第59話 アリサベル旅団の方針

「そんな……」


 レフの報告を聞いたアリサベル王女が一旦中腰になって、それからもう一度腰を下ろした。いつも会議に使っている部屋だった。そこにアリサベル王女、イクルシーブ上級千人長、コスタ・ベニティアーノ卿、アンドレ・カジェッロ、それにレフが集まっていた。もう夕方に近い時刻で、まだ灯りを入れてない部屋は薄暗くなりかけていた。そんな中でもアリサベル王女の顔色が変わったのが分かった。


「王宮が1日もかからず陥ちるなんて、まさかそんな……」


 王女は今度も最後まで言えなかった。


「どこから帝国軍てきの侵入を許したのですか?橋は2本しかないし、堀は広くて深い。私には何処をどう攻めれば1日で王宮に侵入できるか見当も付かないが」

「正門、南側の門が破られたそうだ。どうやったのか分からないが正門の扉が周囲の櫓ごと吹っ飛ばされているということだ」


 イクルシーブ上級千人長の問いにレフが答えた。エガリオの手の者も戦闘場面を直接見られたわけではない。激しい戦闘がほぼ終わった頃に、怖々王宮前広場の様子を見に行っただけだった。


「気長に包囲していれば陥ちるだろうし、帝国軍の損害も少ない。この前まではそのつもりだったんだろうな」


 気長に待っていられなくなった最大の要因が――アリサベル旅団イレギュラーだろう。逃げ延びたドライゼール王太子の反攻は当然予想されていただろう。それでも味方に損害の少ない包囲戦を考えていたのに、これほど短兵急に王宮を攻め落とす事を決めたのはアリサベル旅団が出現して帝国軍の兵站を脅かしたからだ。後方――補給路――が脅かされるのは軍にとって、特に指揮官にとって悪夢だ。


「王宮を陥としたら、今度は私達の旅団を何とかするつもりかしら?」

「おそらく帝国軍にそんな余裕はないでしょう」


 イクルシーブ上級千人長の答えに、


「そうでしょうね、もうすぐドライゼール王太子にいさまが東から軍を率いてこられるでしょうから」

「はい、王太子におかれては冬が過ぎて海が穏やかになるのを待っておられたのだと思いますが、さすがに王宮が陥ちてしまえば急がれるでしょう」


 皮肉なものだ、帝国軍としては包囲してゆっくり料理するつもりだった王宮を、アリサベル旅団というイレギュラーが出てきた所為で急攻しなければならなくなった。海が穏やかになる春まで待って西下して、王宮内に残っている軍勢と合力して帝国軍に対抗するつもりだった王国軍は、それができなくなっても急行しなければならなくなった。王国の象徴である、王都と王宮を敵勢力に蹂躙させたままでは王国の威信が問われるからだ。帝国軍、王国軍両軍の激突を早めたのが僅か半個師団のアリサベル旅団だった。


「問題はその時私達アリサベル旅団がどうするかでしょうね」

「御意、本来ならばドライゼール殿下の軍の助攻をするべきなのでしょうが……」


 ベニティアーノ卿が、終わりの方の言葉を飲み込みながら言いだしたが、


「主攻と連携無しの助攻などあり得ない。変に突出すれば僅か半個師団のアリサベル旅団などあっという間に壊滅する」


 王国反攻軍との連携はレフが即座に切って捨てた。


「ドライゼール軍と連絡は取れないのか?使者は出したのだろう?」

「日程的にはもう帰ってきても良い頃なのだが……」


 ベニティアーノ卿の質問に対するイクルシーブ上級千人長の言葉にも力がなかった。


 今ドライゼール王太子が滞在していると思われるディセンティアの領都、エスカーディアまでは通心の魔道具を使っても直接の交信はできない。もっと性能の良い帝国制の魔器を使っても並みの魔法士では無理だろう。それでもいくつかの中継を挟めばドライゼール軍とアリサベル旅団の意思疎通を計れることは期待できた。だから魔法士を付けて使者――旅団でイクルシーブに次ぐ地位にあるロドイェル千人長――を出しドライゼール軍との意思疎通をスムーズにしようと試みているのだ。中継点の設置と同調させた通心用魔道具の入手ができればほぼリアルタイムで通心出来る。エスカーディアまでの往復の日数を考えてももう帰ってきていてよいだけの時間は経っている。


