第68話 レアード始末 1

「レアード殿下が……」


 イクルシーブ上級千人長は、レアード王子が捕虜の中にいて解放されたことを知ったとき、思わず絶句した。


 ベニティアーノ卿は苦い顔をした。


 アリサベル旅団を率いていた王国軍幹部にとっては好ましい事ではなかった。レアード王子の性格を考えればアリサベル旅団に対して何か干渉してくることは十分に考えられた。その干渉が決して旅団の益にはならないだろう事も予想のうちだった。レアード王子はだった。レクドラムの戦いは今でも彼らの記憶に強烈に残っている。


 ただ、彼らはこの感情が人に、特に部下達に知られないようにするだけの分別があった。




 王宮を奪い返してその夕方に早速、会食したいと言うレアード王子からの申し出があった。その申し出を受けてアリサベル王女は、イクルシーブ上級千人長、コスタ・ベニティアーノ卿、アンドレ・カジェッロ、レフ支隊に出向させているストダイック百人長達と相談した。レフを呼ばなかったのは、おそらくアンジェラルド王家の、余り外に漏らしたくない話題になることが予想され、帝国の高位貴族の出と王女が推測しているレフにその事実をあからさまに見せたくなかったからだ。


「捕虜から解放された兵達で一隊を作り、それを自分が指揮することは当然と思っていらっしゃるでしょう」


 イクルシーブ上級千人長が今にもため息をつきそうな様子でそう言った。


「それだけで済めば良いのでしょうが……」


 言い淀むベニティアーノ卿に、


「アリサベル旅団の指揮権も要求されるかもしれません」


 アンドレが遠慮もなく付け加えた。


「アリサベル旅団と王宮を守っていた兵とを一体として運用した方が良いことは当然なのですが……」


 イクルシーブ上級千人長も言い淀んだ。指揮官がレアード王子でなければ、その通りだ。レアード王子にアリサベル旅団を渡せば、上手く使えなくてグズグズと使い潰されることが予想される。


「軍制上はアリサベル旅団の指揮権を要求されたら渡さざるを得ません。第二王位継承権者であられますからな。軍事行動中はアリサベル殿下へ命令することが出来ます」


 ベニティアーノ卿が言うとおり、軍事行動中の上位者からの命令は絶対だった。

唇を噛みながら彼らの話を聞いていたアリサベル王女が、


「旅団が私から取られる可能性があるのね。でもそうなったとき、レフはどうするかしら」


 王女の質問にアンドレが答えた。


「あいつはアリサベル旅団を離れるかもしれません」


「そんなことが、可能なのですか?」


 一番下位であるため発言を控えていたストダイック百人長が思わず声を出した。


「あいつはアリサベル旅団の戦闘序列に入っていない。第一、階級も持ってないだろう?」

「そう言えば」


 普通に作戦会議や幹部の会合に出ていたから気にしなかったが、レフはアンジェラルド王国軍の階級を持っていなかった。


「だから、気にくわなければ出て行くと思うぜ」


 思わず地を出しながらアンドレが言った。


「彼は、……レフは一体どういう立場でアリサベル旅団と行動していたのかしら」

「強いて言えば同盟軍、といったものに近いかもしれません。デルーシャやレドランドから派遣された援軍、と同じと考えても良いかと」

「イクルシーブ上級千人長、ではレフは自由に旅団を離れることが出来るというの?」

「正式の同盟軍であれば行動の前にきちんとした通告がありますが……」

「なし崩しに一緒に行動していた彼らにはその必要もない訳ね」

「そっ、それでもレフ殿は旅団最高の魔法士であり、最大の火力であります。あの3人、いや4人かもしれませんが、彼ら抜きではアリサベル旅団の力は半減するかと……」


 そこまで言って言いすぎに気づいたようにストイダック百人長が口を噤んだ。だが彼を責める者はその場にはいなかった。


「あなたはしばらくレフと一緒に行動していたから、余計にそう思う訳よね。私達だって、レフとシエンヌ、アニエスの力は正当に評価していると思うわよ」


 そうでなければ作戦会議で自由に意見を言わせ、作戦行動に際してはかなりの程度の独断専行を許すはずがない。さらには少人数とは言え、レフが自由に使える部隊を渡すわけもない。監視の目的も少しはあったが。


