第70話 クインターナ街道の戦い 3

 ディアステネス上将はやっと空が白みかけているかという頃に従兵に起こされた。夜遅くまで仕事に追われてやっと床について2刻と言った頃合いだった。


「ファルコス上級魔法士長殿がみえています」


 そう言われて目を開けたが、


「顔を洗う水を持ってこい」


 冷たい水で顔を洗わなければとても目を開け続けているわけには行きそうもなかった。ディアステネス上将の個人用天幕にファルコス上級魔法士長が入ってきたとき上将は顔をタオルで拭いていた。少しは目がさえただろう。


「なんだ?」


 と訊かれてファルコス上級魔法士長が、


「王国軍、アリサベル旅団が……」


 帝国軍ではまだアリサベル旅団と呼ばれることの方が多かった。


「攻撃しはじめたか、第6師団を?」


 予想されたことだった。2日前に第6師団の前に布陣したのだ。そろそろ動く頃だと考えていた。


「はい」

「こんな早朝から始めたか、勤勉なことだ。それで戦況はどうなのだ?」


 そう訊かれてファルコス上級魔法士長は困惑を顔に浮かべた。


「それが……」


 ファルコス上級魔法士長の歯切れの悪さに、寝不足のディアステネス上将がいらついた口調で、


「どうしたというのだ?」

「戦況が不明です」

「何だと?」

「第6師団の魔法士と通心が出来ません」

「通心出来ない?」

「はい」

「どういうこと?」


 丁度天幕に入ってきたドミティア皇女が訊いた。ただならぬ様子でファルコス上級魔法士長がディアステネス上将の天幕に入っていくのを、皇女の護衛兵が見ていたのだ。ディアステネス上将は一瞬苦い顔をし、ファルコス上級魔法士長はドミティア皇女に向かって敬礼した。


「あっ、殿下。実は第6師団の魔法士との常時通心が切れたのです」


 例えば通信している最中に心臓発作でも起こして急死すれば通心は途切れる。そういうことかと皇女は考えた。


「第6師団には100人以上の魔法士がいるわ。常時通心の担当魔法士との通心が切れたら他の魔法士にきりかえたらどう?」

「試みました。しかしどの魔法士とも繋がりません」


 ドミティア皇女が眉を寄せた。聞いたことのない、そして考えられない事態だった。


「それなら何故第6師団が攻撃されていると分かったのだ?」


 ディアステネス上将の問いに、


「第6師団の戦いを検分するために出した魔法士からの報告です」

「第6師団以外の魔法士なら繋がるの?」

「はい、ただし、10人の内3人だけです」

「残りの7人は繋がらないのか?」

「はい、うんともすんともいいません」

「どういうことなのかしらね」

「殿下にはこんな現象を聞き及ばれたことがございませんでしょうか?なんと言ってもルファイエ家の出でいらっしゃいますし」


 ドミティア皇女は首を振った。


「とにかく戦況が知りたい。通心の繋がっている魔法士共はなんと言っているのだ?」

「戦況については分からないと……。かなり離れているので戦っていることは分かってもどちらが勝っているかまでは分からないと言っています」

「分かるところまで近づかせろ。堅固な陣を築いているのだそうそう後れを取るとは思えないが」

「はい、ではそのように伝えます」

「ちょっと待って!」

「何か?殿下」

「近づけた魔法士の通心が切れたら繋がっていたところまで戻るように言いなさい。ひょっとしたら通心をキャンセルするような魔法があるのかもしれない。ただそんな魔法があれば有効範囲があるはずよ」


 ドミティア皇女はかってイフリキアと交わした言葉を想い出していた。魔法を攻撃に使えないのかと訊いたときだった。




“剣や弓で攻撃されるのを魔法で防ぐ事は出来ないわ。でも魔法を邪魔することは出来るの。魔力量に大きな差があるときだけだけれどね”

“どういうことですか?—“

“例えば、あなたと私がこんなに近くにいて、これだけ魔力量に差があれば、私はあなたの、通心をキャンセルすることが出来るのよ”

“えっ?“

“誰かと通心してごらんなさい。誰でも良いわ”


