第68話 レアード始末 3

 アリサベル旅団を支えていたのはこの二人の索敵能力だった。帝国軍てきの戦力も布陣も動きもこちらに筒抜けだった。だから常に先手を取る事が出来た。もちろんレフとアニエスの火力も大きかった。たった3人、いや4人が抜けるだけで、アリサベル旅団はその力の半分以上を失うことになる。


「あなた達がいなければアリサベル旅団はどうなるの?」


 分かりきっていることを訊かずにいられなかった。


「レアード王子の指揮で戦うのだろう?それがアンジェラルド王国の軍制だと聞いた。彼の指揮には従えない。私は無駄に死ぬつもりはないし、シエンヌ、アニエス、それにジェシカも無駄に死なせるつもりはない」

「レアード兄様の指揮下では勝てないと、あなたはそう思うのね」


 問わずもがなの問いだった。アリサベル王女自身もそう考えていたのだ。もちろん他のアリサベル旅団の幹部も同じ考えだった。

 レフは無表情のまま答えなかった。その無表情が彼の考えを明瞭に示していた。シエンヌがそっと目を伏せた。王国軍を見限って、王女をレアード王子の下に残していくのに後ろめたさがあった。だから黙っていなくなるのではなく、一言断りたかったのだ。


 レフとシエンヌを見つめながら、アリサベル王女はいつの間にか拳を強く握っていた。


「私は、……私は、王族に生まれて初めて王族の勤めを果たしていると感じていた。見栄えの良い人形で、いずれは国内か外国の王族か高位貴族に政略の一環として嫁ぎ、子を成してアンジェラルド王家との絆を深める。姉様達のように。それも仕方がない、王族の女に生まれたのだからと思っていたけれど……、だからシエンヌのように選択肢があるのが羨ましかった」


 思いもかけず自分の名が出たことにシエンヌは吃驚した。


「私にもそんな、選ぶ道など限られて……」

「私より幅が大きかったと思うわ、王都へ来たのは、ほんの少しかもしれないけれど自分の意志も入っていたでしょう?」


 そうだ、アドル領に残っていずれ近隣の貴族に嫁ぐという道もあった。兄たちなど強くそれを勧めた。幸いなことに魔法士になれるだけの魔力を持っていた。だから王都に出て親衛隊候補生になるというのは自分で決めたことだった。


「アリサベル旅団と名付けられた軍の、私は軽い神輿だったけれど、でも自分の意志でそこにいたの」


 王族には本来必要のない探査の魔法をシエンヌから習いながら、実に楽しそうにしていたのをシエンヌは想い出した。ロクサーヌがその横で苦い顔をしていたことも。


「自分の名を冠した軍が負けて、その結果断頭台に送られることになっても後悔しないって……」


 握った拳がぶるぶると震える。何故涙が出るのだろう?何故こんなに悔しいのだろう?アリサベル旅団を取り上げられるのがそんなに嫌なのだろうか?


「負けたときの責任を取る覚悟がある?」


 レフがそう訊いてきた。何を言っているのこの人は?それが王族の義務ではないか。


「もちろんよ、そのために王族や高位貴族がいるの。政治の――戦争も政治の一部よね――責任を取って場合によっては首を差し出すの。――そうでなければ只の無駄飯食いの寄生虫だわ」


 そう言い切って、アリサベル王女は唇を噛んで俯いた。足下の絨毯に一粒、二粒涙が落ちた。

 王女は作戦会議には欠かさず出席していた。自分の意見を述べることは殆どなかったが、どれほど会議が長引いても最後まで姿勢を崩さず聞いていた。あれは単なる義務感だけではなかったのだ。


