第60話 レアード王子 Part Ⅱ
「お久しぶりですな、殿下」
レアード王子は目の前でことさらに丁寧な礼を取る男を睨み付けた。口の端がピクピクと震えている。
「貴様……」
動かせない右手で思わす腰の、いつも剣を吊っている辺りを探りそうになった。その動きに男の2人の護衛達がわずかに身構えたが、所詮は負傷し、武装解除された無力な捕虜だった。武器も無しにディアステネス上将に飛びかかっても上将だけで簡単に制圧するだろう。
王子が率いていた王宮親衛隊の中隊は帝国軍の包囲で壊滅し、その時レアード王子自身は頑丈な盾に逃げ道を塞がれて押しつぶすように倒されたのだ。その時に体のあちこちを負傷し、一番大きな負傷が剣を握っていた右手の骨折だった。最後まで剣を振り回して不自然な角度になった右手ごと押しつぶされた。剣を手放していなければ自傷していたかもしれない。怪我も骨折も丁寧に治療され、王宮内の一室に閉じ込められていた。さすがに元の王子の自室を使わせてくれるほど、帝国軍――ディアステネス上将――は甘くなかった。しかし一応はまともな居住区に閉じ込め、地下の牢を使わないくらいには優遇していた。王子がいるのは、下級の使用人用に作られたずらりと並んだ部屋の一番奥で、窓もなくドアを閉めてしまえば出入りもできない部屋だった。尤も10人以上で使う部屋に王子一人が閉じ込められているため広さだけはあり、粗末な木のベッドが一つ残されて、王子に供されていた。
「俺をどうするつもりだ?」
前回捕虜になったときには解放された。いろいろ帝国軍にも思惑があったのだろうが、その思惑に乗って王宮へ帰ってきたのだ。
そうレアード王子が訊いたとき、部屋のドアが開いて、レザノフ百人長の率いる護衛を従えたドミティア皇女が入ってきた。それを見てレアード王子が吃驚したように呟いた。
「ドミティア皇女……」
「お久しゅう、レアード殿下」
言葉は丁寧だったが、礼は略例、つまり格下の相手への礼だった。2人が顔見知りだったのはガイウス7世が即位する前に、まだ両国の交流があったときにドミティア皇女が王国を訪問したことがあったからだ。10年以上前で、ドミティア皇女はまだ幼女と言っていい年齢だったが、身分、年齢の釣り合いが良く2人を婚約させようかという動きもあった。ガイウス7世が登極していつの間にかそんな話は立ち消えになった。
「そなたが侵攻軍の将だったのか」
「はい、アンジエームには来たことがありましたから。ディアステネス上将を街案内することができましたわ」
「俺をどうするつもりだ?」
同じ問いを繰り返したが、今度はより乱暴な口調だった。レザノフ百人長がピクッと反応した。無礼だと感じたからだ。
「さあ、どうしましょうか、上将?」
ドミティア皇女に視線を向けられたディアステネス上将がおもむろに口を開いた。
「この前のように解放するわけに行きませんな。敵の王族を捕虜にする度に無条件で解放していては部下達に示しが付きませんし、王子殿下ご自身も王国の民から帝国との“特殊な関係”を勘ぐられるかもしれませんからな」
つまり上将はそんなことを繰り返せば、王子が帝国に内通しているのではないかと疑われると言っている。レアード王子の顔が真っ赤になった。そんな疑いだけは心外もいいところだった。
「それにゾルディウス国王陛下におかれては無事に王宮外に逃れられたようですので、第2王子であるレアード殿下まで解放するわけには行きませんでしょう、戦勝記念式典には是非おつきあい願いたいものですからな」
「貴様、いつかその口をねじ切ってやるぞ」
ディアステネス上将が薄く笑った。
「そんな機会が来るとよろしいですな」
「父上が脱出されたのだ、今に見ているが良い」
「そうですな、逃れるための秘密通路の扉が国王執務室に付属した仮眠室にあるところまでは把握しておりませんでしたからな、抵抗もせずにひたすら逃げ出すことに専念されれば追いつくことはできなかったというわけですな。まあ、もともと強いて捕らえる気はありませんでしたが」
「何を負け惜しみを……」
「王宮側の扉の位置は分かっておりませんでしたが、出口の位置は大体分かっていたのですな。わざとその辺りには配兵しませんでしたが」
「でたらめを言うな!俺でさえ知らない事をお前達が知っていたというのか!」
レアード王子は秘密通路の存在さえ知らなかった。
「アンジエームはもともとガイウス大帝が基礎を置かれた街ですな。王宮の位置に最初に砦を築いたのも大帝ですな。秘密通路もその時に造られたのですな。砦はその後増築、改築を繰り返して今の王宮になったわけですが、秘密通路はずっとそのままだったというわけです」
「何故、何故お前達がそんなことを知っている!?」
「帝国はガイウス大帝が築かれた神聖帝国の正当な後継者です。当然大帝が残された資料もあります。簒奪者共には渡さなかった大帝直筆の記録もあるのです。あなた達簒奪者の子孫には想像もできないでしょうけれど」
ドミティア皇女の言葉にレアード王子は悔しそうに唇を噛んだ。
アンジェラルド王国、デルーシャ王国、レドランド公国はガイウス大帝の死後、その旗下にあった将軍達がそれぞれに独立して作った国だ。フェリケリア帝国の皇家の間では簒奪者達と呼んでいた。さすがに関係が良好なときは大声にではなかったが。
「何故、陛下をわざと逃がすなんて事をする必要がある?陛下の元に王国民は奮起するぞ。帝国からの侵略者をたたき出せと」
ディアステネス上将が浮かべたのは、そんな素朴な考えを持っている王子に対する憐憫の笑いだったのだろうか?
