第72話 魔器破壊
ドミティア皇女はふっと目を覚ました。体感的にはまだ夜明けには多少の間がある。目を開ける。胸に妙な不安がわだかまっている。草臥れきった体も、短時間でも寝ることができた所為で少しは回復している。
昨夜は生き残った第6師団の魔法士から事情聴取をした後、ディアステネス軍の魔法士から魔道具を集めたのだ。17個の魔道具が集まった。私用での、魔器を使った通心が禁止されているためもあって、通心の魔道具が殆どだったが、探査ができるものも2個あった。ディアステネス軍に500人はいる魔法士にわずか17個の魔道具、しかも使い慣れている魔器よりも性能が劣る。とても今の通心連絡網とは比べるべくもない貧弱な連絡網しか作れないが”ないよりまし“だった。
魔器や魔道具無しでもなんとか通心出来る魔法士を加えて30人の通心網を作って実際に動かしてみた。”本当にこんなことが必要なのか?”と不満顔の魔法士達をルファイエ家の権威を振りかざしてやらせてみたのだ。ファルコス上級魔法士長から各師団の上級魔法士長に、そして上級魔法士長から僅かな数の大隊付き魔法士長へ、魔器を使った通心とは比べものにはならなくても、なんとかディアステネス軍の布陣している陣地内の粗い通心網を作り上げた。第6師団の惨状を聞くと、いきなり通心網が切断されるという事態だけは避けたかった。
――第6師団の通心網を切断できたのならディアステネス軍全ての通心網を切断できる手段を、アリサベル師団は持っている可能性がある――
その思いがドミティア皇女を突き動かしていた。
子供の玩具のような通心網だったが、ないよりましと思うしかなかった。アリサベル師団は僅か半日行程の所にいる。明日には対峙することになるだろう。
――第6師団のように丸裸にされるわけではない、それにディアステネス上将は戦上手だ――
いくら言い聞かせてものしかかってくるような不安は払拭されなかった。寝るときにも灯している薄明かりの中でドミティア皇女はしばらく目を開けていたが、やがて上体を起こした。枕元の水を取ろうと手を伸ばしたとき、――水入れの横に置いてあった魔器の表面をでたらめに魔力が奔り始めた。
皇女は思わず手を引っ込めた。しばらく魔器を見つめていたが魔力が奔っている以外に何も起こらない。恐る恐る魔器を手にとって、自分の魔力を流して制御しようとした。皇女の魔力も通ったがでたらめに奔る魔力は制御できなかった。
――そうだ、こんなことをしている場合ではない――
皇女の天幕の周りも騒がしくなってきている。
――自分の魔器だけがこんなふうになっているわけではない。おそらく陣地中の魔器に同じ事が起こっている!――
皇女は手早く軍装に着替え、身支度をした。小さな鏡を覗き込んで顔を確かめる。寝不足で目が充血しているが皇女の威厳を損なうほどではない。相変わらずでたらめに魔力が奔っている魔器を掴むと司令部の天幕に行くために自分の天幕を出た。
天幕の外にはもうレザノフ百人長が待機していた。硬い表情で口を噤んだまま司令部天幕に急ぐ皇女を、レザノフ百人長と4人の近衛兵が囲むように護衛して司令部に着いた。入り口を守っていた衛兵が皇女を視認して姿勢を正し、敬礼した。護衛の兵を外に残して皇女は司令部天幕の入り口をくぐった。
天幕内には既にディアステネス上将、ファルコス上級魔法士長以下、司令部要員の大半が集まっていた。ファルコス上級魔法士長が入ってきた皇女を見、次いでその手に握られている魔器を見た。でたらめに魔力が奔っている魔器に一瞬、失望の表情を浮かべ、直ぐにそれを消した。
「殿下」
ファルコス上級魔法士長の呼びかけに、要員達と何か話していたディアステネス上将も皇女が来たことに気づいて振り返った。
「殿下の魔器もコントロールできませんか?」
「そうね、魔力を通してみたけれど変わらないわね」
「殿下の魔力量であればひょっとしたらと思ったのですが」
「あなたの魔力でもだめだったの?」
ディアステネス軍の中でファルコス上級魔法士長はドミティア皇女と並ぶ魔力量を持っていた。また魔法士として長く活動している分、魔力操作に関してはドミティア皇女に比べても一日の長があった。ファルコス上級魔法士長は力なく首を振った。
「どのようにやってみてもコントロールできません」
こんな頼りなさそうな顔をしているファルコス上級魔法士長を見るのは初めてだった。いつも自信満々の顔をしているのだ。その自信を裏付ける実力も持っている。
「ディアステネス上将」
「はい、殿下」
「敵襲なの?」
不思議だった。魔器を妨害しているのだから敵がすぐ側にいるはずだった。だのに陣地内は比較的静かで、闘いを思わせるような音は聞こえてなかった。
「敵が近くにいることは確かですが、少なくとも戦闘にはなっていません」
