第48話 イクルシーブ上級千人長

 レフ達に解放された捕虜は2800人を数えた。彼らが先ずしたことは帝国軍が遺棄していった武器を拾って武装することだった。結果、400人の兵が――主には国軍の兵だったが――剣か槍で武装することができた。次ぎに負傷して残され、まだ息が有る帝国軍兵士のとどめを刺して回った。アンジエームから護送される途中で動けなくなった捕虜は容赦なく殺されたのだ、彼らに帝国軍兵士の命乞いを聞く理由はなかった。

 捕虜になっていた王国兵を纏めたのはイクルシーブ上級千人長だった。彼が捕虜達の中で最上級者だったし、彼の指揮で戦っていた海軍兵も多かったからだ。帝国軍が残していった行軍用補給物資で腹を満たすことが出来たので、アンジエームを出たときよりむしろ元気になっていた。アンドレ、ルビオ、ラザキェルは王国兵の中に入って先頭近くをイクルシーブ上級千人長と一緒に歩いていたが、レフ達3人は最後尾を少し離れて歩いていた。夜営するのも少し離れた場所を選んだ。




「助けて貰ってこんなことを言うのも何だが、本当にあいつらに助けられたのか?何かごまかされているような気がしてならない」


 アンドレ達に案内されて歩きながらイクルシーブ上級千人長が首をひねっていた。


「あいつらと言うよりレフ一人の力ですよ。信じられないかもしれませんが。我々はほとんど何もしていませんし、女達2人もレフに命じられて動いてます」


 イクルシーブ上級千人長と話すのは専らアンドレの仕事だった。3人の中で一番身分が高く、レフとのつきあいも長かったからだ。


「いったい何者なのだ?王国にあんな奴がいたのか。暗部とも違うようだし」

「何者かは分かりません。ただあいつがいるおかげで帝国軍から物資を奪うことが出来たし、今回はあなた達を救うことが出来たのは間違いないところです。見かけによらず恐ろしく腕が立ちますから、特に部下の兵達にうかつな態度を取らないように注意した方が良いと思います」

「まあ、注意しておこう。帝国兵が慌てふためいて逃げていくところは確かに見たのだからな。奴らの背中を追撃できなかったのは残念だったが」

「レフは最初から帝国兵を逃げ出させるつもりでやっていたようですね。踏みとどまってじっくり戦われたら、あなた達を解放することは出来なかっただろうと言ってましたから」


 6人という少人数で襲ったことを考えるとその通りだった。


「何か私の知らない方法で攻撃していたように見えたが……、我々は一番後ろにいたからよく見えたわけでは無いが、帝国兵の列の中で大きな音と爆発があったように思うが……」

「その通りです。あらかじめあんなものを仕掛けておいて、その場所まで帝国軍が来るのを待って仕掛けを作動させたと思われます」

「思われます……?貴公達も知らないのか?」

「レフは、レフだけでなく女達も、我々の知らない魔法を使います。攻撃魔法と言ってましたが。その一部は我々に見せてますが、あとどれくらいの攻撃魔法を持っているかなど分かりませんね」

「信用して良いのか?」

「信用するしかないのですよ。おそらく敵対したら手に負えませんからね」


 イクルシーブ上級千人長は後ろを振り返って、それからため息をついた。


「そうだな。あいつのおかげで捕虜から解放された。だから、あいつは少なくとも今は味方と考えて良いのだろうな」


 2800人の王国軍兵士は3日掛けて、ベニティアーノ領軍が本拠にしている集落跡にたどり着いた。

 通心で連絡してあったため、途中までベニティアーノ領軍が迎えに来ていた。負傷している兵を運ぶための馬車も用意されていた。


「ネフィクス・イクルシーブ海軍上級千人長です」

「コスタ・アルマニウス・ベニティアーノだ。王よりベニティアーノ領を賜っている」


 本拠地で待っていたコスタ・ベニティアーノとイクルシーブ上級千人長が互いに敬礼を交わした。さらにどちらからともなく歩み寄って、握手を交わす。

 王家から直々に領地を認められている貴族は、軍の将官級の扱いを受ける。一門の長から領地を分けて貰っている貴族とは格が違う。直臣と陪臣の違いと言って良い。それ故ベニティアーノ卿はイクルシーブ上級千人長より少し格上ということになる。言葉遣いにそれが現れていた。