 そう言われてドミティアは短杖を手に持って――当時はまだイフリキアが通心用の魔器を完成してなかった――父と通心しようとした。娘に甘い父は特別な用事がなく通心しても怒らないだろうし、同じ魔法院の中にいるから簡単に通心出来る事が分かっていたからだ。しかしいくらドミティアが通心しようとしても繋がらなかった。


“ねっ。駄目でしょう”


 そう言ってイフリキアは悪戯っぽく笑ったのだった。


“でもね”


 イフリキアがそう言ったとたん、


『なんだ、ドミティアどうした?』


 父と通心が繋がった。

 ちょっと声を聞きたくなっただけだと適当にごまかして、――そう言われて父は嬉しそうに笑ったが――通心を切った。


“2ファルも離れると出来ないのだけれどね”





 その時イフリキアはそう言ったのだ。成長途上の子供相手にして、あのイフリキア様でさえ2ファルが限度だった通心の阻害を、1個師団まるまるをカバーする範囲でやっている。ドミティア皇女にとって悪夢のような現実だった。


「ディアステネス上将」


 思わず上将に声をかけていた。


「はい、殿下」

「この前言ったこと、訂正するわ。王国の、アリサベル師団の魔法士は危険すぎる。機会があれば排除しておいた方が良いわ」

「味方にするのではなく、と言うことですな」

「そうよ、味方に出来るかどうか分からないし、こんな危険な魔法を使うなら排除しておいた方が良いわ」

「分かりました。そのように通達しましょう」


 この魔法士、あるいは魔法士達は危険すぎる。一人なのか複数なのか、男なのか女なのか分からないが、例え一旦味方になったとしても味方であり続けるか分からない。不確定要素が多すぎる強い力は排除しておく方が良い。


「援軍はださないの?」


 通心が阻害されているなら第6師団は苦戦しているだろう。特にアリサベル旅団が師団規模になって戦力が拮抗しているのだから。

 通心が出来なければ兵を自在に動かすことも出来ない。軍の通心、あるいは探知・索敵に魔器が使用されるようになって以前とは比べものにならないほどその有効距離と精度が上がった。士官は魔法士の魔器を使った探知・索敵の魔法によって得られた敵・味方の情報をもとに味方の動きを決め、それを通心で命令するようになった。前線の兵達はその命令を受けて動くことに慣れてしまった。命令が届かなくなる事態など考えられていなかった。魔法士は分厚く守られた後方にいることが普通だったのだから。命令が届かなくなれば自分の判断で動くしかない。しかしその動きは友軍と同調したものではなくなる。結果遊兵ができて戦力のバランスが崩れる可能性が大きい。


「難しいですな」


 ディアステネス上将はロッソルの方を見やった。


「ロッソルの市壁の向こうで王国軍が活発に動いているという報告があります。我々が1個師団でも援軍に割けば動き出すでしょう」


 多少人数が少なくても王国軍に後れを取るとはディアステネス上将は考えていなかった。しかし、エスカーディアを放置して、ガイウス7世が直々に率いている帝国軍主力が西進している。合流すればアリサベル王女の手勢を加えた王国軍より遙かに多くなる。指揮は当然ガイウス7世が取る、つまり花を持たせることが出来る。それを考えたら万一の事態は避けるべきだ。まして、第6師団を攻撃している王国軍が帝国の知らない魔法を使っているとなればなおさらだ。


「それなら第6師団を撤退させるというのは?このままでは第6師団が戦力にならなくなるわ」

「交戦中の軍を上手く退かせるのは名人芸を要します。下手をすると背中を撃たれて全滅です」


 ドミティア皇女も士官学校出だ、それくらいのことは分かる。


「ガルブス下将にそんな名人芸は無理でしょうな。それに撤退を命じるにも通心が出来なければ命令の伝達手段がありません」


 ドミティア皇女は苦い顔をした。第10師団に続いて第6師団を失うことになる。報告したときのガイウス7世の顔が見えるようだ。名目だけの皇家親征で、実際の指揮を執ったのはディアステネス上将だったとはいえ、ルファイエ家の評価が上がることはないだろう。第6師団が出来るだけアリサベル師団に損害を与えて弱体化してくれることを祈るしかなかった。



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