第52話 アリサベル旅団の跳梁 2

 レフは両手にナックルを装備した。ただの鉄製のナックルだが、握りこんで肌が触れる部分に小さな法陣を貼り付けてある。このナックルに魔力を通して殴ると、いや体に触れただけで、それが服の上からや鎧越しであっても相手の意識を奪う。どれほど屈強な男でも同じだった。中枢神経を鍛えることはできないからだ。刃物を使うより短時間で確実に無力化できるため最近はよく使っていた。尤も冬の冷気に曝された鉄を素手で触ることになるので長時間は使わなかった。


 それから小声で、


「魔法士は私が片付ける、他の警備兵もできるだけ速やかに片付けろ」


 3人の兵がタイミングを合わせて巡回通路から望楼へ入るドアを蹴破った。室内に飛び込んだレフが魔法士を見付けて素早く身を寄せる。探知で既に位置を把握していたので迷うことはない。吃驚して下がろうとするところを、顎の先をナックルを付けた拳で軽く揺さぶる。意識を飛ばされた魔法士は悲鳴を上げることもできなかった。ドアを蹴破ると同時に通心遮断をかけている。だから片付けるのに少し時間が掛かっても通信される恐れはない。魔法士の魔力がレフより大きければ抵抗レジストされるが、そんなことはまず起こらなかった。慌てて武器を構えようとする警備兵にアンドレの小隊とシエンヌが襲いかかった。不意を突かれた警備兵達は脆く、瞬く間に排除された。


 アンドレが階段を駆け下りて門のかんぬきを外し、門を大きく開けた。門外で待機していた40人の兵が駆けつけて門を確保した。

 シエンヌが本隊に連絡した。500ファル離れて待機している本隊が駆けつけるまで門を確保し続けるのが先遣隊の仕事だった。


 500ファルの距離で3000の兵が動けば街に駐屯している魔法士達もさすがに気がつく。慌てて警備兵が建物から飛び出してきて駆けてくる。ばらばらに走ってくる帝国兵に矢が飛ぶ。ろくに防具も着けずに早々と飛び出してきた帝国兵達はばたばたと倒れた。少し遅れて一応きちんと武装した帝国兵が増えてきた。門を守る王国兵と切り結ぶ。王国軍本隊が駆けつけるのと、帝国兵が先遣隊を排除するのとどちらが速いかの勝負だった。不意を突かれた帝国兵は直ぐには統一した行動が取れなかった。


「直ぐに本隊が来る、粘れ!」


 アンドレが大声で叱咤した。


「敵の数は少ないぞ、排除しろ、門を閉めろ!」


 帝国兵を大声で鼓舞している士官をアニエスが撃ち倒した。いきなり頭の上半分を吹き飛ばされた士官の姿に周囲の帝国兵の眼が見開かれた。思わず姿勢が固まる。


「あそことあそこにも居るぞ」


 レフに指示されてアニエスはさらに3人の士官を撃ち倒した。恐怖に帝国兵達の足が止まった。レフとシエンヌが足の止まった帝国兵の群れに切り込んだ。アンドレ、ラザキェル達も続いた。帝国兵との乱戦になった。


「来た!」


 門の外を見ていた王国兵が大声で叫んだ。500ファルの距離を一気に走ってきた王国兵が門に殺到してきた。門近くまで攻め込んでいた帝国兵があっという間に押し返された。

 市内に突入してしまえば、数に勝る王国兵の方が優勢だった。明け方まで粘って、帝国兵の指揮官が降伏した。




 キェルラゲの領主はエンセンテ一門の有力者だった。


「久しぶりですね、ファビキウス・エンセンテ・ルファーロ卿」


 アリサベル王女の前に畏まっているのは髪に白いものが混じり始めた痩せた初老の男だった。身体の調子が優れず、王宮に出入りすることも近年はなく、レクドラムの戦いにも跡継ぎである長男と次男を出していた。エンセンテ領軍の殿軍を命じられた2人は戦死していた。長男を先に逃がそうとした次男の説得を是とせず、一緒に撤退戦を戦った結果だった。後は長男の子をレクドラムに人質に出し、病気がちであると言うことでファビキウス・エンセンテ・ルファーロ自身は領地にとどまることを許されていた。


