第61話 ジェイミール制圧 2

「ストダイック百人長」


 呼ばれて振り返ると直ぐ後ろにレフが3人の女を連れて立っていた。詰め所の制圧が終わり、負傷者の手当と捕虜達の後送を命じたところだった。味方に2人の戦死者が出てその確認も終わっていた。本隊はとっくに街中に攻め入っている。四方八方から金属を叩きつけ合う音や男達のおめき声が聞こえる。


――この俺が、これだけ接近されて気づけなかった――


 これもレガト・ストダイック百人長の思いの一つだった。訓練中も気づかないうちにレフに後ろを取られていることが度々あったのだ。レフが意識してそうやっているのではない。普通に近づいているつもりだったが、シエンヌかアニエスでもなければたまたま死角になっている方から近づくレフに気づくことはできなかった。まだジェシカの方がストダイックより敏感だった。


「支隊は私に付いてこい」

「は?」


 何を言われたか一瞬分からなかったが、聞き返そうとしたときには既にレフ達は街中に向かっていた。


「全員後に続け」


 負傷して戦闘力の落ちている兵に捕虜の後送を命じて、慌ててレフの後を追った。付いてきたレフ支隊の数は60人に減っていた。時々思い掛けない方向に曲がることもあったが、背の高い塔が見えてくると、エンセンテ宗家の館に向かっているのが分かった。まっすぐ館に向かわないのはどうやら敵兵を避けているからだとストダイックにも分かった。移動しながらこれだけ正確に索敵できるというのも、ストダイックにとっては驚きだった。


 狭い道から飛び出そうとしたところでレフが手で止めた。


「見ろ」


 そこから広い道に出て右に20ファルも行けばエンセンテ宗家の館の正門だった。3個中隊ほどの帝国兵が正門前に集合して整列していた。


「間に合ったな、まだ館から出てきてないようだ」


 正門近辺に集まっていた帝国兵が姿勢を正した。館の扉が開いて、正門に続く道を帝国軍将軍の軍装をした男が歩いてきた。ルカルニエ・マイニウス中将だった。直ぐ後ろに上級魔法士長を従えている。レフがマイニウス中将に向かって顎をしゃくった。それを見たアニエスがレフの側に来た。


「あれを?」

「魔法士が先だ」


 アニエスが体の前で手掌を10デファルの間隔を置いて向かい合わせる。その間に光球ができる。わざと明度を落としていたが圧縮すると明るくなる。まだ夜明け前の薄暗い中ではその灯りは目立ったがそれがふっと消えた。同時に悲鳴が上がって帝国軍の魔法士長の体が後ろへ斃れた。


「何だ!?」


 帝国兵がざわめき始めるひまもなく、今度はマイニウス中将が弾かれたように倒れた。


「閣下!」


 マイニウス中将の護衛兵達が悲鳴を上げた。慌てて周囲を囲んだ護衛の輪の中でマイニウス中将はピクリとも動かなかった。


「あそこだ!」


 薄暗い中で熱球の明るさは目立つ。続けて2発も撃つと当然帝国兵にも気づかれる。レフ支隊に対して向き合うように隊形を変えた。


「士官は分かるか?」


 帝国軍に見つかってもレフは落ち着いていた。


「はい」

「士官と魔法士だけでいい、できる範囲で排除しろ」

「はい」


 アニエスはもう手掌の間に光球を作っていた。

帝国兵は3個中隊規模だったが3人の百人長の他に千人長が1人いた。その千人長がレフ支隊の方を指さした。


「あっちだ」


 薄明かりの中でも襲撃者達が小人数であることは分かる。


「敵は小勢だ、一気に踏みつ……」


 そこまで言ってアニエスの熱弾に頭を撃ち抜かれた。


「ひるむな、かかれ」


 それでも残った百人長が叱咤した。

 喚声を上げながらレフ達の方へ走り出そうとした帝国兵に、レフが投げた魔器が2個、3個と飛んだ。その魔器にレフが起動用の魔力をぶつける。魔器は帝国兵の頭上で次々に爆発した。先頭の帝国兵がまとめて吹き飛ばされた。同時にアニエスの手から飛んだ熱弾が3人の百人長を撃ち倒した。突撃しようとしていた帝国兵の足が止まった。先頭に近いところにいる帝国兵には、爆裂の魔器で吹き飛ばされた戦友なかまの血が顔や体のあちこちに付いている。突撃を命じた士官は死んだ。周りは死んだり傷ついたりした戦友でいっぱいだ、そのうめき声が聞こえる。


