第68話 レアード始末 2

 実のところ、王宮奪還作戦を始めるとき、アリサベル王女はレアード王子が捕虜の中にいると思っていなかった。エンセンテ宗家の当主が戦死したという事は分かっていた。しかしそれ以上の身分の者についての噂はなかった。だから国王と一緒に脱出したのだろうと思って大して気に掛けていなかった。

 薄情なようだが王族だからと言って皆が親しいわけではない。そもそもアリサベル王女はレアード王子とは余りうまく行ってなかった。

 王女が、親衛隊の魔法士長に匹敵するほどの魔力持ちであり、探査の魔法にいつの間にか習熟し、親衛隊の図上演習などで的確な意見を言うようになったのに対し、レアード王子は個人的な武勇こそ優れていたが、軍を指揮することには苦手なままであったことも原因だった。

 アリサベル王女がかって、王太子に付いて王宮から港の海軍基地へ移ろうとしたのもそれが一因だった。


 そんな王女の気持ちなど忖度せず、


「アリサベル旅団、あらためレアード師団だ。準備が整い次第ロッソルへ押し出すぞ!」


 王子は酒ではなく、自分の言葉に酔っていた。レクドラム以来の敗戦を雪ぐ絶好の機会ではないか。そこには妹の事情など斟酌する気など一切なかった。


――やっと自分の真価を認めさせる機会が来た――


自分の言い分を言うだけ言うと、レアード王子は残った酒を飲み干して立ち上がった。王子にとっては王女との話の場ではなかった。自分の意志を表明するだけの場だった。坐ったままの王女を見下ろして、


「明日から私が師団を指揮する。お前は休んでおれ、長い間の慣れぬ従軍で疲れたであろうからな」


 いったいこのレアード王子は何を言っているのか?何ヶ月も、ともに戦ってきたアリサベル旅団を私から奪って、いきなり命令する立場に立って、王族と言うだけで兵達が従うと思っているのか?

 だが軍制では第2王位継承権者であるレアード王子の方が上位だった。王子の意志の方が優先される。王女は言われっぱなしで唇を噛むしかなかった。


 レアード王子は部屋を出ようと扉に手を掛けたまま振り返って、


「そうだ、この前の戦いで私の親衛隊が全滅してしまった。新たに編成し直さなければならぬ。で、アリサベル旅団に赤毛の女魔法士がいるだろう、あれを呉れ。魔法士なのに実に剣技に長けている。使い勝手が良さそうだ」


 アリサベル王女が息を飲んだ。


「お兄様、あの魔法士は……」


 レアード王子はこの言葉も最後まで聞かなかった。


「なに、私の師団になるのだ。司令官付と言うことになればあの女も喜ぶだろう」


 そう言い捨てて部屋を出て行った。





 アリサベル王女はレアード王子がいることを知ってから、こうなる可能性を考えていた。王族は軍制の上では将軍達の上に来る。一番は国王で、以下継承順位に従うことになる。軍事的才能に恵まれなかったことを自覚している王族は、将軍、提督達の作戦を承認するだけに止める場合もあったが、レアード王子はそうではなかった。自分にその方面の才能がないことがどうしても納得できなかったのだ。実際中隊規模までの戦闘であれば、彼が先頭に立って敵に突っ込んでいき、それに味方が付いてくれば勝てるだろう。王宮の攻防戦では親衛隊の中隊を率いて何度も帝国軍と小戦闘を繰り返しては撃退し、国王達が脱出する時間を稼いだ。レアード王子はそれを軍事的才能だと思っていた。

 やっと自分が自由に動かせる1個師団が手に入ったのだ。しかも今までうるさく掣肘してきた将軍連がいない。こんどこそ自分の思うとおりに戦が出来ると、本気でそう思っていた。アリサベル旅団が、何故負け続けの王国軍の中で唯一戦果を上げ続けているのか、そんなことは考えもしなかった。