「イクルシーブ上級千人長、ドライゼール王太子にいさまの軍はいつ頃エスカーディアを出るかしら?」

「海も穏やかになってきています。もう出発していてもおかしくはありません」

「そんな時期になっているのにロドイェル千人長が帰ってきていない」


 レフの口調は辛辣だった。


「ああ、そうだ」

「それなら、我々はドライゼール軍の助攻などという行動を取ることは止めて独自に動くべきだ」


 アリサベル王女、イクルシーブ上級千人長、それにベニティアーノ卿が吃驚したような顔でレフを見た。アンドレ・カジェッロだけが面白そうな顔で、


「助攻しないとすればどうするんだ?あんたにはなにか考えがあるんだろう?」

「ああ、うまく行けばドライゼール軍を迎え撃つ帝国軍の数を減らすことができるかもしれない」

「おいおい、帝国軍とまともにぶつかればアリサベル旅団など壊滅すると言ったのはあんただぜ。どうやって旅団規模で、6個師団の敵を削ることができるんだ?」

「なにもアンジエームにいる帝国軍を攻撃するなんて言ってない。攻撃するのはジェイミールだ」

「ジェイミールを?」

「そうだ、ジェイミールを攻撃してできれば陥とす。あそこに駐屯しているのは警備隊だ。国軍に比べれば戦闘力に劣る。それがうまく行けばストラーザ街道沿いの街も同様に陥とす」

「それでどうなるの?」

「帝国軍が全力で出撃してアンジエームを空にしたらアンジエームと王宮をアリサベル旅団が取り返すかもしれないと思わせるのです、殿下」


 ことさら丁寧に辞儀をしながらレフが答えた。


「そうか、アンジエームの防衛に1個か2個の師団を残すならその分ドライゼール軍と対峙する帝国軍の数が減るな」

「残すとしても精々1個師団だろうが、多少は王国軍が楽になるだろうな。そう思わないかイクルシーブ上級千人長?」

「残さなかったら?帝国軍が全力で出撃したらどうする?」

「その時は本当にアンジエームを取り返せば良い。さすがに空っぽにはしないだろうが、連隊くらいの留守部隊なら排除することは可能だろう」

「そう……ね。不確かな助攻を試みるよりその方が合理的に思えるわね。ベニティアーノ卿はどう思うの?」

「ドライゼール軍との通心ができない以上、次善の策を取るしかありません。レフの提言は検討に値するかと」


 アリサベル王女の決断は早かった。


「いいわ、その方針で行きましょう。準備にどれくらい掛かるかしら?イクルシーブ」

「細かい作戦を立て、兵站を準備するとして、3日もあれば」

「いいわ、でもその3日の間にロドイェル千人長が帰ってきたらどうするの?レフ」

「その時はロドイェル千人長のもたらした情報をもとに再度検討しましょう」

「そうね」




 ドライゼール王太子は妹――アリサベル王女――が組織したという不正規軍イレギュラーなど信用していなかった。変に助攻を任せて却って足を引っ張られる可能性さえ考えていた。だから使者――連絡員――として来たロドイェル千人長と魔法士をドライゼール軍の序列に組み入れてしまった。ロドイェル千人長はベテランの海軍士官であり、アンジエーム海軍基地の攻防で大きな損害を被った海軍の立て直しには役に立つと思ったからだ。魔法士も貴重だった。序列に組み込まれてしまったロドイェルと魔法士は軍規によって戦列を離れることはできなくなり、ドライゼール王太子は出陣準備の忙しさの中でそんなことは失念してしまった。



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