第58話 王の脱出

 王宮の2里北にある草地の中に大きな岩が積み重なるように転がっている。その岩の1個がガタガタと音を立てながら横に動き始めた。ゆっくりと0.5ファルほど岩が動いて、その奥に暗い穴が見えた。その穴から出てきたのは王宮親衛隊士官の軍装をした兵士だった。階級章は十人長であることを示している。逞しい長身で、槍を構え、慎重に辺りを警戒しながら穴から全身を出し、周囲を見回した。ぐるっと一周見回した後、穴に向かって合図をした。合図を受けて魔法士が出てきた。親衛隊のローブを着ている。魔法士は穴から出ると膝をついてややうつむき加減になり、懸命に集中して周囲を探った。閉じた目の瞼がピクピクと動いている。しばらくその格好で探査した後、顔を上げて、


「大丈夫だ、近くに帝国軍てきの気配はない」


 その言葉を受けて先に出てきていた士官が穴に向かって、


「大丈夫です。帝国軍の気配はありません」


 岩戸の奥から王宮親衛隊百人長の階級章をつけた士官1人と一般兵5人が出てきて岩戸を囲むように警戒体勢に入った。その警戒の中で、次ぎに穴から出てきたのはアンジェラルド王国の王、ゾルディウス2世だった。直属の護衛兵4人が周囲を固めている。国王の後に、正妃、3人の側妃、その子供達が続き、王族の後に最後尾を警戒していた親衛隊員と王国政府の要人達、暗部の構成員が出てきた。50人ほどの国王一行が出た穴は再びガタガタと閉じられた。


「余の代でこれを使う事になるとはな……」


 閉じていく岩戸を見ながらゾルディウス2世が呟いた。小声だったが王のすぐ側で周囲に気を配っていた王宮親衛隊司令官フォルティス下将が、唇を噛んで目線を落とした。王妃達から嗚咽が聞こえた。側妃達の子供はまだ小さい、それぞれの母親にしがみついて懸命に泣くまいとしている。


「レアードが!!」


 悲鳴のような声を上げたのは正妃だった。


「レアードがいない!扉を閉めないで!」


 王宮側の扉は閉まっている。閉める時に後続がいないことは確かめたのだ。扉を開ける事が出来る人間は限られていて、レアード王子にはそれが出来ない。だから岩戸を開けていてもレアード王子が来ることはない。


「マルガレーテ!」


 もう一度岩戸を開けろと親衛隊司令官に懇願している正妃に王が言った。


「レアードは余を逃がすため、殿を務めたのだ。立派な振る舞いではないか」

「でっ、でも何もレアードが残らなくても……」

「王妃様、レアード殿下が帝国軍てきの足止めをして下さなかったら、陛下も危のうございました」


 レアード第2王子は軍を率いる才能はともかく、個人的武勇には定評があった。フォルテス下将の言ったように、帝国軍が王宮に攻め込んできたときも親衛隊の手勢を率いて何度も逆襲し、王が逃げる時間を稼いだ。


――おそらくテルジエス平原で活動しておられるアリサベル殿下への対抗心もあるのだろう――


 フォルテス下将の考えだった。


「レアード……」


 王妃が膝をついて両手で顔を覆った。涙が幾つも跡を残した。彼女は二男一女を産んだが一番可愛がっていたのは第2王子のレアードだった。


「陛下」


 声を掛けてきたのはディラン・オルダルジェ宰相だった。


「万一にも王宮あちら側の扉が見つかったら追っ手がかかります。少しでも離れておいた方が」


 オルダルジェ宰相の言葉に、王が直ぐ後ろに控えていた暗部の長に訊いた。


「そうだな。カルーバジダ、迎えはどうなっている?」

「はい、王宮を出るときに連絡しておりますので、あと小半刻から半刻もあれば来るかと」

「そんなにかかるのか?」


 フォルティス下将の詰問に近い問いに、


「20里、離れております。馬車を急がせてもそのくらいはかかるかと」


 暗部の長は表情も変えずに、身分上はずっと上位になる親衛隊司令官に答えた。


「いや、その程度ならここで待とう。妃や子達の足を考えるとその時間では遠くへは行けまい。追っ手が掛かれば直ぐに追いつかれるだろう。それならここで迎え撃つ方がましだ」