 一方で、自分たちの最悪の予想でさえ甘かったことを、レアード王子が出て行ったドアを見つめながらアリサベル王女は実感させられていた。


「………まさかシエンヌを要求するなんて」


 最後のとどめだった。




 レアード王子との会食の顛末をイクルシーブ上級千人長、ベニティアーノ卿に話したとき、やはり二人ともこれ以上はないほどの苦い顔をした。最悪の予想が当たると何も言えなくなるようだ。重苦しい沈黙が幾ばくか続いた後、ベニティアーノ卿が、


「レフは離れますな。シエンヌを差し出せなどと、従うわけがない」


 アンドレが連れてきてからもうかなりの期間レフと行動を共にしてきた。そして、レフが仲間の2人の女を、最近はジェシカも入れて3人になっているが、どれほど大事にしているか見てきた。王族に要求されたからと言って従うとは思えない。


「レフとシエンヌ抜きで作戦行動をする羽目になりますか。きついことですな」


 イクルシーブ上級千人長にも良い展望は持てなかった。黙って側に立っているロクサーヌも固い顔をしていた。彼女にはこんな場面で口をはさむ資格はなかったが、親衛隊内部で、特に女兵の間でレアード王子がどう呼ばれているか知っていた。

“色魔”、

自分付きになった女兵に次々と手を付けるのだ。


「もう、寝みます。疲れました」


 アリサベル王女の本音だった。疲れた頭で考えても、何か浮かぶはずもなかった。レアード王子の前での自分の振る舞いは情けなかったが、もう限界だった。精神的にも、肉体的にも。



 アリサベル王女の部屋は、帝国占領時にはドミティア皇女が使っており、そのため無骨な兵士達が立ち入らず、王女の記憶の通りにきちんと整理されていた。服や装身具を入れていたクローゼットに残されていたのは、ドミティア皇女のもので王女のものはどこかに片付けられていた。ベッドと寝具は以前から王女が使っていた物だった。

 夜着に着替えたが、くたくたに疲れているはずなのに眠気が来なかった。しばらくベッドの上で姿勢を変えながら眠気が来るのを待っていたが、四半刻もすると起き上がった。枕元に用意してあった水差しとコップを手にとって飲み干そうとしたとき、部屋の中に自分以外の人間の気配があるのに気づいた。


「誰?!」


 大声を出さなかったのは、それが相手の攻撃を誘発する可能性を考えたからだ。枕元のベルを鳴らせば隣の部屋に待機しているロクサーヌに通じる。ベルにちらっと目をやり重心をベルの方へ動きやすい様に移した。

 王女の誰何に答えて、窓際に浮かび上がったのは、王女のよく知っている人物だった。そこはレースのカーテン越しに月明かりが差し込んでいくらか明るくなっていた。


「レフ、……殿?」


 名前を呼ばれてレフが優雅に挨拶をした。王家、あるいは皇家の成員同士が行う挨拶だった。如何にも板に付いたレフの挨拶を受けながら、


「ぶ、無礼でありましょう。こんな夜分に女の部屋を訪うとは」

「その点はご容赦ください。他に機会がないものですから。それに私一人ではありません」

「えっ?」


 レフの言葉にレフの後ろにもう一人いることに気づいた.


「シエンヌ」


 レフのいるところより一層暗くて顔は良く判別できなかったが、そのシルエットはよく知っているものだった。シエンヌが臣下の礼を取って頭を下げた。


「シエンヌがどうしても殿下に挨拶をしたいと言うものですから」


 その言葉で王女には分かってしまった。


「レアード兄様の事を聞いたのね」

「はい。ですからお別れを告げに参りました」


 答えたのはシエンヌだった。薄暗い中で顔を上げたシエンヌを王女はじっと見つめた。出て行く前に挨拶に来たというのは、少しは私のことを気に掛けていたのかしら?


「もう、助けては呉れないの?あなたなら私の親衛隊に入れてもいいのだけれど」


 それくらいの要求はレアード王子に対して通るだろう。私からアリサベル旅団を取りあげることに比べれば些細なことだ。それで私の気をなだめることが出来るなら、と考えるのではないかしら?


「レフ様と離れては生きていけません、ご容赦ください」


 命をかけても守りたいものがある、死んでも離したくないものがある、そして、その意志を曲げるつもりはない。シエンヌはそう言っている。アリサベル王女は一瞬羨ましいと思った。




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