「アリサベル殿下にもご健勝で、何よりでございます」

「ルクルス殿のことはお悔やみ申し上げるわ」


 跡継ぎの名前だった。ファビキウスの顔に一瞬鋭い表情が走ったが直ぐにそれを隠して、


「勿体ないお言葉、されど戦場に斃れるは武人の本懐でございますれば」


 アリサベル王女は曖昧な微笑を浮かべたまま頷いた。ディアドゥ・エンセンテ・ヴァリウスは宗家以外のエンセンテ領軍に最後まで戦うように命じ、それによって稼いだ時間で、自分自身と宗家の軍のほとんどを無事ジェイミールに撤退させていた。シエンヌのアドル家の領軍もその命令によって壊滅したのだ。

 アリサベル王女は王宮内で囁かれる不満混じりのそんな噂を耳にしたことがあった。

 宗家の軍こそがエンセンテ一門を支える背骨であると言われてしまえば、その処置を表だって非難することはできなかった。しかしそう考えることと身内を失った感情は別物だった。特にエンセンテ一門は他の有力貴族――アルマニウス一門やディセンティア一門――に比べれば宗家の力が強く、普段からディアドゥの強権的な振る舞いを快く思わない家が多かった。


 ファビキウスは王女の次の言葉を待っていた。王女の側にコスタ・ベニティアーノが居るのを見ればゼス河の東から兵力が来ているのが分かる。それが長駆キェルラゲまで遠征している。何か目的があるはずだった。


「それで、ルファーロ卿」

「はい」

「帝国はテルジエス平原に展開していた軍政用の警備隊を集約して、ジェイミール、サヴォン、レッツェ、キェルラゲを固めたけれど、今、キェルラゲは陥としたわ」

「お見事でございました」


 帝国警備隊が襲われているという噂は聞こえていた。周辺からキェルラゲに集まってきた帝国警備隊をみて、ファビキウスはそれが本当であることを知った。勿論警備隊がそんなことを言うわけがなかったが、軍政の効率を犠牲にして警備隊を集約する他の理由がなかった。キェルラゲに入った帝国警備隊の隊員達は虚勢を張っていたがファビキウスの眼には明らかにおびえているのが分かった。

 それにしても、とファビキウスは思う。キェルラゲの防衛には結構自信を持っていたのだ。高い壁を廻らせ、要所に望楼を配したキェルラゲを陥とすにはやはり守備兵の3倍程度の戦力が必要だろうと思っていた。勿論アンジエームの王宮のように難攻不落とまでは思っていなかった。それに守っているのはキェルラゲに不慣れで、防衛戦の訓練も禄にしていない軽武装の帝国警備隊だった。それでもこんな短時間で陥ちるなどとは思っていなかった。

 帝国側にも油断があったのかもしれない。これまでアリサベル旅団はロゼリア街道沿いを主な活動場所としていた。キェルラゲ、サヴォン、レッツェの中でロゼリア街道から一番遠いのがキェルラゲなのだ。キェルラゲに駐屯している帝国兵も襲われるならサヴォン、レッツェが先という意識があったのだろう、ファビキウスはそう思っていた。


「それで、ジェイミールはともかく、サヴォンとレッツェは続けて陥としておきたい、帝国国軍が出てくる前に。だからキェルラゲの領軍を貸して欲しいの」


 ある意味予想通りの要求だった。


「我が領軍はレクドラムの戦闘で3500のうち1500が帰ってきておりません。どれだけお役に立てるか……」


 この損害は壊滅と言っていい。若くて健康な領民を大量に失ったのだ。自分の出身の集落で身体や精神こころの傷を癒やしている兵も多かった。この欠失からたちなおるのにどれほどに時間が掛かるか。


「2000人が使えるのね、じゃあ500でいいわ、貸してくださる?」


 言葉は丁寧だったがそれは命令だった。しかし全部と言われないだけましだった。


「畏まりました」


 ファビキウス・エンセンテ・ルファーロは深く頭を下げた。




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