「いいえ、そうはならないでしょう。多分国王陛下と王太子殿下の間で主導権争いが起きますな。なにしろ王太子殿下がやっとまとめた反攻軍に、名目上は上位に当たる国王陛下が加わることになりますからな。国王陛下が王太子殿下の手腕を評価して、そのまま反攻軍を指揮することを認めるようなら強敵になり得るでしょうが……」
ディアステネス上将はそこで言葉を飲み込んだが、レアード王子は上将が何を言いたかったか理解した。国王と、王太子で主導権争いをする可能性がある。
いや、高い。
王太子が自分に付いてくる軍を率いて港の海軍基地に移ったときのことを想い出した。2人の意見が対立して収拾が付かなくなったからだ。内部に不協和音を抱えているよりは、ということで王太子は王宮を出たのだ。その時は残った兵力だけで籠城戦を戦うには充分だと思っていた。
「“2人の意見の対立した将に率いられた軍は1人の将に率いられた軍には勝てない、例えその将が凡将であっても”、大帝の教えの一つですな。尤も戦力が互角であるという条件のもとですが。」
ディアステネス上将の言葉を聞きながら、レアード王子はわなわなと震えていた。
「それはそうと王国の立派な貴族の方々には王宮を出て戴きました」
「なに?」
「いや、ご自分の持ってらっしゃる貴金属や宝石で身代金を払うとおっしゃるものですからな、適正な額を提示された方々にはご自分の領地へ帰って頂きました」
適正な価格――つまり有り金全部――を払って、王宮から出されたのだ。着の身着のままで。テルジエス平原に領地をもつエンセンテ一門の貴族が多かった。彼らがアリサベル旅団の跳梁跋扈するテルジエス平原に戻ったところでたいしたことはできないと考えられたのだ。それに彼らが消費する食料の方が、帝国軍の考えでは勿体なかった。
しかし、国軍や領軍の兵士達は別だった。約8千の捕虜を解放すれば王国軍を強化する。戦争捕虜として売れば結構な値になる。それはそうなのだが、アリサベル旅団の所為でテルジエス平原を渡って帝国に連れて行くことができず、王宮内に監禁して無駄飯を食わさなければならないことが帝国軍の癪の種だった。
「ディアドゥ・エンセンテも出て行ったのか?」
「ディアドゥ?ああ、エンセンテ一門宗家の当主でしたな。彼は最後まで剣を捨てなかったため不本意ながら討ち取らせて頂きましたな」
「なに?」
「せっかくですので、王国が打ちのめされつつあることを民に報せるために王宮前広場に首を曝させて貰ってますな」
「名誉ある貴族に、そんな扱いを!」
「敗軍の将とはそんなものですな。殿下には早まった行動を為さらぬようご忠告申し上げます。ディアドゥ・エンセンテの横に殿下の首を置きたくはありませんのでな」
「出て行け、消えろ!」
レアード王子の我慢の限界だった。もともとそんなに我慢強い方ではないからこれだけの時間良く保ったといってよい。
「ご忠告はいたしましたぞ」
「おとなしくなさっていれば、祝勝会にはご招待いたしますわ」
つまり、それまでは生かしておいてやると言うことだ。
皇女と上将は軽く挨拶をしてドアを閉めた。閉めたドアに部屋にあった家具の一つが叩きつけられる音がした。
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