第69話 アリサベル師団 2

「ネフィクス・イクルシーブ海軍上級千人長を准将に任ずる。アリサベル師団の指揮権を与える」


 魔法士を通した言葉だった。そこに込められた感情は失われる。しかし言葉の意味は明瞭だった。

 僅かな間を置いてはいたが重要な人事をこともなげに発したのは、アリサベル旅団から来ていたロドイェル千人長とカンディガーダ魔法士からアリサベル旅団の内情を聞いていたからだ。あらかじめロッソルの王族と王国軍高級将校が相談していたことだ。


「有り難きお言葉。承知つかまつりました。ではネフィクス・イクルシーブ准将をこの会議へ出席させても?」

「許す」


 准将というのも不正規イレギュラーな階位だった。准将に指揮されたナンバーの付かない師団――この急造の師団が王国軍内でどう位置づけられているかよく分かる処遇だった。しかしそれでも王国軍内の独立した師団として認められた意義は大きい。師団の内部での人事は独立して決定できるし、師団の一部を便利な戦力として簡単に他に持って行かれる事もなくなる。

 このままの形で王国軍に合流したときに分割されて、他の王国軍の補強に使われるのではないかというのがアリサベル王女やイクルシーブ准将の心配の一つだった。彼らはそういう命令が出れば従わざるを得ないが、多分レフは従わないだろうと思っていたからだ。アリサベル師団のみではなく、王国軍全体としても帝国軍に対抗していくためにはどうしてもレフ達の力が必要だと言うのは、アリサベル師団幹部の共通の認識になっていた。アリサベル師団を離れたレフが王国軍に協力し続けるかどうか、彼らは疑問を持っていた。


「ネフィクス・イクルシーブ准将、会議に加わらせて頂きます」


 あらためてイクルシーブ准将が会議に加わることを宣言した。


「早速だが准将、第三軍司令官として、アリサベル旅、……師団に可及的速やかなロッソルへの進軍を命ずる」

「はっ、畏まりました、ガストラニーブ上将閣下」


 ガストラニーブ上将の性急な言い方にアリサベル王女は眉をひそめた。兵数が増えても今のままでは師団として統制された動きは出来ない。そもそも新たにアリサベル師団に加わった兵に関しては、小隊単位から編成し直さなければならないのだ。名簿を作り指揮官を決めなければならない。一人一人の事情を考慮する時間もない。


 いきなり、


「お前はアリサベル師団、第X大隊、第Y中隊、第Z小隊に配属される。小隊長は××十人長、中隊長は○○百人長、大隊長は△△千人長だ」


と言われて、見知らぬ兵ばかりの小隊に入れられたとして動けるわけがない。まして連れて行かれる場所は戦場だ、せめて同じ小隊の中だけでも連携が取れるように訓練しなければどうしようもない。

 だから兵数が増えても戦力として増強されたとは言えない。いや統制の取れない武装集団を抱え込んだと考えればむしろ低下しているかもしれない。


「どれくらいで準備出来る?」

「捕虜から解放した兵は出身がバラバラです。その兵を編成しなおさなければなりませんが、それ以外にもいくつか問題がございます」

「申してみよ」

「捕虜だった兵達の体力が落ちております。給養が生命維持ぎりぎりの量でしかなかった所為かと思われます。今のままではロッソルまでの行軍にも耐えられない兵が続出いたします」

「きちんと食べさせれば良いのであろう。そんなに時間が掛かるものか?」

「少なくとも3~4日ほどは掛かるかと。急にたらふく食べさせてはレアード殿下の二の舞になる恐れがございます」

「うむ」


 苦虫をかみつぶしたような表情でイクルシーブ准将の言い分を聞いているガストラニーブ上将の姿がアンジエームからも見えるようだった。


「それに……」

「なんだ?」

「アリサベル師団は急に拡大いたしました。人数は増えましたが纏まった戦力として動いたことがございません」

「それは待てん、今から編成しなおし、訓練しなければ使い物にならないと言うのだろうが、最早そんな余裕はない」


 ガストラニーブ上将の言葉は魔法士越しであっても焦りを感じさせるものだった。


「帝国軍の主力が西下を始めたという情報がある」


 このガストラニーブ上将の言葉にアンジエームから参加していたメンバーは息を飲んだ。いくつもの疑問が浮かんだ。アリサベル王女が代表して、


「エスカーディアが抜かれたのですか?」


 アルマニウスの領都、ルルギアが陥落した後、残った王国軍はディセンティアの領都、エスカーディアに抵抗線を築いたはずだ。


「いや、エスカーディアは陥ちてはいません。帝国軍は押さえの兵だけを残して主力をこちらに向けているようです、殿下」


 エスカーディアはきのこ状に突き出た半島に築かれた街だった。きのこの傘にあたる部分に街が築かれていた。それはディセンティアが陸よりも海に力を注いでいることを如実に示していた。大きな――王国で2番目の――港があり、その海軍力も王国海軍に次ぐものだった。陸上勢力はアルマニウス、エンセンテに見劣りするものの海上交易の一大拠点であるエスカーディアはアンジエーム次ぐ繁栄を誇っていた。きのこの柄の部分を防衛すれば、海軍を動員していない帝国には攻めにくい街と思われていた。


「そんなことをすれば、その押さえの兵を排除すれば西に向かっている帝国軍を後ろから襲えるのではないですか?」

「その通りです、殿下。しかしルルギアで敗れ、援軍のデルーシャ、レドランドの兵も引き上げてしまいました。ディセンティアの領軍は陸戦が得意ではありませんし、ルルギアを失ったアルマニウスの領軍はすっかり意気消沈しています」


 つまり、エスカーディアにいる王国軍は人数は揃っていてもすっかり戦意を失ってしまった兵だというのだ。


「ディセンティアの領軍にエスカーディアを出て帝国軍を攻撃しろと命じましたが、言を左右して応じていません。それどころかディセンティア宗家の当主、ダグリス・ディセンティアは船でエスカーディアを脱出してヌビアート諸島へ逃げたようです」


 そんなことをすれば戦後に王家から処罰される可能性がある。そんなことは分かっているのに敢えてそうしたというのは、ディセンティアがアンジェラルド王国を見限ったことを意味するのかもしれない。


 エスカーディアに籠もった軍を蓋してしまうだけで放置されるとは、王国軍は予想してなかった。これはアリサベル師団では知らない情報だった。


「それでは……」

「10日もすれば帝国軍の主力がロッソルの戦線へ到着するでしょう。それまでに眼前の帝国軍を何とかしなければ我々の倍以上の敵と相対する事になります。殿下」


 確かにエスカーディアからロッソルまで徒歩10日前後だ。しかし、帝国軍は敵の領内を通らなければならない。当然平和時に旅するようにスラスラとは進めないはずだ。そんなことは分かっていたが、ガストラニーブ上将には嫌な予感があった。ここまでの帝国軍の強引さを考えると予想よりも早くロッソルへ到着するかもしれない。その予感はアンジエームのアリサベル師団も共有していた。ロッソルまでの3日間の行軍ということを考えると、余裕はわずかしかない。


「畏まりました。補充した兵達が動けるようになり次第ロッソルへ向かいます」


 イクルシーブ准将としてもそう答えざるを得なかった。1個師団としての作戦行動は無理でも半個師団+αとしてなら動けるようにすることは可能だろう。――楽観的にすぎるかも知れないが、とイクルシーブ准将はそう思った。








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