「疲れただろう。取りあえずここは安全だ。しばらく休養するが良い。食料もたっぷり用意してある」


 イクルシーブ上級千人長は感心したように、周囲に立ち並んでいる天幕群を見た。天幕だけでなく、木造の建物もちらほら見えていた。コスタ・ベニティアーノはこの場所をある程度固定した基地にするつもりだった。まだ数少ない建物はアリサベル王女やベニティアーノ自身、それにレフ達の使用に供されている。


「お心遣い、痛み入ります」

「だが、休憩の前に謁見だ」

「アリサベル王女殿下がおられると聞いてます」

「その通りだ。いま西部では我々も王女殿下を戴いた王国の正規軍というわけだ。今、貴公の率いてきた兵でさらに充実した、殿下は期待しておられるぞ」


 コスタ・ベニティアーノの案内で、アリサベル王女の宿舎に連れて行かれた。一番大きな建物で、王女の謁見室や私室もある。王女の前に直立姿勢から、右手を胸に当てて頭を軽く下げる。戦場における王族に対する略例だった。そして戦場に於いては高級将校は直答が許される。


「ネフィクス・イクルシーブ海軍上級千人長であります。この度殿下のご威光により捕虜の身より解放されました。心より感謝申し上げます」


 王女のために運ばれた背もたれ付きの椅子に腰かけて謁見する。両脇に親衛隊員のロクサーヌとルビオが親衛隊員の軍装で姿勢良く立っている。


「そなた達が帝国軍の桎梏から逃れることが出来て、私も嬉しく思います。そなたの率いてきた兵達がこれから王国のため存分に働くことを願っています」

「ご期待に添えるよう全力を尽くします」


 儀礼的な会話を交わしながら、しかし、イクルシーブ上級千人長は以前ほど自分の王国に対する忠誠心が強くないことを感じていた。


 彼は――彼の部隊は――海軍基地が陥落したときに殿軍を務めていた。最精鋭の海兵と言われ、自負していた彼らは、自分たちが殿しんがりになることを当然だと思っていた。だから統制を保ち、最後まで組織的に抵抗しながら海軍が脱出する時間を稼いだ。


――そして――


 2個大隊2000人で始めた撤退戦が2割近い犠牲を出して、やっと艦船フネが待っているはずの岸壁にたどり着いたとき、彼らが見たのは取り残されて呆然と佇んでいる数百人の王国兵と、空っぽの岸壁、そして沖合を遠ざかっていく艦船だった。

部下の魔法士を通じて、引き返して自分たちを収容してくれるよう頼んだ。

――しかし、

答えは“否”だった。


 彼らの魔法士に応えたのは王太子直属の魔法士長だった。


『ドライゼール王太子殿下が、艦船を帝国軍に渡してはならないと命じておられます』 


 つまり、彼らを収容するために引き返せばその艦船を帝国軍に獲られる恐れがあるというわけだ。だから引き返せない。その時の絶望感は忘れられない。捨て駒のつもりではなかった。まだまだ戦えたし、戦うつもりだった。依って立つ軍さえ有れば……。


――見捨てられた。

 逃げ道を失った王国兵はその場で降伏した。命をかけて少しでも帝国軍を削ってやろうなどと言う気持ちは最早湧かなかった。イクルシーブ上級千人長にもそれ以上部下達に戦闘を強いる事は出来なかった。結局捕虜総数は岸壁で降伏した兵と、海軍基地の各所で降伏した兵を合わせて3000人になった。捕虜収容所で懸命に部下達を励ましながら、それでも自分たちを見捨てた王家――王国軍に対する隔意はだんだんと大きくなっていった。もちろん、部下の手前そんな気持ちを表に出すことは出来なかったが。




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