第56話 皇女と将軍 Part Ⅲ 1

「やっかいな相手よね」

「たしかにやっかいですな」


 ディアステネス上将の執務室には上将とドミティア皇女しかいなかった。丈の低い机を挟んで対面して坐っている。ディアステネス上将の女性副官は皇女に茶と茶菓子を出すと退室していた。椅子は一応皇女の使っているものの方が格上だった。普段は隣の予備室にしまってあるものだ。ドミティア皇女はしばしば上将の執務室を訪れるがその度に予備室から出されて設置される。

 ディアステネス上将は自分の前に置かれた茶の中に蒸留酒を自ら注いで飲んでいた。ドミティア皇女は僅かに顔を蹙めたが直ぐに表情を消した。もう外は暗い、上将も皇女も目の前の仕事は終わらせていた。つまり今は非公式の顔合わせだった。


「追わないの?敵――アリサベル旅団――は5個大隊ほどの規模と聞いているけれど」

「追っても捕まりませんよ。テルジエス平原は広大です。あの中で半個師団の兵など隠れるところが何処にでもありますからな。奴らが帝国人を追い出したところに留まっていてくれれば話は別ですが」


 アリサベル旅団によって、テルジエス平原の7割の土地から帝国の軍政機構が排除されていた。今帝国が支配しているのはアンジエームに近いところだけだった。アリサベル旅団は軍政機構を叩きつぶすだけでその地に留まらない。あとは元の支配層に近い人間達がその地を治めるようになる。そんな地には軍事力など殆どないので帝国軍が行けばまたすぐ帝国の支配下に入るのだが、軍を引き上げるとまたアリサベル旅団が出てくる。いたちごっこだった。だからアリサベル旅団も簡単に帝国軍が行ける範囲には手を出さなかった。


 テルジエス平原に1~2個師団を出して、アリサベル旅団を追わせてみても翻弄されるだけだとディアステネス上将は思っていた。そう思わせたのはレクドラムからの補給物資を運ぶ作戦の経験からだった。敵の魔法士の索敵能力がファルコス上級魔法士長に匹敵することを知った。ファルコス上級魔法士長は連れてきている魔法士の中で最も優れた魔法士だった。あのときは輸送隊の司令官をディアステネス上将が直々に務めたからファルコス上級魔法士長を連れて行くことができた。しかし王宮がまだ陥ちてない今の段階で、アリサベル旅団を追う帝国軍にファルコス上級魔法士長を付ける訳にはいかなかった。

 ディアステネス上将旗下の帝国軍の作戦目標の第一は王宮を含めたアンジエームの制圧だった。


 ファルコス上級魔法士長より能力の落ちる魔法士ではアリサベル旅団の魔法士に対抗できるとは思えなかった。索敵能力で劣ってしまえばいくら数に勝っていても勝てるはずがなかった。味方には敵の様子が分からないのに、敵には味方の様子が筒抜けになるなど、軍を指揮する者にとっては悪夢だった。それに捕虜の護送隊を攻撃した魔法のこともあった。あの時のようにテルジエス平原に出した師団の頭が刈り取られる恐れもある。頭を失った軍など武器を持っただけの群衆になり下がる。



「じゃあ放置するの?」


 一旦テルジエス平原を支配下に置いたかに見えた帝国軍が、その支配権を失いつつあることに、皇宮内でいろいろ言われていることは上将も知っていた。


「半個師団程度の王国兵がテルジエス平原で蠢いていてもそれだけのことです。一旦手に入れた平原の支配権を失ったと言われても、アンジエームを、王宮を含めて完全に支配下に置けばテルジエス平原などいつでも取り戻せます。ですから先ず、王宮の攻撃に全力を挙げます」


 以前には、あと一息というところまで追い詰めてからガイウス7世に手を渡して、最後の詰めを任せようかとも思っていた。しかし、アリサベル旅団の所為でそんな余裕などなくなってしまった。そもそも敵が完全には掃討できていない地をガイウス7世に渡らせるわけにも行かない。ディアステネス上将の失点を狙う勢力にとってはかっこうの攻め口になる。


