第53話 地下通路で

 レフはアンジエームへ入る地下通路の関に来ていた。エガリオに連れられてアンジエームに最初に入ったときに通った道だった。そしてここで会う約束をしているのもそのエガリオだった。関は地下通路の要だった。細い地下通路の中でここだけ広くなった関は、正規には通せない人や物を市外から市内へ、あるいは市内から市外へ通す地下通路の維持と守りの中心だった。地下通路は、アンジエームが王宮を除いて帝国軍の支配下に入った今でも裏社会の専用通路であり、限られた人間しか知らない道だった。帝国軍もその存在を疑って探索していたがまだ見つかってはいなかった。


 関には見張りのための小部屋があり、ここで好ましくない人間を始末するための仕掛けもあった。この通路を利用するための通行料を取る場所でもあった。


 レフが関に入っていくと小部屋の中で立ち上がる人影があった。部屋から顔を出した男にレフが手を挙げた。


「やあ、エガリオ、久しぶりだな」

「ああ、久しぶりだ、あんたも元気そうで何よりだ」


 エガリオ・ザラバティが、執事であり彼のために通心の魔法を使うロットナンを連れて小部屋から出てきた。さらに2人、ザラバティー一家の若い衆が大きな袋を持って続いた。


「遅れたつもりはないが、待たせたか?」

「いや、俺たちもさっき着いたばかりだ」


 相変わらずエガリオに対してぞんざいな口をきくレフにロットナンは顔をしかめたが、若い衆2人は特に反応を示さなかった。ザラバティー一家がアンジエームの裏社会の支配権を握ったときにレフが示した凄腕を知っていたからだ。


「嬢ちゃんも元気そうだな」


 エガリオにそう言われて、シエンヌが表情を変えないまま少し頭を下げた。


――しかし、なんか凄みが出てきたな、この娘。相当な修羅場をくぐったようだ――


「で、頼んだ物は?」

「ちゃんと持ってきたぜ」


 エガリオに顎で合図されて、2人の若い衆が前に出てレフの前に袋を置いた。レフが袋の口を開けて中の物を1個取り出した。ガラスの塊だった。

 魔器の土台にするガラスをレフはアンジエーム市内のあるガラス工房から購入していた。自分で作るよりずっと質の良いガラスが手に入ったからだ。真球や円盤への成形は自分でやるにしてもガラスを原料から作るのは骨だ。まして自作するより質のいい物が手に入るなら、ということでずっとそこから購入していた。市外へ持ち出した魔器もそろそろ底を突くということでエガリオに連絡して手に入れて貰ったわけだ。逃げ出すときに魔器の材料である魔導銀塊は全て持ち出したが、ガラスは大きく重く、持ち出すにも限界があった。

 誰か部下に持ってきて貰えば良いと言ったのを、いや自分が持って行くと言ったのはエガリオだった。ガラスを渡すときに市外の様子を、特にアリサベル旅団についての情報が得られると思ったからだ。


「どうだ、それでいいんだろう?」

「ああ、ありがとう。助かったよ、自分で作るのは面倒だからな」

「そいつが爆発するのか?」

「ん?」


 レフに見つめられてエガリオが慌てたように胸の前で右手を振った。


「いや、あんた達が帝国軍の1個連隊から捕虜を取り返したときにとんでもない魔法が使われたって、ウルビにきた帝国士官連中がひそひそ話していたって、女達から聞いたんでな。そんな魔法を使うなんてあんたくらいだと思ったわけさ」

「へえ~、そんな話をしているんだ?帝国軍士官ってのは」

「いや、最近妙に口が硬くなったらしい。以前のようにぺらぺらとは喋ってくれなくなったと女達が嘆いている」


 ウルビに遊びに来た帝国軍人から聞きだしたことを、対価を払って集めている。女達にとってもいい小遣い稼ぎになる。だからエガリオは帝国軍の内情に結構通じていた。王宮に籠もっている王国軍の暗部より多分詳しかった。

