第69話 アリサベル師団 3
「それは?」
ロッソルとの通心に依る作戦会議を終えたとき、アリサベル王女はレフから一つの魔器を見せられた。それを指さしての発言だった。幼児の拳ほどの大きさの、球形の魔器の表面には精緻な紋様が刻まれていたが、王女にはその紋様の意味が読めなかった。レフがその紋様に弱い魔力を通した。魔器を起動させる程ではなかったが、紋様に沿って小さな光が走り回る。
「ほら、手を出してみてください」
言われて右手を出した王女の掌にレフがその魔器を載せた。おっかなびっくり魔器を受け取ったアリサベル王女がしげしげと魔器を見た。ころころと転がしてみる。
「この光、全然熱を持たないのね」
掌の上で魔器の紋様の上を上を走る小さな光がだんだん弱くなって、程もなく消えた。
「綺麗なものね、でもこれは一体何をする魔器なの?」
王女の問いにレフがニヤリと笑ったように見えた。
「それは帝国軍の、魔器による通心と索敵を阻害する魔器だ」
説明するように言われた言葉に対する反応は、激烈だった。
「えっ、何?」
「何だって?」
アリサベル王女とイクルシーブ准将が同時に声を上げた。王女が慌ててもう一度掌の上の魔器を見つめた。興味深そうにベニティアーノ卿がアリサベル王女が手に持っている魔器を覗き込んだ。
「私とシエンヌで組んで使うものだが、私とシエンヌの距離を直径とした円内の魔器の作動を阻害する」
説明が分かりにくかったようでアリサベル王女が首をかしげた。
「具体的には、私とシエンヌが100ファルの距離を置いてこの魔器を作動させると、私とシエンヌを円周上の対面とする直径100ファルの円内で効果が現れる。つまり、帝国軍の使っている通心と索敵の魔器が役立たなくなる」
イクルシーブ准将がゴクッと唾を飲んだ。
「どれくらいの範囲で有効なんだ?」
「私とシエンヌが組んだ場合、平地なら4里ほどかな」
その場にいる者は皆、魔器の性能については疑いもしなかった。レフが魔器について今まで言ったことは全て正確だったからだ。
「他の魔法士でも使えるの?例えば私でも」
「私とシエンヌの魔力パターンに合わせてある。それを修正すれば可能だが……。意外に魔力を食う。殿下の魔力では2刻も保たないし、範囲も300ファルくらいになるかな」
「そう、余り実用的ではないわね」
戦闘範囲が300ファルほどで収まる小戦闘なら使えるかもしれない。時間も2刻もあれば小戦闘を終了させるに十分だろう。だがこれから迎えるであろう会戦ではおそらく役に立たない。偵察に依れば、帝国軍がクインターナ街道を閉鎖して築いている陣は正面だけで2里に及んでいる。
アリサベル王女の魔力は平均的な魔法士よりも多い。それなのにずっと狭い範囲でしか使えない。レフと言い、シエンヌと言い、一体どれだけの魔力を保持しているのだと王女は思った。
「レフとシエンヌの魔力ならさっき言った4里でどれくらい保つのだ?」
興味深そうに魔器を見ていたベニティアーノ卿が訊いた。
「私もそれが知りたいわ」
アリサベル王女とベニティアーノ卿の質問にイクルシーブ准将が頷いている。
「半日かな。問題はこの魔器を作動させているときは、私もシエンヌも他のことが出来ないことだ。これにかかり切りになる」
レフ達の火力を使えないのは痛い。しかし、効果はそれ以上だ、半日!つまり陽のある明るい時間がまるまる使える。命令系統をズタズタにされた上、索敵も出来ない敵と戦うために!