「例えレフが残ったとしても兄様レアード王子ではレフを上手く使えないと思うわ」


 イクルシーブ上級千人長も、ベニティアーノ卿も、アンドレもこの王女の言葉に思わず頷いていた。階級も持たないレフを作戦会議に呼ぶはずもないし、レフの力を知らないから、それを適切に使えるはずもない。第一レアード王子は素性も分からないレフを信用しないだろう。下手をすると帝国の間諜とみるかもしれない。レフと協調していくのはそんな難しいことではない、互いの信頼――少なくとも“こいつは裏切らない”というレフの心証――があれば良いのだ。しかし、その場にいるアリサベル旅団の幹部達で、レフとレアード王子が信頼関係を持てると考える者は一人もいなかった。




 王宮内の王家の人間だけで食事をするときに使う部屋だった。公式の会食室ほどの広さはなかったが最上質の家具や備品、食器が常に磨き上げられて用意されていた。帝国軍が王宮の主役であったときもこの部屋はドミティア皇女のほぼ専用であり、ときにディアステネス上将をはじめとする帝国軍高級将校が食事に相伴した。第10師団に王宮の守備が命じられた後は使う者もなく丁寧に掃除だけがされていたため、以前通りの格式と豪華さを保っていた。

 そこでレアード王子とアリサベル王女が食事をともにしたのは、王宮から帝国軍を駆逐した日の夕方の事だった。部屋の中には王族二人の他は、まだ右手が不自由な王子の補助をするための従兵がいるだけだった。


 食事内容は工夫はされていたが戦時であり、新鮮な野菜も肉もなく王宮のコックもいないため、軍の料理員が軍食からましなものを選んで用意したものが供されていた。塩漬けの肉と乾燥野菜で作られたスープに固い保存用のパン、それに干した果物という、美味いわけでもない食事を行儀良く黙って済ませた。食事後、レアード王子の前にはブドウの酒が、アリサベル王女の前には香りの良い茶が供されていた。食事中に忙しなく会話するのはマナーに反すると思われていた。会話はメイン・ディッシュが終わった後、茶やデザートを食しながら行うものだ。従兵にブドウの酒をグラスに注がせて、レアード王子は目の高さにそれを持っていった。


「再会を祝して」


 それからアリサベル王女の茶のコップと軽くふれあわせて、1杯目の酒を一気に飲み干してた。2杯目を食卓に置いたグラスに注ぎながら、


「ご苦労だった、アリサベル」


 アリサベル王女は硬い表情で黙ったまま少し頭を下げた。レアード王子が何を言い出すのか見当は付いていたが聞きたくはなかった。


「女の身で5000もの軍を率いて指揮するのはつらかったであろう。戦は女の仕事ではないからな」


 アリサベル王女の表情がさらに硬くなった。最悪の予想通りの展開だ。


「もう良い。私が替わってやろう」

「お兄様!」


 覚悟はしていても声が大きくなった。駄目だ、次の言葉が出てこない。元からこのひとには言葉が通じないところがあった。押しつけるように一方的に自分の要求だけを言われるとつい黙り込んでしまうのだ。年下の女の身としては、第2王位継承権者に対して気安く反論できない雰囲気が以前から王族の間にあった。


「何だ?」

「旅団は私が、この手で……」


 言いかける王女の言葉にかぶせるように、


「今までは帝国軍の主力と戦うことを上手く躱してきたようが、これからはそうはいかない。ロッソルの陛下や王太子殿下と協調して帝国軍主力を相手にしなければならない。戦慣れしている私の方が指揮官にふさわしいだろう」


――ああ、やはり、こういう話になる。








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