「うわーっ!」


 数人が逃げ始めると歯止めが効かなかった。帝国兵はエンセンテやかたの正門前から蜘蛛の子を散らすように逃げていった。




 その夕刻、エンセンテ館の旧ディアドゥ・エンセンテの執務室で、王女を前にして深く頭を下げている男がいた。仕立ての良い、しかし皺だらけになった官服を着た小太りの初老の男だった。ディアドゥ・エンセンテが使っていた椅子に坐った王女に向かって、


「此度はアリサベル殿下のお力によりジェイミールを帝国の手から解放して頂き、御礼の言葉もございませぬ」


 言葉は丁重だったが、口調は平板だった。この戦の帰趨次第では今後ジェイミールがどうなるのか、様々な変転が考えられるのだ。いま帝国から王国へジェイミールの主権が移ったといってもそれがいつまで保つものか、保つとしてもそのためにどれほどの犠牲が必要とされるのか、再び帝国の手に落ちたときどんな代償を求められるのか、自分の手で決められることではないだけ、男の心には不安しかなかった。しかし、いまこの街の主になった王女を前にそんな考えを表に出すわけには行かなかったのだ。


「帝国の桎梏の元で苦労したのでしょうね、スブリクス卿」


 男――アルゴ・スブリクス――はディアドゥ・エンセンテの下で行政の責任者を務めていた男だった。その経験と知識が帝国軍政下でも必要とされ、エンセンテ館の1室に閉じ込められるという酷い待遇ではあったが、生かされていた。


「いえ、私の苦労など王家の方々に降りかかった災難に比べれば……」


 アンジエームの王宮が陥落したこと、国王が何とか脱出したこと、そしてジェイミールの主であったディアドゥ・エンセンテが戦死したことは既に伝わっていた。


 男にとってはあくまで建前で通さなければならなかった。王女も、王女の後ろにいる海軍高級士官の軍服を着た男も、領地持ちの貴族然とした男も、はっきり言えば気にくわなかった。戦が終わるまでこの状態が続き、どちらが勝っても講和が結ばれればまた男が必要とされる事態に戻るのが、男の望だった。若い頃からジェイミールの行政一筋に生きてきた男だった。ディアドゥ・エンセンテに重用され、敵国である帝国軍の施政下でさえその手腕を認められて処分を免れた。どう動くか分からない今の事態の方が男にとって遙かに望ましくなかった。


――余計なことをしてくれた――


 男の本音だった。


「当面あなたにこの街を預けるわ。ディアドゥ卿はアンジエーム攻防戦で戦死したようだから、戦後、エンセンテ宗家の扱いをどうするか決めるまであなたがこの街の責任者よ。しっかりお願いするわ」

「殿下は……、殿下はこの街に留まられないのですか?」


 テルジエス平原の他の大きな都市、キェルラゲ、サヴォン、レッツェがアリサベル旅団の手によって帝国軍から解放されたこと、しかし解放後はアリサベル旅団は言わば街を放り出してしまったことはよく知られていた。しかし、ジェイミールはそれらの都市とは違う、エンセンテの領都だっただけ、人口も多く、エンセンテ館も豪奢で、館でなくても王族を泊めて恥ずかしくない建物が幾つもあった。ひょっとしたら、という望をスブリクスは持っていた。


「残念だけれど、そういう訳にはいかないわ。アンジエームに駐留する帝国軍と真正面からぶつかるだけの戦力はまだないもの。テルジエス平原を動き回ってないと帝国軍あいつらに捕捉されてしまうわ」


 それでは困るのだ、ジェイミール、いやスブリクスの立場からは。


「しかし、今この街には戦力がありません、殿下の軍がいてくださらなければ匪賊の群れにさえ抵抗する力がありません」

「エンセンテ宗家の領から人を集めて領軍を新たに組織することは認めるわ。押収した帝国軍の武器は置いていくから自由にお使いなさい」


 アリサベル旅団が出て行けばジェイミールは裸になる。急ごしらえの領軍をでっち上げても、匪賊の群れならともかくアンジエームに駐留する帝国軍が来れば抵抗もできない。また手を挙げる羽目になるだけだ。その時に街の責任者として残された男を帝国軍がどう処遇するか、今度は生かしておいてくれるか、男には分からなかった。


「アンジエームの帝国軍についてはそんなに心配することはないと思うわ。ドライゼール王太子殿下の反攻軍がもうすぐ東から来ると思うから、多分帝国軍としてもテルジエス平原に構っている余裕はなくなるはずよ」


 それなら、アリサベル旅団をジェイミールに残してくれ。それに王太子の反攻軍が万一敗北したらどうなるんだ?この街は、この私は。胸の中の不安を懸命に隠しながら男はもう一度頭を下げるしかなかった。





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