第63話 アンジエーム市街奪還
その同じ日の夜、アンジエームの東側の市壁にはしごを掛けて登る兵士達がいた。アリサベル旅団、レフ支隊だった。
1個師団で守るにはアンジエームの街は大きすぎた。住民達も協力的ではないから市街で怪しい動きがあっても通報されることは少なかった。それでも何もせずにいられるわけもなく、帝国軍はアンジエーム市街にパトロール隊を出してはいた。しかし街中の巡回はおざなりで、市壁の上の巡回通路でさえ警備は手薄にならざるを得なかった。
市壁を乗り越えようとするとき、レフとシエンヌの探査能力であれば巡回する帝国兵の隙を突くことなど簡単だった。1個小隊で構成された巡回部隊が行きすぎれば半刻は近くに帝国兵はいない。支隊の60人が登り切るのに僅かな時間しか掛からなかった。はしごは壁の下に待機していた兵が片付けた。
東市門はアンジエーム攻防戦で破壊されて、応急修理されただけで放置されていた。3個小隊、30人の兵士が交代で警備していたが、ジェイミールの陥落以来、それが半個中隊、50人に増やされていた。レフを先頭に支隊は灯りも付けず巡回通路を走って門に近づき、歩哨を排除し、東市門を警備する帝国軍の詰め所になだれ込んだ。
帝国軍第10師団――アンジエーム残留部隊――が異変に気づいたのは真夜中だった。西市門の警備隊から、
「内側から攻撃されている!」
という連絡を最後に全く応答がなくなり、慌てて連絡した東市門の警備隊も全く沈黙したままだったからだ。
アンジエーム市街を巡回している小隊単位の8組のパトロール隊が交代の時間になっても、1組も帰ってこなかった。市内巡回に関しては、まだ反帝国感情が根強く残る情勢を考慮して、毎回同じ道順で回るのではなく、詳細な道路地図を基にいくつもの巡回路を設定し毎回違う路を通らせるようにしていた。同じ時刻に同じ場所を回ると襲撃されやすくなるからだ。しかもどの路を通るかを決めるのは出発直前にするという念の入れようだった。しかし、パトロール隊は巡回路を早足で通り過ぎ、急いで詰め所に戻ってくるのが常だった。
報告を受け、王宮内の帝国軍司令部に緊張が走った。1組か2組のパトロールを襲うなら少数の、せいぜい数十人の兵力があれば良いだろうが、8組全部を襲うとすれば、かなりの規模の人数が必要だ。パトロールの順路が分からなければ空振りになる襲撃隊もあるだろう。それを計算に入れると、8組のパトロール隊全てを襲うには2倍から3倍の数の襲撃隊が必要だろう。しかも襲撃されたと思われるパトロール隊から一人も逃げてきていないことを考えると、一つ一つの襲撃隊もパトロール隊より人数が多いことが想定される。それに訓練もされてない住民達が武器を持って立ち向かってきたとしても、それが倍の数であっても正規兵が後れを取ることなど考えられない。一人も戻ってきてないこと、東と西の市門の警備隊が制圧されていることを考えると、王国軍正規兵が少なくとも大隊規模でアンジエーム市街に入っていることが想定された。
――アリサベル旅団だ――
当然帝国軍の高級将校達はそう考えた。
――糞ったれが、てっきりロッソルの方へ行くと思っていたのに――
今の主戦場はディアステネス上将率いる帝国軍と西から来た王国反攻軍がぶつかるロッソルだろう。だから、アリサベル旅団もそちらへ行く可能性が高いと、ディアステネス上将をはじめとする帝国軍上層部もそう考えていた。
第10師団司令官マリストイ下将はアンジエーム市街警備に出していた兵を引き上げ、全ての帝国兵を王宮に集め、厳戒態勢を敷いた。ディアステネス上将から市街部分の放棄を許可されているから、取りあえずの被害を抑えて夜明けを待つつもりだった。
「それではアンジエーム市街を
副官の疑問に、
「やむを得ない、暗闇の中で遭遇戦などやってはどれだけ損害が出るか分からない。アンジエーム市街の地理は
アンジエームは王国兵の地元だ。土地勘を体感として持っている。いくら詳細な地図があっても、周囲を見通せない暗闇の市街でそんな兵と戦って勝てるわけがない。
次の日の朝、マリストイ下将はズシン!という音で目覚めた。昨夜は夜中に起こされて、その後、兵を王宮に引かせて、警戒体勢を取らせるなどいろいろ手配をして結局1刻ほどしか寝ていなかった。なんの音かと上半身を起こしたとき従兵が慌てて飛び込んできた。ノックするのも忘れたようだ。
「閣下!」
「何事だ?」
「敵が、おっ、王国兵がっ」
「落ち着け、敵がどうした?」
「王宮前広場に」
またズシンという音が聞こえた。先ほどの音より大きく、近いようだ。同時に床が少し揺れた。
「あれは?」
「王国兵が王宮前広場に布陣しております」
マリストイ下将は小さく舌打ちをした。
――堂々と姿を見せるのか――
夜着を素早く制服に着替え、部屋の外へ駆け出した。王宮の廊下は右往左往する帝国兵で混乱していた。下将は自室のすぐ側に設けられている司令部へ飛び込んだ。入ってきた下将を見て司令部にいた全員が起立し、姿勢を正して敬礼した。
「説明を」
「はっ」
副官が下将の前に進み出た。上級百人長の階級章を付けている。寝ていないようで眼に下にどんよりした隈ができていた。
「
またズシンという音と微かな揺れが感じられた。
「あれは?」
「
投石機は王宮内には持ち込んでいなかった。持ち込む必要を感じなかったのだ。
またズシンという音と振動だ。
「やられてみると嫌なものだな」
「はっ、どうせ嫌がらせにしかなりませんが」
「で、敵はどれくらいなんだ」
「王宮前広場の端に、王宮から最も遠いところに盾を並べて布陣しているだけだでありますが、見える範囲では全部で千もいないかと」
帝国軍が王宮前広場に構えていた簡易の櫓や防御のための陣はさすがに撤収していた。分解した柵や板、盾などはロッソルへ向かった主力軍が持っていった。
「千?アリサベル旅団だろう?」
「はっ、そう思われます」
「それなら半個師団、5千はいるだろう」
「全部を我々には見せていない可能性が高いと」
「少数と侮って出て行くと隠しておいた兵で攻撃する訳か。見え透いた罠なのか、本当に少数なのか。北はどうなっている?」
「北門の方には王国兵は見えません」
「王国兵がいない?」
「はっ、あちらは身を隠す場所もありませんから、本当に配兵していないものと思われます」
「北を開けていても我々がそこから逃げ出すことなどないと考えているのだな」
「はっ」
この短時間でこれだけのことを把握しているのはさすがだった。
帝国軍が一戦もせずに王宮を明け渡すはずもない。だからもともと多くもない兵力を分散させずに南門だけに集中させたのだ。街の住民にも王国軍が健在だとアピールできる。
「とにかく
マリストイ下将は、帝国軍の攻撃で破壊されなかった塔に登って王宮前広場に布陣したという王国軍を見てみることにした。
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