第62話 ロッソル
ロッソルの補修された市壁を遠くに見ながら、ディアステネス上将は思わずつきそうになるため息を押し殺した。弱気になっているわけではないが、思い通りには行かなかった。
ロッソルは小さく突き出た半島の付け根に造られた街だ。半島が東に湾曲しているため、東岸の方が外海からの波が穏やかで港が造りやすく、ロッソルも半島の東側に建設されていた。当然のように市壁に囲まれているが、今ディアステネス上将が見る市壁は、壊れていた部分が補修され、盾を並べ、一段と高く櫓が組み立てられていた。
反攻のための王国軍が陸路と海路に分かれて西進してくるのは、ルルギアの近くに配置してある目と耳の報告で分かっていた。いつ出発して、どのくらいの規模かもきっちり報告されていた。その報告を受けて、ディアステネス上将は迎え撃つ計画を立てた。基本は“陸路を来た軍と海路を来た軍が合流する前に個別に叩く”ことだった。
海路を来た軍が上陸するのはロッソルしかない。おそらく陸路を来た軍がロッソルの防衛をしている間に海路を来た軍が上陸する手はずだろう。陸路を来た軍がロッソルに着く前、少なくともロッソルに着いた直後に叩くつもりで帝国軍を進めるつもりだった。それがうまく行かなかったのには理由があった。王国側と帝国側の両方に。
王国側の理由一つは、陸路を来た第三軍が、帝国軍が予想したように途中で規模を大きくするために領兵を徴集する、などと言うことをしなかったことだ。二つ目は最低限の物資だけを持ってひたすら急いだことだ。兵站は海路に任せてしまった。先にロッソルを抑え、守りを堅くすることをひたすら目指したのだ。
守りを固めたロッソルを前に、ディアステネス上将は王国第三軍の司令官、ガストラニーブ上将が「攻めのルドメ、守りのガストラニーブ」と呼ばれる存在であること思い出していた。
帝国軍側にも理由があった。帝国軍にとってゼス河の東は敵地だった。敵地を只前進するだけでは背後を突かれる。だからアンジエーム・ルルギア間の主街道であるクィンターナ街道沿いの王国領は平定しておきたかった。アンジエームに近い領からはアンジエームの防衛にかなりの領兵を出していたと聞いていたからそれ程難しくなく平定できると思っていたが、領主達は意外なほどねちっこく帝国軍に抵抗した。正面から戦いを挑むのではなく、先行する偵察部隊だけを攻撃して直ぐに姿をくらませたり、最後尾の部隊に横から矢を射かけたり、帝国軍からかなり離れた後ろからわざと目立つように追尾したり、要するにハラスメントに徹して決着を付けようとしなかった。追いかけても地の利を生かしてするりと逃げてしまう。
しびれを切らした帝国軍が領主館や集落を焼き討ちしても糠に釘だった。それでも焼き討ちされたことに激昂した領主が2人ほど抵抗したが、帝国軍に簡単に殲滅された。それ以降は正面から帝国軍に挑む王国の領軍はいなくなったが、しつこく纏わり付くのは止めなかった。
この王国貴族の領軍の遣り方にコスタ・ベニティアーノからの示唆が大きく影響していたことには帝国軍は気づかなかった。
帝国軍の一番の懸念はアリサベル旅団の動きだった。ロッソルを攻撃しているときに後ろから襲われたら厄介だ。それを警戒するために1個師団を最後尾に貼り付けた。絶えず後ろを気にしての行軍はどうしても遅くなる。またロッソルを前に布陣したときも1個師団に後ろを警戒させた。それが王宮への攻撃などで死傷者を増やしていた帝国軍のロッソル攻撃部隊の兵員をさらに減らすことになった。もともと1個師をアンジエームに残したため5個師で出てきていたが、、結局ロッソル攻撃に使える帝国軍は3万5千程度でロッソルを守る王国第三軍と大差がなくなっていた。
