第51話 追跡3

 次の日、レフは一人でロゼリア街道から100ファルほど離れた雑木林の木の1本に登って北の方を見ていた。どの木も似たような高さで7~8ファルで天辺になる。天辺近くまで登れば他の木に邪魔されずに視界が開ける。

 起伏はあるがほぼまっすぐに通っている街道の遠くに、1匹の巨大な生き物のように帝国軍が南下してくるのが見えていた。先頭に1個中隊の騎兵が本隊と200ファルほどの距離を置いて先行している。その中に中隊なのに2人の魔法士が入っていた。先頭で周囲を探査しながら進んでくる。魔器の補助を受けているがかなり優秀な魔法士であることが分かる。1個中隊の騎兵は彼らの護衛だろう。ファルコス上級魔法士長を除いて最も優秀な魔法士を先頭に配し、隊列の中に他の魔法士を置き、索敵の死角をできるだけ少なくしている。

 その騎兵中隊までの距離が2里強、あと半刻もすればレフの目の前に達する。


 レフはスルスルと木から下りた。下でシエンヌが待っていた。二人で街道に向かって走る。街道に沿ってほぼ一定の間隔をとって木が植えてある。背の高い広葉樹は街道を行く人々に日陰を提供し、暑い季節には重宝されていたが、いまは葉も落ちて寒々と立っていた。

 レフは木の根元、街道に面していない側に切れ込みを入れ、そこに小さな魔器を差し込んだ。隣の木の下でシエンヌが同じ事をやっている。手分けして8本の木に細工をするとまた、街道から離れていった。


「これで用意していた魔器は全部使ったな」


 独り言のようにつぶやいたレフにシエンヌが頷いた。


「じゃ、私は皆のところに戻ります」

「ああ、アニエスは大丈夫だろうが、他の人間が気配を大きくしないように気をつけていてくれ」


 レフの言い分にシエンヌがクスリと笑った。どれほどの混乱を帝国軍に与えるか分からない。帝国軍が大して混乱していないのに、偵察隊が妙に興奮すれば気配が大きくなって探知される可能性が出てくる。こういうときのレフは神経質だ。尤もこれだけの戦力差があれば察知されないように最大限注意するのは当然だった。


「はい」


 雑木林の草むらの陰にレフが身を隠し、シエンヌはそのまま半里離れたところに待機している偵察隊の所に戻った。


「あと半刻くらいで接触すると思います。ただどれくらい影響を与えるか分からないから、レフ様の指示に従ってください」

「分かった」


 イクルシーブ上級千人長が代表してそう答えた。この偵察行でレフ達の能力ちからは理解できた。索敵については、イクルシーブ上級千人長がかって見たことのないほどの能力を示している。彼の常識では考えられないほどの遠距離から敵の人数や動きを把握している。レフだけではなく、シエンヌもだ。

 アリサベル旅団の指揮に関することならともかく、こんな少人数の偵察隊の行動についてはレフの指示に従うことに抵抗はなかった。


 先頭を行く騎兵が細工をした木の側を通り過ぎ、帝国軍本体が罠場にかかり、先頭の荷馬車がもっともアンジエーム寄りの細工した木を通り過ぎようとしたときに、レフが仕掛けを発動した。レフが隠れ場所から次々に木に埋められた魔器に魔力塊をぶつけたのだ。8本の木の根元で次々に爆発が起こり、街道に向かって倒れ込んだ。


「………っ」


 レフが最初の魔力塊を撃ったときファルコス上級魔性士長が一瞬体を硬くした。


「どうした?」


 この行軍中ディアステネス上将はほとんど常にファルコス上級魔法士長の近くにいた。王国軍に知られればまとめて攻撃される恐れもあったが、情報が集中する魔法士長を側に置いておくことを優先したからだ。


