第67話 王宮奪還 4

 シエンヌはレフとアニエスに合流しようと必死だった。アリサベル旅団司令部での仕事が一段落付いた今、レフの横に居ることが最優先だった。前に立ちふさがる者は排除するだけでレフの気配が濃くなる方へ濃くなる方へと駆けていた。シエンヌの周囲を3~4人のレフ支隊の隊員がシエンヌを護衛するように走っている。彼らが乱暴に排除した帝国兵てきはそのまま戦う気力を失っていれば捕虜になり、戦う気力を残していれば後続の王国兵に斃された。


「レフ様!」


 最後にシエンヌが飛び込んだのは王宮の城壁に設けられている、北の門がモロに見える位置にある望楼だった。望楼の周囲をレフとともに王宮内に侵入した支隊の兵が固めていた。望楼に近づくと兵達は警戒して武器を構えたが、すごい勢いで走ってくるのがシエンヌであることを認めると入り口を開けた。


「シエンヌか」


 望楼内部に駆け込んだシエンヌに、振り向きもせずレフが声を掛けた。


「レフ様、ご無事で……」

「当たり前だ」


 僅か半日離れていただけだが、涙が出るほど再会が嬉しかった。並んで望楼の窓から下を見下ろしているレフとアニエスの背後からシエンヌも外を見る。20ファル離れて北の門と、門から外へ続く橋が見えていた。王宮内から追われた帝国兵が固まって走り出てくる。遠く、東へ逃げていく帝国兵達の後ろ姿も見える。


「右から2人目、次は右から4人目だ」


 帝国兵が固まって出てくる度にレフが指示する。指示された帝国兵をアニエスが撃ち倒す。魔法士と帝国軍将校――主として百人長以上を――狙い撃ちしていたのだ。軍装を一般兵と同じにしていても、態度、行動、周囲の兵の動きで区別できる。まして未練たらしく階級章などを付けていれば一目瞭然だった。橋の上には既に何体もの死体が転がっていた。出てきた帝国兵が少数であればそれらの死体を避けて走っていったが、多数の兵が出てきたときは踏んで行く。どの死体も既に踏みつぶされてぐちゃぐちゃだった。


「背中は守ります、心置きなく」

「頼む」


 何度も繰り返した戦闘行動だった。アニエスの遠距離攻撃魔法をレフが補助する、それに専念すると疎かになる防御、それをシエンヌがカバーする。シエンヌに付いてきたレフ支隊の隊員も望楼の入り口に配置された。




 何千人もの帝国兵が北門から逃れていった。それを阻止する力はまだアリサベル旅団にはなかった。しかし、それはある意味、計算通りだった。多数の捕虜を抱え込む余裕は人的にも、物資の面からもアリサベル旅団にはなかったからだ。それでも第10師団の頭はほぼ狩りきった。多数の兵員が王宮から逃れたが、士官の養成には一般兵の補充より遙かに時間と手間が掛かる。実質ディアステネス上将旗下の帝国軍から1個師団を削ったと見なすことができた。




 王宮を逃げ出した帝国兵達の運命は悲惨だった。殆どの兵は主力のいるロッソルを目指したが、アンジエームからロッソルへ通じるクィンターナ街道は帝国軍主力が通った道だった。街道沿いの集落は帝国軍の略奪に遭うか焼け落ちるかしていた。王宮を着の身着のままでろくな物資も持たずに脱出した帝国兵達はまず、食料の調達に苦しんだ。いつ戦場になるか分からないクィンターナ街道沿いの集落には人々は戻っていなかった。焼け落ちた集落はもちろん、略奪され放棄された集落にも役に立つものは残っていなかった。街道を外れた所にある集落を襲えばなにがしかのものは手に入るだろうが、帝国兵は地理に詳しくなかった。効率よく集落を見付けることが出来なかったし、そんなことに時間を掛ければ徒歩3日の距離にあるロッソルへ到着するのが遅れる。

 その上、ロッソルを目指す帝国兵を王国人が襲った。集落に人がいなくても周囲にいないわけではない。帝国兵が近づけば逃げ、遠ざかれば戻る。土地勘があるのを利用して帝国兵と正面からぶつかるのを巧みに避け、あとを付けながらはぐれた兵を襲った。夜になると、まとまった数の帝国兵がいれば領軍が、少数なら住民が襲った。空腹で疲れ果て、夜も禄に眠れない帝国兵は、士官を失って系統だった戦闘が出来ないこともあり、襲った王国人が驚くほど脆かった。

 多くの帝国兵が殺されるか捕虜になった。領軍に降伏した帝国兵はまだ幸運だった。相手が捕虜の扱いを一応は知っていたからだ。住民達は捕虜をどうして良いか分からず、生かしておいて後で反抗されることを恐れて殺してしまう場合が多かった。敗残の帝国兵との戦闘で住民側に犠牲者が出た場合は特にそうだった。


