第52話 アリサベル旅団の跳梁 1

 テルジエス平原を制圧した帝国軍はジェイミールに軍政司令部を置き、平原を治める体制を築こうとしていた。重武装の国軍ではなく、治安維持と行政の訓練を受けた軽武装の警備隊15000人を平原に派遣した。警備隊は、レクドラムで大敗して人質を取られ反抗する気を失った平原の領主達を監視し、帝国の法によって政を始めていた。

 一度の略奪で終わりではなく、継続して支配し税を取り立てるなら、人口と産業規模の把握は必須だ。帝国軍は旧領主が保管していた人別帳と徴税記録を出させ、そのチェックを始めたところだった。そうした記録の提出に抵抗する領主もいたが、処刑で脅し、実際に数人を処刑してみせるとあとはスムーズに記録が集まった。帝国軍警備隊のみでテルジエス平原の行政を全て仕切るのは無理で、旧領主が使っていた要員を継続して傭わなければならない事が多かったが、鞭と飴で何とか回り始めたところだった。

 帝国軍軍制司令部はジェイミールに本隊及び予備として3000人、平原の中核都市であるサヴォン、レッチェ、キェルラゲに各1個大隊、1000人、あとは中隊単位で平原全体を抑えるように兵を配していた。最低行動単位を中隊としたのは、敵地であり、少人数での行動に不安があったこと、中隊には魔法士が付いていて、連絡を取ることができたからだった。


 その中隊が次々に行方不明になり始めたのは、気温が下がってテルジエス平原の北方やシュワービス峠、そして帝国本国が雪に覆われた頃だった。帝国に比べて比較的にしても王国は暖かく、メディザルナ山脈とその山麓を除いて分厚い雪に覆われることはなく、大部分の土地で冬でも活動が可能だった。それが冬には雪のために人や荷の動きが鈍くなる帝国本土との違いだった。



 帝国軍軍政司令官ルサルニエ・マイニウス中将はいらいらと執務室内を歩き回っていた。ジェイミール市内のエンセンテ宗家の館、と言うより城の中の1室、元はディアドゥ・エンセンテ・ヴァリウスが執務室として使っていた部屋だった。豪奢な家具類が置かれた部屋は十分に広く、歩き回る余地はあるものの、中将の制服に身を固めた男が落ち着きなく身を動かしているのは見栄えのいいものではなかった。


「これで幾つ目だ?」


 側に控える副官に訊く。


「はっ、この20日間で11回目、計15の中隊が消えております」


 テルジエス平原のあちらこちらに駐屯させていた警備隊の中隊が次々に連絡を絶っていた。朝、夕の定時連絡がなくて初めて消えたことに気づくような有様で、軍政司令部の中に動揺が広がっていた。15の中隊の魔法士で、攻撃されていることを通心してきた者は居なかった。

 ジェイミールから比較的近い現場に確認に行かせた部隊からの報告では、


「焼け落ちた兵舎と、警備兵の死体以外に何も残っておりません」

「駐屯していた集落の住民はどう言っているのだ?」

「気づかぬうちに攻撃が始まっていたと言っているそうです。ごく短時間で中隊を蹂躙して引き上げたと。同時にかなりの兵が捕虜になったと思われます」


 駐屯していた兵数より残された死体の方がずっと少ない。攻撃されていることを通心する間もなく排除されたと予想される魔法士の死体も半分以下だった。


「敵の勢力はどれくらいなのだ?」

「2000は居たと、ただ住民というのは戦慣れしていない上、なんと言っても王国人です。正確な数字を出すかどうか信用できません。それに残念ながら襲われた中隊から逃げ出せた兵はごく少数で彼らの報告も余り当てにはなりません」


 だが、中隊を、場合によっては複数の中隊を短時間で壊滅させるほどの戦力がテルジエス平原を跋扈している、これは帝国軍としては放置できるものではなかった。


「例の王国軍か?」

「そう思われます」


 魔法士と士官を先ず始末してそれから全体を攻撃してくるという王国軍の存在は、帝国軍の中で知らない者は居なかった。補給部隊を壊滅させ、捕虜護送の連隊を敗走させた。だがこの様に帝国軍を真正面から潰す様に動いているのは初めてだ。