「誰かが、魔力を、強い魔力を放ち……」


 ファルコス上級魔法士長は最後まで言えなかった。街道沿いの木が次々に帝国軍めがけて倒れ込んできたからだ。


「これは?」

「王国軍の攻撃です!」


 周囲を囲む帝国兵が武器を構えた。ディアステネス上将がゆっくりと顔を回して周囲を覗った。


「ファルコス!」

「はい」

「兵に動くなと伝えろ!」

「はい?」

「ただの脅しだ」

「えっ?」

「どこからも戦闘音が聞こえない」

「そう言えば……」


 周囲の気配を探れるファルコス上級魔法士長よりディアステネス上将のほうが先にそれに気づいた。金属をたたきつけ合う音や、兵達のおめき声が聞こえてこない。


「早くしろ!敵が攻めかけているわけではない。その場で構えていればこれ以上のことは起こらぬ。例え隣の兵がやられても動いてはならぬと伝えろ」


 ファルコス上級魔法士長からの通心だけではなく、周囲の兵達が伝言を持って散っていった。

 緊張した兵達が武器を持った手に汗を浮かせながら、その場で街道の外に向かって構えた。異様なほど静まりかえった戦場に小半時ほどが経った。ファルコス上級魔法士長が懸命に通心で状況を把握しようとしていた。


「損害は?」

「はっ、倒れてきた木は8本、荷馬車が3台潰され、16名の死傷者が出ております」


 報告したのは司令部付の魔法士だった。


「荷馬車の修理に掛ける時間はない、荷を積み替えてできるだけ早く出発するぞ」

「しかし、どの荷馬車もすでにいっぱいまで積み込んでおりますが」

「積めない分は兵に背負わせろ。無駄な物資などないのだからな」

「はっ、はい」




――やっぱり駄目だな。つけいるほどの隙ができない――


 隠れたまま暫く見ていたが、それがレフの結論だった。巻き起こした混乱も徐々に静まっていく。


『シエンヌ、これ以上は無駄なようだ。そっちに引き上げるぞ』

『はい、実は荷馬車の上に上がって周囲に命令している兵がいるのですが……』

『ああ、気がついている。一般兵の軍装をしているが高級将校だな』

『あれなら撃てるって、アニエスが』


 目視できればアニエスが熱弾を撃てる。そうすれば確実にあの高級将校は倒せる。その側に控えている兵の軍装をした魔法士も。


『駄目だ、あいつはディアステネス上将じゃない』


 ディアステネス上将は背の高い、痩せた初老の男だと聞いている。荷馬車の上で声をからして命令しているのは、ずんぐりした男だ。アニエスの熱弾がどの方向から飛んできたか、万一にも気づかれることがあれば騎兵が出動するだろう。機動力に劣る偵察隊が補足されるかも知れない。ディアステネス上将ならその危険を冒す価値があるが、他の高級将校ではそんなことはできない。

 ちなみにこのとき命拾いした帝国軍の高級将校は、第三師団司令官のヨルボ・ネクフィストロ下将閣下であった。




 嫌がらせはこれで終了だった。仕掛けのタネが尽きた。


 半里離れて待機していたイクルシーブ上級千人長達の所へ戻って、


「さすがだな。いろいろ小細工を仕掛けたが、隙を見せない。やはりディアステネス上将というのは手強い相手のようだ。2個師団にどっしりと構えられたら手の出しようがない」

「引き上げかな?」


 イクルシーブ上級千人長の問いに、


「ああ、帝国軍はあれだけ大規模な補給に成功したから当分補給は必要ない。アンジエームの王宮攻略に力を入れるだろうな」

「王宮がどれくらい保つものか」


 問いではなく、独り言だった。しかしレフが律儀に答えた。


「さあな。王宮を守っている王国軍の士気次第だろう。まあ、士気が高くても物資が不足すれば怪しくなるだろうな。だがそちらには助力は出来ないぞ。3000人で、6個師を相手なんて無理だからな」

「しかし、何とかならないものかとどうしても考えてしまう」


 やはり自分の祖国なのだ。その象徴である王宮が外国の軍に蹂躙されるというのは心穏やかではいられない。


「直接の支援は無理だが、間接的な方法なら有るだろう。根拠地へ帰ってベニティアーノ卿と相談だな」


 帝国軍2個師を追いながら散々議論したことだった。3000の兵力があればいろいろなことが可能になる。今度はその兵力を使いながら帝国軍への嫌がらせをすることになる。










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