第70話 クインターナ街道の戦い 2

 クインターナ街道を遮断するように陣を構築している帝国軍を見て、アリサベル師団は足を止めた。帝国軍から半里離れて盾を並べ馬防柵を設置した。まだ昼を少し過ぎたばかりの、2日半の行軍の後だった。

 頑丈そうな陣地を構築してじっくり構えている帝国軍に直ぐに飛び掛かるのは下策だった。行軍の疲れもある。帝国軍もせっかく築いた陣を出て王国軍に戦いを挑む気はなかった。ディアステネス上将から命じられているのは防衛戦だったからだ。後しばらくすれば、ガイウス7世に率いられて西進している帝国軍の主力がロッソルへ到着する。ディアステネス上将の軍と合流すれば、ロッソルに籠もる王国軍の戦力の倍以上になる。強化されていてもロッソルの市壁はもともと大規模な戦いを想定して作られたものではない。増強された帝国軍の総攻撃に対してどれだけ保つものか、心許ない。ロッソルの王国軍への援軍はアリサベル師団だけだった。しかし、臨時編成のアリサベル師団など、足止めしている間にロッソルが陥ちれば淡雪のように溶けてしまうだろう、というのが帝国軍首脳の考えだった。

 時間は帝国軍の味方だ、なにも損害を覚悟してここでアリサベル師団を性急に叩く必要などない。敵の主力を攻撃する華々しい舞台には立てないが、こう言った裏方での役割の重要さをガルブス下将は知っていた。帝国軍の評価基準でも命令を忠実に齟齬なく遂行すると言うのは上々の評価に値するものだった。


 そしてそのまま両軍は機を窺いながら、にらみ合いに入ったように見えた。翌日も、向かい合って布陣した両軍はあちらこちらで小競り合いを繰り返しながら、どちらも本格的な攻勢に出ることはなく1日が過ぎた。


――ふん!焦っておるわ――


 ガルブス下将の眼には、思いも掛けない頑丈な防衛線を前にして、それを抜く決め手に欠けるアリサベル師団が弱点を探るために、脈絡のない攻撃を仕掛けているように見えた。




 周囲はまだ真っ暗だ。次の日も丸1日にらみ合いを続けた様に見せて、明るい内に無理矢理仮眠を取って真夜中に王国軍の陣を出た。灯りも付けず足下の悪い、細い間道を通って、急ごしらえにしては頑丈に組み上げられた帝国軍陣地の右手に出た。帝国軍と半里の距離を置いて停止を命じた。緩やかな起伏が続く平原の、やや高くなった所にある雑木林の陰だった。先導していたアンドレが素早くレフの側に寄った。


「予定通りだな」

「ああ、あなたのおかげだな」


 素直に評価するレフにアンドレが照れた。アンドレをはじめとするカジェッロ家領軍出身の兵が先導して、夜目の利くレフ支隊の兵を適宜配置することによって、灯りのない夜道をかなりのスピードで抜けることができたのだ。この作戦の要となる部隊だった。

 アンドレが頭を掻きながら、


「この辺りはガキの頃から走り回っているからな。灯りがなくても迷ったりはしない」


 地元の人間なら知っている間道だった。細い道は小さな丘や草原、雑木林、湿地や小川が入り交じった地形の中を曲がりくねって繋がり、大勢の人間を短時間で通すことは出来なかった。枝道が何本も別れ、よく知った人間でないと迷ってしまう。

 レフが率いているのはアニエスとレフ支隊の全員、アンドレの実家のカジェッロ家の領軍、ベニティアーノ家の領軍の半分、それに王宮奪還の時にレフと一緒に行動したカルドース十人長に率いられた王国軍、全部合わせても500人という小勢だった。これ以上多くなると雑木林の陰に隠れていても、もっと距離を置かないと帝国軍の探知に引っかかってしまう。間道の通りにくさと、妨害の魔器の有効距離と、横撃の威力を勘案しての人数だった。この小勢でも横から奇襲できれば相当の戦果を上げることが期待できた。


 帝国軍の通心、探知・索敵の魔器を無効化することを前提にしての作戦だった。帝国軍の右翼から半里離れてレフが位置し、王国軍の右翼、つまり帝国軍の左翼、の一番端にシエンヌが位置して、妨害の魔器を起動する。距離はおよ2里半、展開している帝国軍を十分にカバーできる。


『所定の位置に着いた』

『了解』

『分かりました』 


 レフの通心に王国軍の右翼の端にいるシエンヌと、司令部にいるジェシカが応答した。通信を受けたジェシカが顔を上げて、


「準備が出来ました。アリサベル殿下、イクルシーブ准将閣下」


 ジェシカに告げられてアリサベル王女が頷いた。


「そうか」


 坐っていたイクルシーブ准将が立ち上がった。


「予定通りだな」


 東の空が明るさを増しつつあった。もうすぐ灯り無しでも人の顔が判別できるようになるだろう。そうすれば王女の合図で妨害の魔器を作動させ、総攻撃が始まる。イクルシーブ准将は指揮を執るため天幕を出て行った。



 王国軍の右翼でシエンヌが魔器を握りしめた。周りを、護衛に付けられたアリサベル旅団に属していた腕利きの中隊が固めている。シエンヌはこの作戦の要だった。妨害の魔器を作動させている間、シエンヌは他のことが出来ない。だからアリサベル王女並みに護衛が付いていた。


“ジェシカが作った魔器……”


 あの日ジェシカはレフの描いた紋様図を見ながら、一心不乱に土台の真球に魔導銀線の紋様を描いていた。その横にレフが立って、時々手を出して助けていた。随分と優しい手つきに見えた。それが羨ましかった。今のところ3人の中で魔器作製に関われるのはジェシカだけだ。シエンヌも試みてみたがそもそも魔導銀線を紡ぐことさえ出来なかった。紡ぐことが出来れば経験を重ねて上手くなる。しかし紡ぐことが出来るかどうかは持って生まれた素質によるのだとレフは言った。

 ジェシカの手に重ねられるレフの手、想い出して魔器を握るシエンヌの手がブルッと震えた。夕方まで掛かって2つの魔器を完成させたジェシカはその夜2人きりでレフの寝室へ入っていった。

 厚いドア越しにでも微かな喘ぎ声は聞こえた。シエンヌもアニエスも人並み外れて耳が良い。シエンヌはドアが閉まっていても部屋の中の様子を探ることができる。もちろんそんなことをする気にはならなかったが。アニエスと目が合ったが、あの微苦笑の後ろに隠されていたのはどんな感情だったのだろう。


 次の日からもレフを中心とした4人の生活は一見変わりはなかった。


――でも、体を重ねた女と男って何か違って見えるのね。どこがどうとは言えないけれど――


 シエンヌは自分のはじめてのときのことを想い出して少し顔を赤くした。


――それにしてもこのところ、レフ様の隣はいつもアニエスだわ。今日だって――


 アニエスがレフの側で護衛を務めている。レフも妨害の魔器を作動させているときには他のことができなくなるからだ。3人の能力の関係でこの配置になることは分かっていた。それでも胸の中のもやもやは消えなかった。


“私だってレフ様の隣にいたい。後でうんと甘えさせてもらわなきゃ”


 魔器を握る手に力を込めた。




「攻撃開始!」


 王女から命令を受けたジェシカからの通心だった。東の空が明るくなってきている。シエンヌは立ち上がって魔器に魔力を通した。







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