「それで……」

「それで、何だ?」

「意味あることかどうか、王国軍が引き上げるときに『アリサベル様、万歳』を叫んでいたという証言があります」

「アリサベル?」

「アンジェラルド王家にアリサベルという王女がおります」

「王女が……」

「はい」

「その王女が王国軍に絡んでいるかもしれないのだな」

「はい、指揮はともかく、王国軍の象徴となっている可能性はあると思われます」


 王家の一員を戴いているなら、その分士気が高まるかもしれない。


「だが王家が関与しているにせよ、このままテルジエス平原に駐留させている中隊を各個撃破させるわけには行かない」

「はっ!」

「守りを固めるぞ、平原に散らばって駐屯している警備隊にジェイミール、サヴォン、レッツェ、キェルラゲに集中させるのだ。この4つの街は守り抜く。その上でディアステネス上将に連絡して国軍を出して頂く。こいつらはなんとしても始末せねばならない。それにしても本国が動けぬときにこしゃくな真似を」


 冬に活動を活発化させるという発想は帝国人にはあまりない。帝国の冬は活発に動けるほど生やさしい冬ではない。春に備えて準備しているのが普通だ。それに敵軍と戦うのは国軍の仕事だ。軽武装の警備隊では荷が重い。王宮はまだ陥ちていないが王宮に籠もった王国軍の積極的な動きはない。テルジエス平原を安定させるのが先だと上将が考えるなら、援軍を送ってくれるだろう。






 キェルラゲはストラーザ街道のジェイミールとレクドラムの中間にある街で宿場町としてそれなりの繁栄をしていた。人口ではテルジエス平原の中で4番目になる。かなり北になるため雪が積もることも多かったが、それが人々の活動を妨げるほどになることは滅多になかった。帝国の軍政が始まったときから1000人の警備隊が常駐し、かなり広い範囲の治安維持を担っていた。マイニウス中将の命令で警備隊の集約が行われ、このとき警備隊の数は初期の倍になっていた。


 うっすらと雪の積もったストラーザ街道を、真夜中、白い布を被って50人の兵が北からキェルラゲに近づいていた。レフを先頭にした王国兵だった。


「いるな」


 レフの言葉にシエンヌが頷いた。


「市門の望楼に魔法士が1人、兵士が10人不寝番をしています。ただ市壁の巡回通路には出ていません」


 シエンヌの説明は王国兵達に利かせるためのものだった。レフなら説明を受けなくても把握している。


「この寒さだからな。帝国出身者とは言え、結構堪えるだろう」


 乾いた北風が積もった雪を舞上げて吹いていた。レフは100ファルほどの距離を残して隊列を止めた。全員がしゃがみ込んで、白い布で全身を隠す。


「初手は私と、シエンヌ、それにアンドレの小隊だ。アニエスはここに残って魔法士が視認できたら撃て。他の者は合図するまでここで待機」


 全員が無言で頷いた。レフがするすると前に出た。シエンヌがレフを追い、その後ろにアンドレの小隊が続いた。望楼の中の様子を探りながら、レフは張り番をしている魔法士に気づかれないように巧みにゴー・ストップを繰り返し、小隊を市壁の下まで導いた。動いているときは、特に集団で動いているときは探知されやすい。魔法士の注意がレフ達の方向を向くと止まり、逸れると動くということを繰り返したのだ。

 鈎の付いた細引きを投げ上げて市壁に引っかけると、レフは壁をするすると登っていった。壁の上に付いたレフがさらに縄を垂らす。それを伝ってシエンヌ、アンドレの小隊の計11人が市壁の上の巡回通路に立った。望楼まで50ファルの距離があった。

 気配を抑えながら望楼に近づく。望楼の壁に身を寄せて、中の気配を探る。不寝番の警備兵達は、一応は起きているようだが、強く警戒してはいない。





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