第66話 捕虜 2

 アリサベル旅団がアンジエームに入って2日目の夜、レフとシエンヌは堀端へ来ていた。王宮の西側の、南の正門と北門の中間点辺りだった。堀をはさんで王宮の城壁が目の前に黒々と立っていた。巡回通路を見回りの小隊が通り過ぎていったところだった。灯りも無しに、レフもシエンヌも通り過ぎる兵の顔まで見分けることができた。小隊が十分に離れるのを待って、シエンヌが空間を繋ぐ魔法で城壁の上に移動した。転移魔法と違って移動は一瞬であり、移動先がぶれることもない。その分移動距離が制限されるが、訓練によって最初の2倍――20ファル――程度は動けるようになっていた。尤も移動距離が倍になれば消費魔力は4倍になる。シエンヌの魔力では何度も繰り返して使える魔法ではなかった。


 城壁に移動してシエンヌは足下に転移の魔器を置いて少し後ろへ下がった。直ぐにレフが転移してきて、魔器を回収した。


「行くか」

「はい」


 レフとシエンヌはフワッと城壁の内側へ飛び降りた。


 シエンヌは親衛隊候補生として2年近くを王宮内で過ごした。親衛隊候補生の身分では入れない建物やエリアもあったが、許可されているところについては何度も歩き回って王宮内の地理は頭に入っている。実のところ、貧乏貴族の子女では休みの日も街中に繰り出す程の余裕はなく、王宮内の気に入りの場所で過ごすことが多かったのだ。だからわざと複雑に作ってある王宮内の道についても詳しかった。

 城壁から飛び降りたところは小さな丘になっていて20本余りの木が植えてある。木々に囲まれて屋根だけの四阿があり、そこのベンチでシエンヌはよく時間を過ごしていた。親衛隊訓練場から近く、内宮から遠いこともあり、ここに居て他の貴族階級の人間を見ることは殆どなかった。


「行こう」


 懐かしそうに見回しているシエンヌをレフが促した。足を訓練場の方に踏み出そうとしたとき、レフとシエンヌは殆ど同時に近づいてくる人間の気配に気づいた。顔を見合わせると四阿から少し離れた木の陰に隠れた。


 現れたのは3人の男達だった。


『あれは……』

『捕虜だろうな』


 男達は手枷をはめられていた。一応枷は体の前だったのでかなりの自由はきいたが、荷物を持って歩くのにバランスを取るのが難しそうだった。


『1人は親衛隊の軍装ですね、十人長でしょう』


 3人の男達は周囲を警戒しながら四阿に近づいた。親衛隊の軍装をした男がベンチの横にしゃがみ込んで座面の裏側をいじっている。立ち上がってベンチを横に押すと大きな抵抗もなくベンチが動いた。動いたあとに穴が開いているのが見えた。はしごでも付いているのだろう、親衛隊の軍装の男が足からその穴に入っていった。


『へ~。なんだ、あれは?』


 レフの質問にシエンヌが右手の指を口のところに持ってきて眉をしかめた。


『……候補生だった頃、平民出身の親衛隊兵士達が秘密の倉庫を持っているという噂を聞いたことがあります。ひょっとしたら……』

『どうもそんなもののようだな』


 レフとシエンヌが見ていることに気づかないまま地上に残った2人の男達は持ってきた荷物を穴の中に入れ始めた。全部入れ終わると親衛隊士が穴から出てきてまたベンチを動かして穴を塞いだ。そして周囲を警戒しながら遠ざかっていった。


『何故親衛隊兵士はあんな隠し穴を持っているんだ?』 

『親衛隊兵士は平民出身者が多いのですが、王宮内で平民は下働きの者を除けばごく少数です。当然、いろいろストレスを受けます。平民なのに王族の方々と近い位置に居るというのを面白くないと感じている貴族も多いので。そんなストレスを貴族の知らない仕掛けを持っていることで紛らせているのではないでしょうか?』

『武器を持ってきていたな』

『はい』


 どこからか調達してきたのだろう。帝国軍に占領されたといっても彼らの方がずっと長い時間王宮内にいたのだ。帝国軍が調査し切れていない場所がたくさんあって、そこに隠匿された物資があるのだろう。