――帝国軍と戦う目処が付いた――
イクルシーブ准将は思わず緩みそうになる頬を引き締めた。
「へえ~、とうとうレフはそんなものまで作ったのか。戦の様相がガラッと変わるぜ」
アンドレの言葉に皆が頷いた。
ロッソルを囲む帝国軍の司令部用の天幕の中で、ドミティア皇女、ディアステネス上将と机をはさんで2人の帝国軍高級将校が立っていた。机の上には情報が書き込まれた近隣の地図が拡げてある。帝国軍の最後尾を任されている第6師団の司令官、ナドック・ガルブス下将と第6師団第2連隊長ミケーレ・イーロック上級千人長だった。
「アリサベル旅団がアンジエームを出た。今朝のことだ」
「はい?」
ガルブス下将の返事に疑問が混ざった。アリサベル旅団がアンジエームを出たのが今朝なら、情報が遅すぎる。もう外は暗くなり始めている。ディアステネス上将の所で情報が押さえられていたのだろうか?
「アンジエームに置いていた目と耳が全て潰された。アリサベル旅団の情報は近隣に置いていた目と耳からのものだ。街中と違って薄く配備していただけだから、把握に時間がかかった」
弁解するようなディアステネス上将の言葉に第6師団の2人が了解したというように姿勢を正した。
「アリサベル旅団はクィンターナ街道をロッソル方面に向かって来ている」
アンジエームとロッソルの間は徒歩3日行程だ。今朝アンジエームを出たのなら明後日にはロッソルに来る。ロッソルから四半日行程の距離に展開している第6師団とは明後日午後にはぶつかることになる。
「我々を挟み撃ちにしようとしているわけですか。なんとも思い上がったものですな」
「半個師団の戦力で第10師団の守る王宮を陥とした敵だ。油断は出来ん」
「師団長以下高級将校を先ず殺しておいて、それから王宮を攻略したと聞いております。なんとも簒奪者共の子孫にふさわしい、小汚い遣り方であります」
「だが、効果的だった」
ディアステネス上将の指摘にガルブス下将は黙り込んだ。不本意だが本当だったからだ。魔法士の通心を使って手足のように軍を動かす体制というのは、頭を潰されれば手足は麻痺してしまう。第10師団は辛うじて中枢神経の欠片――何人かの千人長――は残ったが、やはりそれでは間に合わなかった。
「ドミティア殿下によると何らかの遠隔攻撃魔法だろうと言うことだ。だから遠くからでも高級将校と分かるような軍装はやめておけ」
「了解いたしました」
「明後日の午後には第6師団がアリサベル旅団とぶつかることになる。目と耳の情報では師団規模に大きくなっているようだ」
「捕虜を軍に組み込んだのですな」
「急ごしらえの師団など、只の水ぶくれではありませんか」
イーロック上級千人長が口をはさんだ。人数を集めれば師団になるのではない、師団として動けるように訓練しなければ、統制の取れない民兵よりましというだけの武装集団にすぎない。その訓練には少なくとも月単位で掛かるだろう。
「相手はアリサベル旅団だ。いつの間にか現れてあれよあれよという間に大きくなって、
「それは」
ガルブス下将は思わず声を上げかけた。すぐに抑えて、
「ご勘弁ください。第6師団は堅固な防御陣地を築いております。もちろん正規の砦には及びませんが、同数の敵に対して、ましてや急ごしらえの水ぶくれ師団に対して、一戦もせずにあれを捨てて後退して主軍に合流せよとなれば士気が保てません」
ディアステネス上将は納得顔に何度か頷いた。ドミティア王女はほとんど表情を変えず、僅かに目を細めて3人の高級将校のやりとりを見ていた。
「やはり、そう思うか?しかし主軍から人数は割けないぞ」
「はい。第6師団だけで充分であります」
ガルブス下将の答えにディアステネス上将は満足そうに頷いた。
「それでは第6師団には現地点における防御を命ずる。
「「はっ」」
ガルブス下将とイーロック上級千人長は見事な敬礼を決めると、陣に帰るため天幕を出て行った。
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