第46話 護送隊潰走 3
次の朝、帝国軍は暗いうちに硬いパンと燻製肉、それに水で朝食を済ませ、明るくなると同時に出発した。ほとんどの兵が王国軍の攻撃を警戒して一睡もしていなかった。不寝番以外は寝ることを許されていたが、派手な攻撃を受けた後ではおちおち寝る気にもなれなかった。強制的に睡眠を命じる上級者も居なかった。
捕虜には朝食が与えられなかった。前夜眠ることが出来た者は多かったが、そこまでの待遇の酷さからもうまともに歩けなくなっている捕虜も少なくなかった。その上に朝食抜きで、速く歩くように帝国軍が急かしてもどうしても足は遅くなった。どれほど鞭を使っても無駄だった。出来るだけ早くレクドラムに着くように命令されている帝国兵達は、捕虜の歩みののろさに焦り、いつの間にか捕虜を置き去りに早足で前を行く味方を追い始めた。一刻もすると捕虜の監視に当たっている帝国兵の数は随分と少なくなっていた。
レフ達は帝国軍から付かず離れず、適当な間をおいて並行していた。道など無かったが、苦にもしなかった。付いて歩きながら帝国軍の魔法士と士官を識別していた。魔力を持った魔法士の区別は難しくなかったし、しばらく観察していると、その振る舞いから士官も区別できるのだ。
「あれと、あれと、あれ……」
レフが一般兵の軍装をしている士官と魔法士をアニエスに教えていた。
そして、午前の陽がかなり高くなった頃――帝国軍が罠場へ差し掛かった。
――先頭が一番レクドラム寄りの罠の横まで来たとき、……今だ!――
レフが仕掛けておいた罠めがけて250ファルの距離から魔力塊を放った。魔力塊をぶつけられて、道端に隠してあった径15デファルの円盤形の魔器がぴょんと2ファルほど跳び上がると帝国兵の隊列の中に飛び込み、空中で大きな音と凄まじい光とともに爆散した。たくさんの魔器の欠片がものすごい勢いで周囲の帝国兵にぶつかっていった。悲鳴と怒号が交錯した。数十人の帝国兵が血塗れになって斃れていた。傷口を押さえてうずくまっている兵も多い。何が起こったのか、どう対処すれば良いのか分からないまま武器を構えた帝国軍に対して、レフは10~20ファルおきに設置してあった爆散の魔器を次々に作動させていった。
最初に爆発させたのは先頭に近い所に仕掛けてあった魔器だった。それで隊列の足を止め、その後は隊列の後方から追い立てるように爆発させていった。次々に爆散する魔器に帝国軍は大混乱に陥った。道端から魔器が跳び上がるとそれだけで蜘蛛の子を散らすようにその場から出来るだけ遠くへ逃げようとし、周りの兵士とぶつかり、倒れ込んだ。そしていくら全力で逃げようとしても爆発までの時間は短く、逃げ切れない兵士の背に魔器の破片が食い込んだ。破片は鎧で覆われてない身体の部位には勿論、覆われているところでさえ鎧を食い破って肉に食い込んでいた。
その混乱の中でアニエスがあらかじめ目星を付けておいた帝国軍の士官、魔法士を熱弾で斃していた。混乱を鎮めるべき上級者がいなくなった帝国軍はついに浮き足立って、レクドラムの方へ逃げ出した。最初に逃げ出したのは騎兵だった。自分が素早くその場から逃げ出せることに気づいた騎兵はこらえ性がなかった。後も見ずに馬に鞭を入れ、レクドラムの方に駆け始めた。騎兵達が逃げ出すのを見た歩兵もそれに続いて、鎧を脱ぎ捨て、武器を捨てて身軽になり騎兵の後を追い始めた。無理もなかった、いきなりこれまで経験したことのない攻撃を受け周りでばたばたと仲間の兵が倒れ、しかもこんな時にやるべき事を指示して兵を落ち着かせる役目を持つ士官がいなかったのだ。レフが仕掛けていた11個の魔器を全て作動させ終わったとき、帝国軍兵士達はひたすらレクドラム目指して逃げ出していた。
