第69話 アリサベル師団 1
ジェシカがレフからその法陣紋様図を渡されたのは、王宮が再び王国の手に戻ったその翌日だった。レフ達4人は自分たちに割り当てられた部屋で朝食を摂って、思い思いに過ごしていた。アニエスは椅子に腰掛けて本を読み、シエンヌは部屋の扉近くにいて探知の訓練を兼ねて外の様子を窺っていた。ジェシカはからになった食器を厨房に下げてきたところだった。王宮の中はレアード王子の突然死にざわめいていたが4人とも全く気にする様子はなかった。
「これは……」
その法陣紋様図の一部には見覚えがあった。
「通心の紋様……?それにこちらは索敵の」
「そうだ」
しかし、通心の紋様にも索敵の紋様にもその一部に絡みつくように別の紋様が描かれていた。それを指でなぞりながら、ジェシカは眉を寄せた。
「でもこれは……、通心や索敵を邪魔しませんか?」
ジェシカも多少は紋様を読めるようになっていた。レフが新しい紋様を描く度に教えたからだ。
「よく分かったな」
帝国軍が使っている通心の魔器と索敵の魔器の作動を無効にするための紋様だった。
レフは帝国軍の魔器を幾種類か手に入れていた。もちろん
レフがシエンヌに渡した魔器は通心・索敵を同時にこなせる。それはシエンヌの魔法の
手に入れた魔器を詳しく見ている内にレフは気づいたのだ。
――
もちろん
――母様……――
「この魔器を2つ同時に起動すると、2つの魔器の間の距離を直径とする円内にある通心と索敵の魔器が使えなくなる」
レフの説明を聞いてジェシカが顔色を変えた。つまり軍の命令系統が絶ち切られ、横の連携がズタズタになる。その上敵の様子が分からなくなる。その効果に思い至ったジェシカが唾を飲みこんだ。
通心や探知・索敵の魔法そのものを阻害するわけではない、あくまで帝国軍が使っている魔器の作動を阻害するだけだ。だから魔器に頼らない通心、探知・索敵は出来る。さらに言えば魔器よりも粗雑な魔道具を使っている王国軍の通心、探知・索敵の魔法はそのまま使える。つまり、この魔器の有効範囲内においては王国軍の方が圧倒的に有利になる。
「作れるか?」
これを作ることは、ジェシカが明確に帝国軍の敵になることを意味する。捕虜としてやむを得ずレフに従っていたという言い訳は使えなくなる。それ程重大な利敵行為だ。
――レフ様がはっきりと自分の
シエンヌもアニエスも興味深そうな顔でジェシカを見ていた。レフがジェシカを試していることが分かっている。ジェシカは穴が開くほど法陣紋様が描かれた紙を見つめた。紙を持つ両手が細かく震えている。
しばらくの後……、
「作ります」
「そうか」
一瞬、レフの顔を横切った感情はなんだろう。無理矢理人の運命を変えたことに対するうしろめたさか、仲間が増える事が嬉しかったのか。
「真球は私が作る。紋様描画をジェシカに頼む。2つで良い」
「はい、でも一つお願いがあります」
「なんだ?」
「私を、――シエンヌやアニエスと同じ場所に立たせてください。レフ様のすぐ側に……」
ジェシカの顔が赤くなっていた。じっと見つめていた紙を持ち上げて、
「これを作るなら、その資格があると思います」
祖国を裏切るのだ。もう家族もいない、誰も自分を正当に評価しなかった祖国だ、でも自分がこれまで属してきた祖国だ。レフは顔を赤くしたジェシカを見つめた。それからシエンヌを見、アニエスを見た。シエンヌは軽く頷き、アニエスは肩をすくめた。
「分かった」
ジェシカが赤い顔のままレフを正面から見上げた。目を瞑ったジェシカの唇にそっとレフの唇が重なった。
ロドイェル千人長と、カンディガーダ魔法士を乗せた
王女以外のメンバーがいることにカンディガーダ魔法士は一瞬驚いた顔をしたが、直ぐに納得した表情になった。彼はアリサベル旅団の内部事情を知っていたし、自分がわざわざ口にしなければ、こちらで誰が列席しているかなどロッソルには伝わらないことに思い至ったのだ。カンディガーダ魔法士と第三軍のイセンターナ上級魔法士長が列席者の言葉だけを伝えるという形で会議が始まった。
「王宮とアンジエーム市街を取り戻したそうだな、アリサベル」
「はい、陛下。武運に恵まれまして、敵を駆逐することが出来ました」
「旅団で、帝国軍の1個師団を屠ったのだ、誇って良いぞ」
「ありがとうございます」
「捕虜になっていた兵達を解放したのであろう」
「はい、王宮を奪還する戦いで死傷者が出ておりますが、6000人ほどの味方を解放しました」
「うむ。そちの元々の旅団と合わせれば、1個師団の勢力となるか」
「御意」
「解放した兵を序列に組み込むことを許す。アリサベル師団と名乗るが良い」
「感謝いたします、陛下」
師団を編成させて、アリサベル師団と命名するということは、あくまでこの処置は
「アリサベル旅団の指揮は誰が執っていたのだ?」
「ネフィクス・イクルシーブ海軍上級千人長でございます」
「解放された捕虜の中に将官はいたか?」
「いいえ、千人長が何人かいただけでございます」
「ふむ、レアードがいれば指揮を執らせたのだが、……死んだそうだな」
「はい、捕虜の身から解放されて一時に疲れが出たのだろうと医官が申しておりました。帝国軍の扱いは決して良くはありませんでしたから」
暫時の沈黙があった。王がどんな顔をしているのかアンジエームでは分からない。ロッソルで会議に出席しているドライゼール王太子や他の将官も言葉を発していないようだ。直接顔を合わせての会議ではないので表情の変化や口調、雰囲気といった場合によっては言葉以上に雄弁な情報が取れない。逆に言うと、アリサベル王女の情報もその発する言葉だけになる。
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