「確かに、岩戸から出さぬように戦えばこちらが小人数でもそれほど不利にはなりますまい」


 フォルテス下将の言葉に安心したように側妃と子供達が座り込んだ。王宮からの脱出道は2里だったが、追われるように気が急いて、暗い地下道も足下がぬるぬると滑り、歩いた距離以上の疲れを残していた。


 彼らが陥落寸前の王宮から脱出するために使ったのは、万一に備えて造られていた通路だった。石造りの隧道は定期的に暗部の手によって整備・点検されてはいたが、壁も足下も湿気ていてナメクジのような虫が這い回り、辛うじて周りの様子が分かる程度に灯火の魔法で照らされているだけで歩きやすい通路ではなかった。そこを歩いたあとで、普段鍛えてない妃や子供達はくたくたに疲れていた。ここにしばらく留まるという王の決断は彼らにとってありがたいものだった。


 王宮からの脱出路は今の王宮が建てられた時からあるものだった。現王宮の地にはかってガイウス大帝が建てた砦があった。その砦を建てるときに大帝が命じて作らせたものだった。アンジェラルド王国がフェリケリア神聖帝国から分離したとき、初代の王が砦を壊してそのあとに王宮を建てた。その後王宮は王国の国力が伸びるのに合わせて大きくなったが、脱出路はそのまま維持されてきた。王宮側の扉は王の執務室に付属している仮眠室の寝台によって閉鎖されている。扉を開けられるのは魔力パターンを登録された者に限られ、このときで王、王太子、王宮親衛隊司令官、暗部の長だけで、宰相にも開閉できなかった。ごく限られた者しかこの通路のこと自体を知らず、妃も子供達も、フォルテス下将以外の親衛隊員もこの時まで知らなかった。


「ドミティア・ルファイエ、マクレイオ・ディアステネスめ、今は暫時の勝利を祝っているか良い。必ずお前達を王国領から蹴り出してやる」


 王の呪詛は、籠城中に何度も降伏勧告を寄越したドミティア皇女とディアステネス上将に向かっていた。


 ドライゼール王太子が反攻のための軍を編成したという情報は伝わっていた。ルルギア近辺の攻防は第三軍を反攻軍として西に割いても、デルーシャ、レドランドからの援軍が加わって、数の上では帝国軍と拮抗している。アリサベル旅団がテルジエス平原の帝国統治を破壊している。そう言う情勢を考えるなら、例え王宮が陥ちても、王国にとって絶体絶命と言うほど追い詰められていないというゾルディウス2世の判断は的外れではなかった。


 半刻も待たずに彼らを収容するための馬車が来た。王族を乗せるための豪華な馬車ではなく、主には兵員輸送に使われるような馬車だったが、疲れ切った妃や子達にはそれに対して何か言うほどの元気も残っていなかった。

 20里ほど離れた場所に設置してある暗部の秘密基地から来た馬車だった。脱出路の維持、管理のために設けられた基地だったが、岩戸から離れているのは岩戸が余りにアンジエームに近く、基地の存在を隠すのが難しかったからだ。そのため通路を逃れてきた者を収容するのに時間が掛かるが、直ぐ見つかるところに基地を設けるよりましだと考えられた。


 王族一行を乗せた馬車は東へ向かった。暗部からの人員を加えて一行は70人近くになっていた。一晩休まずに走れば翌朝には王国の勢力圏――安全地帯――にたどり着けるだろう。疲れ切って、馬車の乗り心地にもかかわらず眠ってしまった王妃や子供達を乗せて一行は東へ向かった。





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