『捕虜になってもおとなしくしているつもりないって事かな』

『そうかもしれません』

『だったら、上手く使えるかもしれないな』

『……』


 レフが木の陰から出た。距離を置いて3人を付け始めた。顔に疑問を浮かべるシエンヌに、


『彼らが何処に帰るのか確かめておこう』


 頷いてシエンヌもレフの後から付いてきた。長い距離を歩く必要はなかった。捕虜が収容されている元兵舎は200ファルも離れてはいなかった。


『あそこは……』

『知っているのか?』

『親衛隊の訓練場があったところです。それに馬場と馬房も』

『捕虜を収容するために建てたにしては時間がないが……』

『たぶん、王宮内に駐留していた兵を、収容するために建てたのだと思います』

『そうか、アンジエームの攻防で駐留する兵が急に増えたものな』


 レフとシエンヌが見ているのは、如何にも急ごしらえとしか見えない5棟の3階建ての大きな建物だった。3人の男は近づくに従って用心深く足音を殺し、周囲を盛んに気にしながらそのうちの1棟の横に回り、壁としか見えないところに開いた入り口から入って行った。ぴたりと入り口が閉まるとあとはよほど注意深く見ないと分からないほどの継ぎ目が残るだけだった。

レフが感心したように、


『へぇ~、あんな仕掛けがしてあるんだ』


 親衛隊の中でも貴族出身者と平民出身者の間にはぎくしゃくしたものがあった。平民にとって親衛隊に入隊するのは大出世だったが、それでも本当に中枢に近いところは親衛隊の中では少数派の貴族出身者が占める。訓練生の頃からシエンヌは平民出身者との間に乗り越えるのが難しい壁を感じていた。平民出身者だけで何かをしている、何かを持っている、彼らだけが知っている何かがある。世間ずれしてなかったシエンヌはそれ以上のことは分からなかったが、親衛隊の平隊員の宿舎にもこんな仕掛けがあったのかもしれない。


『今日は王宮内の地理も知りたい。シエンヌ案内してくれ』


 レフとシエンヌの探知能力があれば誰にも見つからずに王宮内を、特にそれが屋外であれば動き回ることは難しくない。この広い王宮に僅か1個師団しかいないのだ。その上城外への警戒と捕虜の監視に人を取られている。当然王宮内の監視の目は粗い。2人は足早に王宮内を回り、夜が明ける前に転移の魔器を使って自分たちの部屋に戻った。





「捕虜になった兵達が武器を隠している?」


 レフの話を聞いたアリサベル王女の反応だった。夜明け前に帰ってきて、短い仮眠を取って、朝食後の会議だった。


「まだ戦う意志があると言うことか?」


 ベニティアーノ卿の問いに、


「さあ、武器と言っても僅かなものだ。例え数百振りの剣を揃えても捕虜の1割も武装できない。単に無腰では不安で仕方がないから、かもしれない」

「でも、戦う意志があるなら……」

「御意、我々の攻勢に合わせて内部から攪乱できるかもしれません」


 王宮内には、それを囲んでいる王国軍よりも多い帝国兵がいる。普通ならとても攻略できる条件ではない。しかし、囚われている捕虜を活用できるなら王国軍の方が多くなる。それでも守備側の3倍という数には到底及ばないが、その半数以上が既に王宮内にいることを考えると、上手く活用すればと考えるのは当然だろう。可能なら王宮を奪還したい、旅団の司令官としてイクルシーブ上級千人長はそう思うのだ。


「そのためには捕虜の士気と武装具合を確かめなければならない」


 レフの指摘に、


「ロクサーヌに命じましょう。レフ殿、彼女を連れて王宮に行ってください。親衛隊十人長ならロクサーヌが知っている可能性が高いと思いますから」

「ロクサーヌ?嫌がるんじゃないか。私達と一緒に行動するのは」


 ルビオと違ってロクサーヌはレフ達と馴れ合わなかった。個人的な口をきくこともなかったし、いつもアリサベル王女の後ろで固い顔をしている。


「そういう感情より作戦の都合が優先します。私が命じれば否やはありません」


 王宮に侵入したとき、レフは王宮内に転移の魔器を設置してきた。それを利用すれば再度の侵入は難しくない。

 親衛隊は他の部隊より規模が小さい。それだけ内部の結びつきが強く、ベテランの兵長であるロクサーヌなら士官とは顔見知りである可能性が高かった。顔見知りならいろいろな情報を共有し、共同行動を提案することも可能だろう。


「武器が問題だろうな。外からどれくらい運び込めるのだ?レフ」

「私と一緒に2~3人転移して、1人が10振りの剣を持っていくとして、……それだけの質量を転移させるのだ、私の魔力では1日に4回ほどが限度だろう」


 手に触れているものしか一緒に転移させられない。レフが触れている人間が持っているものも転移できるがそれが限度だ。転移させるものの質量だってある。レフの魔力でもその程度が限度になる。レフ以外の魔法士が転移の魔器を扱えたとしても、その魔力では自分が4~5本の剣を持っていくのが精々だろう。他人を一緒に転移させることはできない。そして今のところ転移の魔器を扱える魔法使いはレフ以外にはシエンヌしかいなかった。





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