 結局ロッソルへ到着した第10師団の生き残りは1000人に満たなかった。


 レクドラムを目指した帝国兵達は、広いテルジエス平原の中で帝国支配から解放された住民達に襲われ、ひっそりと消えていった。レクドラムにたどり着いた者は一人もいなかった。





「アリサベルが、王宮を、取り戻した?」


 疑問を呈するゾルディウス2世の前で第三軍の上級魔法士長、カレード・イセンターナが重々しく頷いた。王国軍が接収しているロッソル市庁やくばの会議室だった。ロッソルはもともとの人口2万足らずの、アンジエームとは比べるべくもない小都市で、王族が滞在するにふさわしい建物とてなかった。その中で比較的ましな市長邸や市庁を王国軍幹部が使い、住民を追い出した家々に第三軍を中心とした王国軍が駐屯していた。接収した家だけで足りず、あちらこちらに天幕が立っていた。

 第三軍がロッソルに着いたとき一般住民は追い出されて、残ることを許されたのは街や港を維持するために必要な人員だけだった。もともと住んでいた人々を追い出すのを躊躇う様な高位貴族や王族はいなかったし、第三軍の兵士は東部の出身者が多く、王国の中心部に近いロッソル付近の人々に共感を覚える兵士は少なかった。追い出された人々は伝手を頼って、あるいは手持ちの金を頼りに他の街や村に散っていった。こんなことは貴族間の争いや、他国との戦争に際しては良くあることで、気にするような支配層の人間はいない。



 アリサベル旅団が半個師団の兵力で王宮に籠もる1個師団を駆逐したと言う報告を聞いて、ゾルディウス2世が先ず考えたのは誤報か、帝国軍の罠かということだった。


「間違いないものと思われます。アンジエームに残置した目と耳が全員同じ報告を上げています」


 代わりに答えたのは暗部の長、カルーバジダだった。アンジエームの残置諜報員は彼の部下だったからだ。


「帝国の謀略の可能性は?」


 誤報を流して王国軍の方針を攪乱しようとしているのではないかと訊いてくるフォルテス下将に、


「全ての報告が正規の手順を踏んでおりますれば、その可能性は殆どないかと」


 諜報員の報告は、一定の手順を踏んで行われる。一見無駄に見える手順はしかし、その報告が諜報員の意志で行われていることを示す。つまり、手順を省いた報告は虚偽、なのだ。もちろんその手順は極秘だった。例え強制して虚偽報告をさせても、その報告に付随する手順が本物かどうか、帝国軍には区別が付かない。


「アリサベルからは報告はないのか?」


 ゾルディウス2世がそう訊いたのはロドニウス親衛隊上級魔法士長に対してだった。アリサベル旗下の魔法士が通信してくるなら親衛隊の魔法士に、という可能性が高いと思ったのだ。


「ございません。遺憾ながらアリサベル殿下の下にいる魔法士と通心魔法を同調している魔法士がおりません」

「ん?確かアリサベル殿下の下からエスカーディアに連絡員が来ていたのではないか?そう聞いた覚えがあるぞ」


 ロドイェル千人長が魔法士を伴ってエスカーディアに来たとき、ガストラニーブ上将はルルギアにいた。アリサベル旅団の噂は聞いていたし、旅団からドライゼール王太子に使者が来たことも聞いていた。しかしそれ以上のことは知らなかった。


「あっ、……そいつは私の戦闘序列に組み入れた。ベテランの海軍士官というのは貴重だからな」


 ドライゼール王太子が言いにくそうにそう言った。魔法士長クラスの魔法士がいれば嘘は通用しない。


「魔法士をアリサベル殿下の下に返していればそいつと通心出来るのではないですか?」

「魔法士も私の戦闘序列に組み入れた」


 ガストラニーブ上将は少し眉を上げて、王太子を見たがそれ以上のことは言わなかった。ドライゼール王太子の不手際を責める形になりかねないからだ。暫時、誰もが口を噤んだ。


「それではその魔法士をアンジエームに、アリサベル殿下の下に返しましょう。幸いアンジエーム港が使えます。船でなら1~2日で着きますから」


 気まずさを払うようにことさら陽気な口調でフォルテス下将がそう提案した。


「そうだな、グリツモア海軍上将、足の速い艦船ふねを一隻出してくれ。その魔法士をアンジエーム港に運ぶのだ。今の情勢でアンジエームを押さえたアリサベルと連絡が取れないというのは不味いだろう」


 指名されて、グリツモア上将が姿勢を正した。


「はい、承知いたしました」


 彼らには思いも掛けなかったアリサベル旅団の動向が、作戦計画に大きな影響を与えていくことになる。





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