第71話 壊れた魔器 2

 自分たちに割り当てられた天幕で、レフ達は戦場に遺棄された帝国軍の魔器を調べていた。中心にいるのはレフとジェシカだったが、シエンヌとアニエスも魔器を手に取っており、アリサベル王女が興味深そうな顔で横から覗いている。

 通心の魔器も探知・索敵の魔器も、直径4デファルの球形の土台に魔導銀線を埋め込むように貼り付けて紋様を描いている。それはレフとジェシカが作る魔器と同様だった。しかしレフの目の前に無造作に並べられた魔器は、どれも魔導銀線の紋様の一部が跡形もなく消えていた。紋様を埋め込んであった土台の溝は残っているから、ガラスが溶けるほどの熱が出たわけではない。紋様が消えているところはどれも精々が直径0.5デファルほどの円形をしていた。特定の紋様が消えるのではなく、場所は魔器によってまちまちだった。レフがいくつか順に魔器を取り上げて、残っている紋様に指を当ててなぞりながら魔力の通りを調べた。同じことをジェシカもしている。


「魔導銀線の紡ぎ方が粗雑だな。太さは辛うじて均一にしてあるが、魔力通導が均一ではない。だから一部で魔力の流れが阻害され、そこに堪った魔力が許容量の10倍に達すると消滅するわけだ」


 レフの説明にジェシカがうんうんと頷いていた。

 魔導銀が消滅するときに眩しい光を発する。王国親衛隊の候補生と戦ったときや、デクティスと戦ったときにレフが利用した魔導銀の性質だった。


「帝国の陣地内のあちこちで光ったのはこんなことが起こっていたからだな」


 実のところレフはこんな効果を期待していなかった。イフリキアが仕掛けたバックドアを利用すれば魔器の作動を阻害することは可能だと思っていたが、魔器を破壊するまでの効果があるとは思ってなかったのだ。レフが思っていた以上に帝国軍の魔器は脆弱な造りだった。


「これならジェシカの紡ぐ魔導銀線の方が100倍もましだな」


 レフの言葉にジェシカが嬉しそうに微笑んだ。ジェシカ自身も帝国で作られた魔器と、レフの指導で自分が作った魔器の差に驚いていた。帝国魔法院にいた頃は精緻な(あの頃のジェシカにはそう見えた)魔器を作る魔法士に憧れさえ持っていたのだ。もちろんイフリキアが別格だと言うことは、当時の経験の浅いジェシカにも一目で分かった。


「修理はできるの?」


 アリサベル王女の問いに、


「いいえ殿下、壊れている面積が広いし、一見まともに見える所も魔力の通導が不安定になっていますから、直すのは無理ですね。新しく作った方が早いくらいです」

「つまり、貴方とシエンヌで魔器を壊せば帝国軍は修理できない。そうなれば通心も索敵もできない帝国軍を相手にすればいいわけよね。今日の戦いのように」

「上手くやれば魔器は使えなくできるでしょう。でも通心や探知・索敵の魔法そのものを使えなくするわけではありませんよ」

「でも、こいつを使えなくすることができれば」


 アリサベル王女は壊れた魔器を一つ手にとって目の高さに持ってきた。帝国軍が王国軍に対して圧倒的な優位を持っていた理由の一つが潰れたわけだ。


「王国軍は少なくとも互角には戦えるわ」


 いや、今まで頼り切っていた魔器が使えなくなるのだ。心理的には互角以下になるだろう。


「それに」


 アリサベル王女が顔をほころばせた。


「レフとシエンヌが妨害の魔器にかかり切りにならずに済めば、作戦の柔軟性が増すわ」


 魔器を壊すなんてことがなければ、レフとシエンヌは戦いの間ずっと妨害の魔器を作動させ続けておかなければならない。一定時間魔器を作動させれば帝国軍の魔器が破壊されるのであれば、その後、レフとシエンヌは手が離れて他のことができる。それはアリサベル師団にとって大きなメリットだった。なんと言っても2人の戦闘力はアリサベル師団の中で群を抜いていた。