「それに春になれば東から王国の援軍が来る可能性が高くなりました。デルーシャとレドランドを引き込むことに成功したようですからな、ヌビアート諸島を引き渡すことまでやるようですな」

「あら、ちょっと見込みが違ったわね。暗部の話ではディセンティアは絶対にヌビアートを手放さないだろうって言ってたのに」

「必ずしも暗部の読み損ないではないのですよ、ディセンティアもアルマニウスもテルジエス平原が帝国の手に陥ちるなどとは思ってなかったでしょうからな」

「西の様子を見て慌てたって訳ね」

「そういうことです」

「でも今は帝国が慌てている」


 皇女の自虐的な言葉など上将は無視した。


「少数の敵など放っておくことにします。どうせ嫌がらせがせいぜいで、アンジエームを取り返す力などないのですから」


 アンジエームを取り戻そうとまともに突っかかってきてくれれば却って好都合だ。アリサベル旅団の遣り方を見ているとそんなことをするはずがないことは直ぐ分かる。


「私もそう思うわ」

「ですから王宮を陥とし、アンジエームを完全に支配して、東からの王国援軍を待ちうけます。王国は冬でも軍事行動を制限しなくて済みますから」


 帝国はメディザルナが切れる南東の地域を除いて厚い雪に覆われる。大軍での行動などできない。


「東からの王国軍にアリサベル旅団が合流しないかしら?」

「可能性はありますな、しかし合流したところでたかだか半個師団です。真正面から挑んでくるなら叩きつぶすまでですな。むしろ合流せずに帝国軍の背後で嫌がらせをやられる方が面倒でしょう」


 アリサベル旅団が王国の反攻軍に加わって大きな軍の一部になってしまえば、今のような自由な行動などできなくなる。軍の一部として動かなければならなくなるからだ。何処にいてどう動くか分からないからこそ少数兵力でも厄介なのに、行動が制限されてしまえば所詮半個師団の戦力でしかなかった。


 ドミティア皇女はディアステネス上将の言葉に少し考えた。


「確かにそうかもしれないわね、ドライゼール王太子は艦船ふねで来るのでしょうね、上陸したところを叩くとして、上陸場所は多分、ロッソル、そこまで帝国軍われわれが出ると背後を突かれる恐れがあるわね」


 ロッソルはアンジエームから海岸沿いに徒歩3日ほど離れた港町だった。アンジエームほど整った設備はないが、艦船から軍を上陸させるだけなら充分な大きさの港がある。まだ帝国の支配が及んでない地域だった。


「それにしても、アリサベル王女……、名前だけは知っていたけれど」


 皇家に属するものとして、当然他国の支配層の事は教えられていた。その中にアリサベル・ジェミア・アンジェラルドの名もあった。ただしその評価は可もなし、不可もなしで第3王女であることもあり、注目はされてなかった。ただアンジェラルド王族の中では魔力が多いようだという評価もあったが、だからと言って注目されるほどの魔力を持っているとは思われてなかった。


「人がどんな立場に立つかは偶然が作用する部分が大きいのですよ。それは支配層に生まれても変わらないでしょう。王女が自分の意志で旅団を編成したのか、周囲の流れでたまたまそうなったのか。しかしまあ、王女ですからな、人は集めやすいでしょうし、その神輿になる覚悟くらいはあるのでしょうな」

「アリサベル王女が一から十まで自分の意志でやっているわけではないとあなたは思うのね?」

「王宮の奥で王女として育てられていた方が、いきなり軍の指揮など執れるわけもありません。何かの拍子で軍を纏める象徴として働く事になったのでしょう。軽い神輿であることに納得して実務を部下に任せる器量があれば手強い相手になりますな」


 ディアステネス上将の評価はドミティア皇女にも当てはまることだった。皇女はそれに気づいたが、そして上将は皇女が上将の言葉の意味に気づいたことに気づいたが、双方ともそれ以上は言及しなかった。



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