しかし、一番大きかったのは、ジェイミールの陥落だった。レクドラムの戦い以来久しぶりに両軍がほぼ同規模の軍で戦ったのだが、帝国軍の惨敗だった。帝国軍が国軍ではなく警備隊であったという事を差し引いても、ジェイミール駐留帝国軍がアリサベル旅団に一掃されたのは帝国軍にショックを与えた。アリサベル旅団はジェイミールに置いてあった帝国の目と耳を刈り取っていったようで、アンジエームの帝国軍に詳細な情報がなかなか届かずそれがまた帝国軍が方針を決めるのを遅らせた。問題は帝国軍主力が、西進してくる王国軍を迎え撃つためアンジエームを離れた後のアンジエームの防衛だった。手薄にすればジェイミールの二の舞になる恐れがあった。かと言って充分な守備隊を置けば王国反攻軍に対する力が落ちる。結局ぎりぎり1個師をアンジエームに残すことが決まった。ディアステネス上将は留守部隊に決まった第10師団の司令官、マリストイ下将にいざとなればアンジエームの街を放棄する許可を出した。1個師団で守るには広すぎるのだ。その代わり王宮は死守する事を命じた。帝国の勝利の象徴だと言うだけでなく、王宮攻防戦で得た約8千の捕虜がいたからだ。彼らが解放されてまた対帝国の戦線に戻るようなことがあると、具体的に敵の数が増えると言うだけでなく、王国軍の士気を高める事が予想された。
「なんだか固そうな備えね」
いつの間にか上将の横に来ていたドミティア皇女がロッソルの市壁を見ながら言った。
「ガストラニーブ上将は守りに定評がありますからな」
皇女の方を見もせずに上将が答えた。
「それに
上将の作戦の失敗を指摘する様にも聞こえる皇女の言葉に、
「今日の午後にもゾルディウス王とドライゼール王太子の乗った船団がロッソルに入港するでしょう」
「いよいよ
「そうですな。人数だけは我々より多くなりますな」
「警戒しないのね、アリサベル旅団はあんなに気に掛けていたのに」
「上陸して、荷を下ろして、態勢を整えて街から出てきて我々と睨み合う。まあ3日は掛かりますな。それだけの時間があれば情勢がかなり変わるでしょうな」
「どういうこと?」
「第3軍をルルギアの守りから引きはがしました。ガストラニーブ上将ごと」
「そうね。だから?」
「王国軍はデルーシャ、レドランドからの援軍を第3軍の穴埋めにしたつもりのようですが、数は変わらなくても質はどうでしょうな」
以前に上将が皇女に説明したことだった。統一した指揮系統もできてない軍など恐れるに足りない。例え個々の兵が精強であっても。
「陛下がそれを見逃すなどと言うことは考えられません。ルルギアへの攻勢を強める様命令されるでしょう。その攻勢にどれだけルルギアが保つか、大いに疑問ですな」
「ルルギアが陥ちれば……」
「王国の東に大穴が開きますな。そちらが気になって我々に対する全力での反攻などできるわけがありませんな。特に王と王太子で意見が対立することが多いと聞いていますからな。攻勢と守勢、どちらがどんな意見を出すかは分かりませんが、一致するまでには結構時間が掛かるでしょうな」
「で、ディアステネス上将としてはどう予想しているの?」
「
ディアステネス上将の思惑通り、このときルルギアへの帝国軍の攻勢は強まっていた。ただディアステネス上将の予想を上回ったのは、この攻勢をガイウス7世が直接主導していたことだった。皇帝の親征という形になって帝国軍の勢いは常にも増して激しいものとなっていた。
――このままロッソルの王国軍がぐずぐずと手をこまねいていれば、東から侵攻してくる帝国軍とで挟み撃ちに出来る――
自分の手で王国西部の情勢の決着を付けるという、アンジエームを出たときに考えていたことは無理そうだが、だからと言って王国側に天秤が傾いたとはディアステネス上将は決して考えていなかった。
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