「貴君には騎兵の指揮を外れてもらう」


 同じ頃、アリサベル師団の司令部天幕でイクルシーブ准将が リッセガルド千人長に言い渡していた。准将の前には、リッセガルド千人長が唇を噛んでプルプル震える両手を握りしめて立っていた。


「理由は分かると思うが、表向きは貴君から体調不良で指揮官を辞退してきたことにしておく」


 リッセガルド千人長の手の震えが酷くなった。

 海軍と陸軍は仲が悪い。イクルシーブ准将は成り行きで、どちらかというと陸軍寄りのアリサベル師団の指揮を執ることになったが、陸軍特有の騎兵には気を遣っていた。この処分も言わばそうした気遣いから出た中途半端なものだった。

 師団として処遇されるようになれば師団内の論功行賞には独自の判断が認められる。騎兵の突出が遅かった所為で帝国軍の包囲が中途半端になって、その多くを脱出させてしまった。これはこの戦いに加わっていた士官達なら誰でも感じていることだった。指揮のミスであれば当然、何らかの処分は必要だ。イクルシーブ准将が陸軍の出身ならもっと厳しい処分を下しただろう。しかし、いずれはアリサベル師団の司令官から海軍に戻されることを覚悟しているイクルシーブ准将には、陸軍出身者との関係をさらに悪化させる可能性のある処分はできなかった。イクルシーブ准将が元からの将官であれば、あるいは海軍司令部の要員であれば、陸軍との関係悪化など気にしなかったかもしれない。これ以上少々悪化したところでそれがどうした、と彼らは考えるのだ。しかし上級千人長で、しかも現場指揮官だったイクルシーブ准将は海軍の最上層部のそんな雰囲気など知らなかった。


「も、もう一度、機会を、ください」


 リッセガルド千人長が言葉を絞り出した。


「次回は、……次回は必ず!」


 ほとんど土下座しかねない勢いだった。准将に昇格する前は上級千人長だったイクルシーブとリッセガルドはほぼ同格だったのだ。陸軍の中でも特に気位の高い騎兵将校が、海軍士官に頭を下げている。自分が陸軍の同格の士官に頭を下げられるか?その思いがイクルシーブを頷かせた。


「分かった」

「ありがとう、ございます」


 勝ち戦の中で論功行賞は甘々だった。この処分もまた、その甘々の判断の一つだった。だが同時にイクルシーブ准将は騎兵に多くを期待することを止めた。




 アリサベル師団の中で小さな組織替えがあった。カジェッロの領軍がアンドレを頭にしてレフ支隊に組み込まれた。丁度、中隊規模になったレフ支隊の、アンドレはストダイックと並んで副長扱いだった。また百人長に昇格したイアン・カルドースの率いる中隊が、レフの要請に最優先で応じる遊撃隊になった。


「2人とも良いのか?レフ支隊など不正規のアリサベル師団の中のさらに不正規の集団だぞ」


 2人を前にしたレフの質問に、


「俺はもともと傭兵だったんだ。国軍の中での出世になんか興味はないな。それにカジェッロの領軍兵はこの戦が終わったら領へ帰さなければいけないからな、あいつらだって国軍で出世なんて考えてないだろう」


 非公式の場ではアンドレは気安い口をきく。レフも別にそれを咎めることはなかった。


「百人長にまでなれば十分ですよ。長いこと十人長でくすぶっていましたからね。それにこの戦の鍵はレフ殿とその仲間が握っていそうだと見当を付けていますからな、すぐ側で見たいものです」


 カルドース百人長はもう少し改まった言葉遣いになる。それでも例えばイクルシーブ准将に対する言葉遣いよりずっと砕けた口調だった。


 2人の答えにレフは肩をすくめただけだった。自分が動かせる兵が200人になればかなりの荒技ができると思いながら。もちろん下準備はいるが。






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