第54話 帰路

 「人数は少ないが有力な王国軍だろう?それと連絡を取ってないのか。信じられん!」


 エガリオは別に王国や王室に対して特別な厚意を持っているわけではない。しかし、帝国と比較して彼にとっては王国の方がましだった。だからそのずさんさが気に入らなかった。


「それどころか、アリサベル旅団の存在さえ知らないかもしれないぞ。何せアリサベル旅団なんて王国の軍制のなかではイレギュラーだからな」


 レフの言葉を理解したエガリオが首を振った。


「だがまあ、王太子が反攻軍を組織したことは分かった。へ持ち帰って検討するよ。他に何かあるか?」

「このところ王宮に対する攻撃が激化している。まあ弩弓と投石機による遠隔攻撃だけなんだが、王宮の塔の中には折れた奴もあるし、外見は結構ぼろぼろだ。中に籠もった高位貴族の皆様とその家族、いつまで我慢できるかなってところみたいだぜ」

「それに食料の備蓄がいつまで保つかの問題もあるな」

「そういうことだ。反攻軍が破れでもしたら簡単に降伏するんじゃないか」

「と、はそう思うわけだ」


 エガリオが肩をすくめた。


 レフとシエンヌがガラスの入った袋を持ち上げた。重力軽減をかける。重い袋を軽々と持ち上げるシエンヌをザラバティー一家の若い衆が吃驚したように見つめた。力がある方だとと自負しているのに、ここまで運んでくるのが結構骨だったからだ。


「じゃあ、これは貰っていく。また頼むかもしれないがその時はよろしく」


 エガリオが頷いて、レフとシエンヌはエガリオ達4人に背を向けて出口の方へ引き返し始めた。




 地下通路を出たレフとシエンヌは担いだ袋に重力軽減をかけながら夜道を走った。灯りがなくても2人は平気で足下の悪い夜道を駆けることができた。しかし重力軽減は結構魔力を消費し、レフはともかくシエンヌは地下道を出て1里ほどを行くのが精々だった。そして1里離れたところに馬車が隠してあった。


「お帰りなさい」


 200ファルも離れたところから2人の気配に気づいたアニエスが馬車から飛び降りた。レフのところまで走ってきて、満面の笑みでレフに飛び付いた。アニエスを受け止めて足を止めたレフの横で、シエンヌが膝に手を突いて肩で息をしていた。


「シエンヌもお帰り」


 やっと息を整えたシエンヌが、


「はい、これ」


 そこまで担いできた袋をアニエスに渡した。それを何気なく受け取って膝が崩れた。危うく持ちこたえて、


「なに、これ。重い」

「それを持ってここまで走ってきたのよ。もう少し私にも気を遣いなさい」

「はいはい、シエンヌ。お帰りなさい、いい子いい子」


 シエンヌの頭をなでようとしたアニエスの手を払って、


「もう、ふざけてばかり」



 馬車のところで、ジェシカがキャッキャ言いながら近づいてくる3人を待っていた。丁寧にお辞儀をして、


「お帰りなさいませ」


 顔を上げるジェシカに、


「明るくなったら出発する。それまでは引き続きアニエスと一緒に番を頼む」

「はい」


 表情を消したジェシカがそう答えた。


 陽が昇るまで2刻ほどだ。ジェシカは御者台の上で、アニエスは街道の道端に転がっている手頃な大きさの石に腰掛けて、周囲を警戒していた。2人の中ではジェシカの方が遠方の気配察知に長けているため高いところにいた。


 ジェシカは周囲を警戒しながら馬車の中の2人のことを、というよりレフのことを考えた。

 2人は座席の間に渡した板を仮ベッドにして毛布を被って横になっているはずだ。レフが右、シエンヌが左に位置しているだろう。捕虜になって、3人と一緒に過ごすようになってから4ヶ月になる。短い期間――王国軍の捕虜を解放するための作戦期間――を除いて、ずっと一緒だった。夜も同じ部屋にいることが多かった。別の部屋を用意するほどの余裕がないからだ。3人は寄り添って寝る。レフを真ん中に、左がシエンヌ、右がアニエスという配置は変わらない。シエンヌが左利きだからだろう。そしてそのまま睦み合うこともある。そんなときはシエンヌとアニエスの甘い声が耳について離れない。勿論そんな声が何を意味するか知らないほど初心うぶではない。そんな夜は懸命に背を向けて眠ろうとしても却って目がさえる。シエンヌもアニエスもそんな行為をした後でもジェシカに対しては平然とした顔をしている。よく見ると、わずかに上気した表情に満足感がうかがえる。


