第51話 追跡1

 ざっ、ざっ、ざっ、ざっ、とリズミカルな足音が2里離れていても聞こえてきそうな、見事な行軍だった。


「さすがだな」

「そうだな」


 レフの言葉に反応したのはイクルシーブ上級千人長だった。凹凸のある平原のやや高くなった藪の中に身を隠して、レフ達は遠くに見えるロゼリア街道を行軍していく帝国軍を見ていた。

 帝国軍と遭遇してから丸1日が経っている。帝国軍は歩兵2個師団、第3師団からは第1連隊が抜けているから、第3師団と第7師団併せて18000、それに1個大隊規模の騎兵が同伴していた。騎兵は5騎で1個小隊、10個小隊で1個中隊、5個中隊で1個大隊と歩兵とは異なる編成――これもガイウス大帝の決めたことだった――を取っていた。その18000人余の帝国兵が長い列を成してロゼリア街道を北上している。荷車を御しているのも帝国兵だった。つまり、見えている人数は全て戦闘員ということだ。


「第2行軍速度だ」


 と、帝国軍と遭遇したときにレフはイクルシーブ上級千人長に教えられていた。


 行軍速度を3つに分ける。第1行軍速度は駆け足、第2行軍速度は早足、第3行軍速度は並足だった。第1行軍速度はせいぜい1刻しかもたない。重い鎧を着装していればもっと短い。長時間の行軍なら、第3行軍速度が常識だが。ディアステネス上将に率いられた2個師団はアンジエームを出たときから第2行軍速度を維持している。尤もそのために、常より多い荷馬車を用意し、各自が背負う背嚢を軽くする手配をしていた。背嚢を軽くして貰っているにしても、完全武装で何日も第2行軍速度で進めるというのは、帝国軍の練度を表していた。軍列も乱れていない。それに体調を崩す兵に対しては最後尾に収容するための荷馬車が付いていた。


 輸送隊や、捕虜を護送していた帝国軍のときと異なって、レフ達は行軍している帝国軍の近くに寄れなかった。ディアステネス上将とファルコス上級魔法士長が巧みに魔法士を配置して周囲を探っていたからだ。さすがに行軍しながらの能動探査は出来なかったが。

 優れた能力ちからを持った魔法士が探査していることは、ある程度近づけば分かる。レフもシエンヌもその探査能力に秀でていたからだ。それ以上近づくと気づかれるというぎりぎりの距離を保って、レフ達は帝国軍と併走していた。帝国軍がきちんと整備された街道を通り、レフ達が道なき道を通っているというハンデを持っているにしても、人数が少ないことでなんとか帝国軍の第2行軍速度に付いていっていた。しかし、起伏が続く足下の悪い平原を、所々は通れないため遠回りしながら帝国軍の速度に合わせて付いていくのに平気な顔をしているのは、レフ達3人だけだった。


「今回はえらく遠くから見ているんだな」


 アンドレがじれったそうに言った。こんなに離れていては、詳しい様子も分からないし、細工も出来ない。尤もそれは俺たちだけでこいつら――レフとシエンヌ――はこの距離でも帝国軍の様子がよく分かっているのかもしれない、とは思っていた。


「これまでの魔法士とはレベルの違う魔法士が多い。その上絶えず魔器を使っている。これ以上近づくと探知される可能性がある」


 アンドレの疑問に律儀にレフが答えた。


「丸1日追跡しているが、つけ込める隙がない」


 捕虜の護送隊のときは、幹部連中が集まったところを一網打尽に殲滅した。今回もそうするのかと思ったら、帝国軍が夜営している方へ近づいて行って戻ってきたら、それ以上は動こうともしなかった。


「何か仕掛けるとしたら、レクドラムからアンジエームに帰るときの方がいいな」


 レフの言葉に、イクルシーブ上級千人長とアンドレも頷いた。


「帰りは補給物資を運んでいるから、今の行軍速度を保つのは難しい。それに、うまくいけばまた補給物資を頂ける」


 さすがにそこまで都合にいいことはレフも本気では期待してなかった。一応言ってみただけだ。


「一旦引き上げよう。イクルシーブ上級千人長、あなたの部下に、レクドラムまで帝国軍を追ってもらう訳にはいかないかな?帝国軍が補給物資を抱えて出てきたら連絡をくれればいいのだが」

