性は十分に分かっていた。アリサベル師団には遠くから士官や魔法士を斃す魔法があるという。しかし命令に従う以外の選択肢などあるはずもなかった。


『ディアステネスに伝えろ、あと3日もあれば合流できる。それまで守りに徹しろ。下手な動きはするなとな』

『はい、畏まりました。そのように伝えます。それで、陛下……』

『まだ何かあるのか?』

『この魔法士は多分、少数で身軽に動いていると思われます』

『それで?』

『ひょっとしたら東へ向かっているかもしれません』


 ガイウス7世が率いる帝国軍の魔器を破壊するために。


『可能性はあるな』

『僭越ですが、くれぐれもご油断なきよう』

『そち達のような油断はせぬ。こちらへ来るなら好都合、始末してくれよう』


 強がりではなかった。警戒網を厳重にして捕捉できれば、少数の魔法士など殲滅できる、とガイウス7世は思っていた。


『差し出がましいことを申しました。ご容赦ください』

『よい』

『それでは陛下、お待ち申しております』

『うむ。そち達と合流すれば王国軍の倍の戦力になる。小賢しく動き回っているイフリキアの息子共々さっさと片付けるぞ』

『失礼いたします』


 通心が切れた。ガイウス7世はカルロ・ルファイエ魔法院総裁に向かって、


「ジーオ・ルサルミエ上級魔法士長を呼べ、ドミティアの言ったことは一理ある。陣営の周りの警戒体勢を強化する必要があろう」


 このときはまだ、ガイウス7世は事態がそれ程に深刻だとは思っていなかったのだ。




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