――私が側にいることなんか気にもしてないんだわ――


 自分は今、拘束の魔器を付けられている。ジェシカは鎖骨の間にまるでアクセサリーのように位置している魔器に手をやった。これが高性能の魔器だと言うことは分かる。レフが、いやシエンヌやアニエスでも発動させれば、――この2人でも発動できるようにレフが調節していた――おそらく自分は死ぬだろう。味方でない魔法士を側に置くのだ、どれほど用心しても用心しすぎることはない。

 レフは、自分をどうするつもりだろう?一番避けたいのは戦争奴隷として売られることだ。だから今、自分の有用性をアピールするために一所懸命に魔導銀線を作っている。随分上達したようでレフも魔器を作るとき、さほど重要ではない部分の配線にジェシカの作った魔導銀線を使うようになっている。レフの側にいるならいずれ隷属させられるかもしれない。そうなれば、今シエンヌとアニエスがレフにしていることに自分も加わるのかもしれない。


――どうしてもそれは嫌だ――


 という気持ちはなかった。


 明るくなって簡単な朝食を済ますと、アニエスとジェシカが車室の中でやすみ、御者台にレフとシエンヌが並んで坐って出発した。余り通行量の多くない道を選び、アンジエームへの行きと帰りを違う道にした。できるだけ他人に見られない様に、見られても印象に残らないように、というためだった。


 帰り道をたどり始めてしばらくして、レフとシエンヌはほぼ同時に気がついた。


――この道は――


 親衛隊候補生と戦ったあの森に続く道だ。

シエンヌがびくっと震えて、それからレフにもたれ掛かってきた。


「別の道を探すか?」


 取りあえず北へ向かうようにすれば良いのだから、他にも道はたくさんあるはずだ。


「いいえ、このままで」

「嫌じゃないのか?お前の、……人生を変えたところを、通るのは」


 シエンヌがもたれ掛かる力を少し強めた。頭をレフの肩に載せる。


「嫌じゃありません。レフ様に会えたことに感謝しています」

「そうか……」


 あのときは自分が生き残るのが最優先だった。勢いのままにシエンヌまで殺そうとした。そのことにトラウマは残ってないのだろうか?殺した候補生の中にシエンヌの親しい人間がいたかもしれない。そんなことを何もかもひっくるめて、私に会えたことに感謝しているのだろうか?


「本当です。レフ様に会えてよかった……。あのまま生きていても親衛隊兵士になり、この戦で動員され、今頃どうなっているか分かりません。レフ様と一緒にいると自分が今生きている、って事が実感できます。出会い方は最悪だったけれど今は感謝してます」


 シエンヌの顔が真っ赤になった。


「本当に心から感謝してます」


 両手で持っていた手綱から左手を外してシエンヌの肩に回した。少し力を入れて引き寄せた。シエンヌは抵抗もせずレフにもたれ掛かってきた。


「ずるい!」


 いつの間にか車室から抜け出して、アニエスが横にいた。


「あたしだって、レフ様に会えてよかったもの。レフ様のいない生き方なんて考えられないもの」


 アニエスもレフの右から力一杯しがみついた。


「苦しい、息ができない。少し力を緩めろ」


 レフがシエンヌとアニエスの頭をコツンコツンと軽く叩いた。2人が力を緩めて、レフから少し離れた。しかし、シエンヌとアニエスがレフの背中で手を繋いで残った片手でレフの服を掴んだ。体ごとレフにもたれてくる。


「ずっと一緒で良いですか?」


 2人の声が揃った。


「ああ、うん、2人とも側にいてくれ、私はもう一人になりたくない」


 うんうんとシエンヌとアニエスが頷いた。シエンヌとアニエスはイフリキア以外で初めて気の許せる相手だった。しかし母とは直接にあった記憶がない、だから身近に安心して接する事が出来る人間がいるという経験はなかったのだ。また一人になるかもしれないと言う思いはレフにとってもつらいものだった。


 御者台に並んで坐ったまま森を抜けた。その間ずっとシエンヌとアニエスはレフにもたれていた。森を抜けるのに馬車でも小半日かかったが、その間誰にも会わなかった。それでなくても通行の少ない道は戦になってますます人が少なくなっていた。






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