探知・索敵の魔法が使えなくても、ディアステネス上将は歴戦の将官だった。例え何も聞こえなくても兵達が命をかけて戦っている気配を見逃す筈はなかった。
いきなり司令部天幕内が眩しい光に照らされた。悲鳴を上げて、ファルコス上級魔法士長の補佐に付いていた魔法士の一人が眼を押さえてしゃがみ込んだ。地面をただの球体に変わった魔器が転がった。表面の法陣紋様は最早何の光も発していなかった。
「一体これは……?」
ディアステネス上将のつぶやきに、
「第6師団の魔法士が言っていたわ。魔器が活動を停止するときに眩しく光るって」
ドミティア皇女の言葉を待っていたかのように、もう一人の補佐に付いていた魔法士が持っていた魔器が光った。思わず眼を瞑ってもさらに眼を手で覆いたくなるような眩しさだった。
ファルコス上級魔法士長が慌てたように手に持っていた魔器を天幕中央に設置されている机の上に置いた。ドミティア皇女は自分の魔器を見た。魔力が法陣紋様に沿って奔っている。通常使っているときと比べると方向も速度もでたらめだったが、それは美しいと言って良い輝きだった。机の上に置かれたファルコス上級魔法士長の魔器に比べると魔力の奔り方がスムーズで、魔力がぶつかったときも滞りなくすれ違っているように見えた。ファルコス上級魔法士長の魔器は奔る速度にむらがあり、ぶつかったときに一瞬停滞し、奔る魔力が太くなったり細くなったりしているように見えた。そんなことを感じているのは皇女だけだったが。
「なんだか……」
ドミティア皇女がファルコス上級魔法士長の魔器の一部に魔力の溜まりを見たとき、――ファルコス上級魔法士長の魔器が眩しい光を発して活動を止めた。ドミティア皇女も目が眩んでしばらく何も見えなくなった。まだよく見えないまま、
「ファルコス上級魔法士長!」
「は、はい!」
常にないドミティア皇女の声の鋭さにファルコス上級魔法士長が思わず姿勢を正して返事した。
「探査の魔道具があったわね」
ディアステネス軍を浚って集めた魔道具の中に探査にも使える魔道具が2つあった。その一つをファルコス上級魔法士長が持っていた。
「はい!」
「直ぐに陣地の周囲を探査しなさい。1個師団が展開しているなら、古い魔導具ででもかなりの距離まで分かるでしょう」
「はい」
魔器に比べれば性能は劣る、しかしファルコス上級魔法士長にとっては長い軍歴の間に使い慣れた魔道具だった。ドミティア皇女に言われて懸命に集中して帝国軍の周囲を探索した。1個師団もの兵が展開していれば、ファルコス上級魔法士長なら1里以上の距離で探査できる。しかし、
「何も引っかかってきません。少なくとも1個大隊を越える敵は近くにはいません」
ファルコス上級魔法士長の言葉に明らかな安堵感が司令部天幕内に広がった。しかし、同時に納得できない思いもあった。
ディアステネス軍全体の魔法士の魔器を無効化して、王国軍はそれ以上のことはしてこないのか?第6師団の時は魔器の無効化と同時に王国軍の攻撃が始まったのに。
「アリサベル師団はいないようですな、近くには」
ディアステネス上将が言った。
「考えてみれば夜中に1個師団を動かすのは難しいものです。灯りを付けると遠くからでも視認できるし、灯りを付けないと、いかに主要街道のクインターナ街道とは言え多人数の兵が迅速に動けるものではありませんからな。おそらく少数の魔法士と護衛の兵だけで来ているのでしょうな」
「魔器を壊しに来ただけだと言うの?ディアステネス上将」
「今の状況からはそう考えざるを得ませんな」
「周りを捜索したら見つかるかも……、いいえ、無理ね。魔器が使えないのに、暗闇の中で王国軍の魔法士を見付けるなんて」
「殿下」
横からファルコス上級魔法士長が口を出した。
「殿下の魔器が正常に戻っていますぞ」
「えっ?」
言われて握っていた魔器を見た。狂ったように法陣紋様の上を奔っていた魔力がいつの間にか消えていた。いつものように紋様が淡く浮き出ては消えるというサイクルを繰り返している。ドミティア皇女は恐る恐る魔力を通してみた。ドミティア皇女の魔器は正常に起動した。
ほぼ1刻の間、魔器に対する妨害が続けられていた。それが終わった後、調べてみると無事に残ったのはドミティア皇女の魔器だけだった。このときドミティア皇女は知らなかったが、あのでたらめな魔力の奔りに耐えられたのは、彼女が持つ魔器がイフリキアの自作の魔器だった所為だ。特に魔導銀線の精度が違った。イフリキアの紡いだ魔導銀線は魔力の通導が均一、スムーズで、わだかまった魔力溜まりができなかった。だから妨害の魔器が切られたとき、直ぐに元の状態に戻ることができたのだ。
ディアステネス軍は性能の劣る、しかも数の少ない魔道具に通心と探査・索敵を委ねる事態に陥った。
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