第65話 帝国の目と耳
「久しぶりだな、レフ」
差し出された手を握り返しながら、
「そんなでもないだろう、この前ガラス基材を調達してもらってからそんなに経ってないぞ」
「いや、あのあと、王宮が帝国軍に陥とされて、国王陛下が脱出された。帝国軍主力はロッソルへ行った。あんた達アリサベル旅団はジェイミールを始めとするテルジエス平原を席巻して帝国支配から解放した。そして今度はアンジエームの街を帝国軍から取り返した。本当に目まぐるしく情勢が移り変わるからな、ドンドン時間が経っていく感覚だな」
エガリオ・ザラバティが肩をすくめながらレフに答えた。
「それで、頼んでいたものは?」
「ああ、これだ」
エガリオがレフにぺらぺらの紙を2枚手渡した。レフがそこに書かれていることにざっと目を通した。人名と住所を列挙した表だった。
「結構居るものだな」
「大体は網羅していると思うぜ、中には何十年も王都で生活している奴も居る。そいつらが本当に帝国の目と耳かどうかは、あんたとあの赤毛の嬢ちゃんがいれば簡単に見分けられるだろう。だから多少不確かな連中も入っている」
「分かった。いきなりの強行手段は取らないようにするよ。きちんと確かめてから排除しよう」
紙を丁寧に折りたたんで、レフは懐に入れた。
「で、あんた達はアンジエームにしばらく居るのかい?ジェイミールやキェルラゲのように直ぐに放り出すのかい?」
「ロッソルの帝国軍次第だな。あいつらがロッソルで王国軍とやり合うならしばらく居るし、こちらを重視して引き返してくるなら逃げ出す」
レフにとってはアンジエームも只の街だ。まあ、他の街より規模が大きいが、特に思い入れがあるわけではないだろう。しかし、アリサベル旅団の他のメンバー、特に王家の一員であるアリサベル王女にとっては王都というのはそう簡単に捨てられるものではないのではないか、とエガリオは思っていた。“逃げ出す”というのがアリサベル旅団全体の意思なのか、レフだけの考えなのか、見極める必要がある。
「そうか、あんたはどっちの可能性が高いと思っているんだ?」
「ロッソルを捨ててこちらへ方向転換することはない、と思うがな。ロッソルの王国軍に背中を見せることになるから」
王国軍の主力が何処にあるか考えれば当然の結論だった。主敵に背中を見せて、支軍を相手にするなど普通は考えられない。尤もロッソルにいる帝国軍の司令官は人の意表を突くのが好きそうだから、ひょっとしたらとは思っていた。
「そうだろうな。だが、あんた達アリサベル旅団もここに長く腰を据える気はないんだろう?」
出来るだけの情報を引き出しておこう、アリサベル旅団はアンジエームを捨てることが出来るが、ザラバティー一家は支配者が帝国であろうが、王国であろうがアンジエームで生きていかなければならない。アンジエームのような大きな街であれば人の営みの表に出せない部分を糧に生きていくことが出来るが、そんなおこぼれが期待できない小さな街では生きていけない。ジェイミールやキェルラゲのような比較的大きな街には既にそこに根を張った裏社会があり、それを排除して成り代わったとしてもアンジエームほどのうまみはない。表に出せない営みというのは街が大きければ大きいほど美味しくなるのだ。まして“都”と言うことになれば香辛料はさらに増える。
「ああ、出来れば王宮の帝国軍に一撃加えたいと思っているが、無理をする気はない」
隙あらばとは思っているのだ。そうでなければ街に残された帝国の目と耳を潰そうとは思うまい。
「そうか」
「だからエガリオもアリサベル旅団と親しいなどと思われないようにしておいた方が良い。私達が撤退したあとややこしいことにならないようにな」
調子に乗ってアリサベル旅団におおっぴらに肩入れして、その後また帝国が支配するようになったら目も当てられない。何しろ戦の帰趨の天秤はエガリオ達の目から見ても、まだ帝国の方に傾いているのだから。それに、アリサベル旅団がエガリオの都合を考えて動くなどあり得ない。
「ああ、気をつけよう」
「いずれにせよ、これについては礼を言う。具体的な報償は戦が終わってからになるが」
「ああ、期待して待ってるぜ」
レフの、そしてレフを通してアリサベル旅団の考えを知るだけでエガリオにとっては充分な報酬とも言えた。
「じゃあ」
レフは手を振って出て行った。エガリオが使っている中でも、知る人間が一番少ない隠れ家の一つだった。エガリオに付いてきているのもロットナンとダナの二人だけだった。レフが閉めた戸を見つめてじっとしているエガリオに、
「エガリオ様。あいつは本当に王宮に手を出すつもりなのですか?アリサベル旅団とは言っても、王宮を守っている帝国軍第10師団の半分の人数ですよ。まああいつの魔力が以前とは比べものにならないくらい伸びているのは確かですけれど」
溜めていた息を一気に吐き出すようにダナがエガリオに向かって言った。
「ダナ、お前もそう感じるのか?レフからの圧力が随分強くなったと思っているのは俺だけじゃないんだな」
「とんでもない魔力ですよ。あれが敵でなくて良かったと思いますね」
レフから感じる圧力を想い出したようにダナはブルッと震えて両手で肩を抱いた。
「あの魔力、……怖ろしい」
「お前にそう言わせるほどのものなのか?」
「少なくとも私はあれほどの魔力を持った人間を知りませんね。レクドラムへ行った頃はまだ親衛隊の上級魔法士くらいかなと思っていましたが、今はとてもそんなものでは収まりませんね」
ダナの言葉にロットナンも反応した。
「エガリオ様、あいつがその気になれば私とダナでは止めきれません。危ない橋を渡っているのですよ」
「そんなことは分かっている。だが、アンジエームにアリサベル旅団がいる今、あいつがその気になれば裏社会などペシャンコにするのは簡単な話だ。何せあいつはザラバティー一家の隅から隅まで知っているのだからな。だから逆らわずに今はご機嫌を取っていた方が良い」
アリサベル旅団がいなくてもレフ一人でザラバティー一家を蹂躙できるだろう、エガリオはそう思っていた。帝国軍とレフと――その仲間――の間のバランス取り方が難しそうだ。しかしレフは俺がそういう日和見をすることを余り気にしないだろう、さっきの言葉を聞けば。
「でも、本当に王宮に手を出すのかしら?」
ダナが最初の疑問を繰り返した。
「アンジエームに残っている帝国の目と耳を潰すというのは、帝国に少なくとも直ぐには知られたくないことをしようとしているのだと思いますが……」
「さあ、分からん。だがレフのことだ、何か企んでいるに違いない。でなければ、アンジエームにいる帝国の目と耳の情報を寄越せなどと言っては来るまい。俺に借りを作ることになるからな。そんな計算無しに動く奴じゃない」
「いったいどうやって半分の勢力で王宮を攻めるのか私には見当も付きませんがね」
「さあてな、まあ、俺たちに何かしろと言っているわけじゃない。ゆっくり見物させてもらおう」
ロットナンにはそう言いながら、エガリオはレフがやることにわくわくした気持ちを持っていた。
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