「それぐらいならお安いご用だ。一応は気が利く者を連れてきているからな」


 その役目を王国海軍時代からの部下2人に命じて、後は一旦根拠地に引き上げることを決めた。2人のうち1人は魔法士だった。イクルシーブ上級千人長も、レフ達を介さない独自の情報を欲したのだ。


「帝国軍の隊列から半里以内には近づくな、できれば1里は離れていた方が良い。情報を取るのが目的なのではなく、帝国軍やつらの行動を確認する事が大事なのだから」


 この魔法士では帝国軍のファルコス上級魔法士長には対抗できない。帝国軍魔法士の探査範囲外から付いていけば良いのだとくどいくらいレフは念を押した。




「引っかかりませんね」

「探知できないのか?」

「はい」


 天幕の中で小声で話しているのはディアステネス上将とファルコス上級魔法士長だった。これまで士官や魔法士が優先的に狙われていることから2人とも一目で高級士官や魔法士と分かる軍装はしていなかった。身につけているのはよく見れば高級品と分かる防具と武器ではあったが。

 2人だけではなかった。この行軍に従事する全ての士官と魔法士が、一般兵の軍装をするように命令されていた。そこまで用心しても、隠しきることは難しいと考えて、行軍中も魔法士を総動員して、周囲の探査をさせていた。魔器を使って半日気を張って探査を続ければ、並の魔法士では疲れ切ってしまう。その後1日は使い物にならない。ファルコス上級魔法士長が執った手段は、魔法士を3つの班に分け、1班ずつ探査に携わらせ、残りの2班は行軍中も荷馬車の中にスペースを作って休ませることだった。能力ちからの差のある魔法士を巧みに組み合わせて班毎の差を小さくし、死角が出来ないように配置して、ここまで行軍してきた。魔法士の中でファルコス上級魔法士長が最も疲れていた。班に入るわけにはいかず、絶えず報告を受け、命令を下し、気を張っていなければならない立場だからだ。


「いるのは確かなのだな?」

「はい、昨日あたりから監視されていると思われます。確実に探知できてはいませんが、ちらちらと微かな気配が引っかかっては消えます」


 そんな鋭い感覚を持っているのは帝国軍でもファルコス上級魔法士長だけだった。他の魔法士に訊いてもなにも感じてはいなかった。


「方向も分かりません。隊列の右であったり左であったりします。微かにちょっと感じたと思ったらふっと消えます」

「お前の探知範囲ぎりぎりを動いているのか」

「そのようです」

「隊列の両側と言ったな」

「はい」

「2人いるのか?」

「可能性はあります。どちらも個を判定できるほどはっきりとは感じることができません」


 受動探査でも相手の魔力の大きさは分かる。その魔力でどのくらいの範囲の探査が出来るかも想定できる。王国軍の魔法士はファルコス上級魔法士長の魔力を感じ、その探査範囲を正確に計り、それに探知されないぎりぎりの距離を保っているわけだ。その上隊列の両側で感じると言うことは、帝国軍が行進している街道を魔法士が跨いで移動しているのか、あるいは左右に少なくとも1人ずついるのかもしれないという可能性を示唆していた。


「領軍の魔法士の腕ではないな。お前に匹敵する能力ちからを持っている魔法士など王国に何人いるかという話だ。そんな魔法士がひょっとしたら2人だと……」

「そのとおりかと……」

「計算外の有能な魔法士だな。補給隊も捕虜の護送に送り出した連隊もその腕利きの魔法士を伴った王国軍に襲撃されたわけだ」


 容易ならぬ相手だ。レクドラムに付くまで気を抜くことは出来ない。いや、アンジエームに帰り着くまで、だ。


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