 情報を聞き出すのに無理をするんじゃない、根掘り葉掘り聞こうとするな、疑われたら牢屋行きだぞ、そう言って戒めているが、以前は陽気にかなり際どいことまで大声で話していたのに、最近は口が重くなっているという。勿論、こんな注意をするのは女達を心配しているからではない。軍の機密に関するようなことに触れでもしたら、当然密偵ではないかと疑われるし、そうなれば酌婦に過ぎない女達よりもその雇い主であるザラバティー一家に疑いが掛かるのが当然だったからだ。特に帝国軍にとって戦況が思わしくなくなった今のような時には用心しなければならない。ビクビクと過剰に反応する可能性があるからだ。


「アリサベル旅団が活動を始めてから情報が獲りにくくなって仕方がない」


 キェルラゲ、サヴォン、レッツェを始めとするテルジエス平原中央部の帝国軍警備隊を排除して帝国軍の軍政をズタズタにした王国軍は、いつかアリサベル旅団と呼ばれるようになっていた。15000いた帝国軍警備隊はいまやジェイミールの街と、アンジエーム、ジェイミール間のストラーザ街道沿いのいくつかの街を抑えるだけの5000に減っていた。

 以前のように薄く広く、中隊単位でばらまくことはできない。そんなことをすればあっという間にアリサベル旅団に喰われてしまう。帝国本国から新手を呼ぼうにも雪に閉ざされたシュワービス峠を越えるのは春まで待たなければならなかった。警備隊を排除した街に王国軍がとどまっているのなら、王宮攻撃の手を緩めてでも軍を送るのだが、アリサベル旅団は警備隊を排除するとさっさと街から離れてしまう。旅団――1個師団に足りない勢力の王国軍は、帝国軍の頭痛のタネになっていた。


「だがそれでも酒を飲ませれば口は軽くなる。どうも東へ逃げた王太子殿下が反攻軍を編成することに成功したらしい」

「やっとか」

「まあ。そう言ってやるな。デルーシャ、レドランドとやっと共闘できるようになったんだ、王太子という立場があってこそだな。ディセンティアは不満たらたららしいぜ、ヌビアート諸島から手を引く事になったらしいからな」

「帝国軍に全土を蹂躙されるよりましな選択だと思うがな」

「面子の問題だからな、ディセンティアの当主としては自分の代でヌビアートを失ったって言う記録が残ってしまうのが面白くないんだろう。でもまあそれで、第三軍をルルギア防衛から外すことができるようになったって訳だ」

「第三軍が反攻軍の主力か。結構強力だな」

「第三軍に王太子と一緒にアンジエームを脱出した1万を加えて4万になるらしい、領軍も加わるだろうし、王宮内の王国軍と併せれば十分に帝国軍に対抗できる数字になる」

「数字だけはな、問題は内実が伴うかどうかだろう。だが随分詳しい話だな、帝国軍経由だろう。ということ王国軍の事情がまるっきり帝国軍に筒抜けだということになるな」

「ああ、王国中に帝国の目と耳があるようだ。何十年も掛けて作り上げたんだろうな」

「それだけ用意周到だったわけだ。完全に相手に読まれていると考えた方が良いな、数だけ拮抗してもどうにもならない可能性もある」


 エガリオも首を振った。


「確かに……」


 そう呟いたエガリオに、


「もう一つ問題がある」

「何だ?」

「今の話、第三軍が反攻してくると言う話だが、アリサベル旅団では知らない話だ」

「何だって?通心してないのか?」


 旅団規模とは言え、王国軍にとっては貴重な戦力のはずだ。反攻を計画しているならきちんと協力する必要がある。


「アリサベル殿下に付いていた魔法士は死んだ。解放した捕虜の中に魔法士はいるが、王太子の軍にいる魔法士と通心出来る者はいない」


 通心の魔器を持ってない王国の魔法士の通信距離は帝国軍魔法士に比べると遙かに劣る。その上魔道具で通心するにはあらかじめ同調させておかねばならない。そんな準備は王太子とともに脱出した魔法士と、港に残って捕虜になった魔法士の間では為されていなかった。いまのところドライゼール王太子とアリサベル王女が情報を交換する手段はなかった。


――つまり、今現在、アリサベル旅団は王宮とも第三軍とも連絡を取らず孤立して動いているわけだ――


エガリオとしては肩をすくめて口笛でも吹きたい気分だった。




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