「そうか……」


 レフは少し考えた。


「それなら」


 レフの口調が改まった。


「それなら?」

「王宮内の警備は緩い。私とシエンヌが誰にも気づかれないうちにここに来ることが出来たように」


 剣呑な気をレフが纏い始めた。口角が上がっている。


「いったい何を言っているの?」

「あなたにその覚悟があるなら、レアード王子からアリサベル旅団を取り戻してあげる」


 レフはひどく冷酷な顔をしている、アリサベル王女は首筋にひやりとしたものを感じた。

 思わず一歩下がったアリサベル王女に構わず、レフがシエンヌの肩を抱いた。


「行こう」


 その声とともに、二人はアリサベル王女の目の前からふっと消えた。アリサベル王女は今のレフの言葉の意味を考えながら二人が消えた空間を見つめていた。





 深夜、レアード王子の寝室にレフとシエンヌの姿があった。レフとシエンヌが無言で顔を見合わせた後、軽いいびきを掻きながら寝ている王子の側に寄った。二人の眼の下で天蓋付きの豪華な寝台に王子が寝ている。常夜灯の薄暗い灯りの中で、それを塵埃を見るような目で見ながら、レフが懐から小さな魔器を取り出した。それを受け取ったシエンヌが王子の胸に軽く触れさせて魔力を通した。一瞬、王子が反り返り、苦悶の表情を浮かべて、それが消えたとき、王子の胸はもう動いてなかった。この間レフとシエンヌは一切のもの音を立てなかった。





 次の朝、従兵が王子を起こしに行って死んでいるのに気づいた。たちまち大騒ぎになった。魔法士長達が集められ検死が行われたが、王宮の攻防戦の時に付いた傷以外には新しい傷跡はなく、もちろん古い傷跡にも致命傷になりそうなものは無かった。そして魔法士が知っているいかなる毒物が使われた形跡もなかった。昨夜は王子が食べたものと同じものを他の人間も食べ、ベッドに行くまで王子は酔ってはいたがぴんぴんしていたのだ。ベッドの横に用意してあった水差しの水にも毒など含まれてなかった。


 昨夜はアリサベル王女との会食の後、取り巻き連中と夜遅くまで酒を飲み、


「アリサベル旅団は帝国軍の主力と当たるのをこそこそと避けていたが、レアード師団はそんなことはせぬ。堂々と正面から帝国軍を破ってやる!」


などと息巻いていた。レアード王子は一部の中、下級士官や兵には人気があった。個人的武勇に優れ、勇敢で、自分に懐いた人間に対しては気前が良かったからだ。取り巻きにも彼に似たような中級の士官が多かった。そしてそういう連中といるときは上機嫌だった。浴びるように酒を飲み、上品なマナーなど忘れて肉を食い、取り巻きの肩を借りて寝室までたどり着き体を放り出すようにベッドに倒れ込んだのだ。

 とてもその晩のうちに死ぬような様子には見えなかったが、病死と発表するよりなかった。


“おそらく寝ておられる間に心臓が急に止まったのだ。激しい戦とその後の捕虜生活が気づかぬうちに殿下の心臓を傷つけていたのだ。何しろ帝国軍やつらの扱いは酷かったから”


 同じように捕虜になっていた上級魔法士長の言葉だった。




 しかし、アリサベル旅団の幹部達は、レアード王子が死んだと聞いたとき、一様に、


“レフだ”


と考えた。ベニティアーノ卿も、アンドレも、イクルシーブ上級千人長も、そしてアリサベル王女も、特に王女は確信を持ってそう考えた。せっかくここまで育てたアリサベル旅団が、レアード王子の指揮ですりつぶされるのが我慢ならなかったというのが動機だろうと。

 しかし誰もそのことを口に出すことはなかった。そんな疑問を口に出してもなんの益もなかったし、彼らにとってはレアード王子よりレフの方がに必要だったからだ。確信を持ちながら何食わぬ顔をしていることで、彼らはレフの共犯者になったのだった。



 レフ支隊のストダイック百人長もレフの関与を考えた。しかし、彼の考えは、


“シエンヌを差し出せだなんて、そりゃー殺られても仕方ないよな、あのスケベ殿下”


 普段に見せるレフとシエンヌ、アニエス、そして最近はジェシカも含めて互いにどんなふうに接しているかを見るとそういう結論になる。彼にとっても、レフ支隊のことを考えるとレアード王子の退場は好都合だった。そしてストダイック百人長もこの考えを口に出すことはなかった。





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