王国軍の捕虜達は逃げていく帝国兵を呆然とみていた。ある者は立ち上がり、多くは空腹で草臥れ果てて座り込んでいた。捕虜の周りにいた帝国兵も味方がドンドン離れていくのを見て我先に逃げ出していた。捕虜のことなど気に掛ける者もいなかった。帝国軍の隊列の最後尾なのだ。下手をすると取り残されるという恐怖に支配されていた。捕虜達は言わば放り出された様なものだった。
街道から外れた方向から捕虜達に近づいてくる人影があった。逃げていく帝国軍の方をちらちらと見ながら近づいてきたのはアンドレ、ルビオ、ラザキェルの3人だった。捕虜達の中から上級士官の軍服を着た男が立ち上がった。右手を三角巾で吊ったその士官は座り込んだ捕虜達の間を縫うように歩いて、近づいてくる3人の前に立った。右手の怪我のため手枷をはめられていなかったが代わりに首輪が付いていた。海軍上級千人長の階級章を見てラザキェル、ルビオが敬礼をした。アンドレも慌ててその真似をした。
「ルビオ・ラクティーグラ親衛隊士であります」
「ガナト・ラザキェルと申します。ベニティアーノ領軍で百人長をしております」
「アンドレ・カジェッロ、マークス・アルマニウス・カジェッロが3子であります」
海軍上級千人長が頷いた。彼が王国の軍制では最上級だった。
「ネフィクス・イクルシーブ海軍上級千人長だ。ご覧の通り怪我をしているので敬礼は勘弁して貰おう。ところで……」
イクルシーブ上級千人長は自由に動く左手で前方をぐるりと指した。
「これは貴公達の仕業かね?」
3人が顔を見合わせた。
「げ、厳密には違いますが、……私どもではなく、私どもの仲間がやったことであります」
ラザキェルの返事は煮え切らないものであった。
「貴公達の仲間?いったい何処にいるのだ?私には斃れている帝国兵しか見えないのだが」
「それは……、あっ、丁度こちらへ来ております」
ラザキェルの指さす方向から2台の馬車が近づいてきていた。剥き出しの荷台に荷を満載した馬車は帝国軍が引いていた補給物資用の馬車だった。1台目の馬車の御者台には1人、2台目の馬車には2人乗っていた。いずれも小柄な人物だった。
「あれが、お前達の仲間か?まるで女のように見えるが」
10ファルほど離れて止まった馬車から3人が降りてきた。1台目を御していたのがシエンヌで、2台目に乗っていたのがレフとアニエスだった。如何にも頼りなさそうに見える3人をイクルシーブ上級千人長が不審そうな目で見ていた。レフがイクルシーブ上級千人長の前まで来て、
「レフ・ジンだ」
どう返事をして良いのか分からないイクルシーブ上級千人長にラザキェルが、
「われわれのリーダーであります」
「リーダー?」
「この作戦を立案し、指揮を執り、実行した者であります」
イクルシーブ上級千人長は改めて、レフを見た。いまラザキェルが言ったことが到底信じられなかった。
「帝国軍の補給物資を貰ってきた。彼らは朝飯を食べてないだろう。先ず腹ごしらえからだな」
イクルシーブ上級千人長の思惑を無視したようにレフが捕虜達の方を指さしながらそう言った。
「ああ、そうだ。これを渡しておこう」
レフが取り出したのは鍵の束だった。
「監視役の
差し出された鍵束をイクルシーブ上級千人長が受け取った。側に寄ってきた王国兵に渡した。貰った鍵で隣にいる捕虜の手枷を外そうと試みた。幾つ目かの鍵で手枷が外れた。集まってきた捕虜達は嬉しそうに次々と手枷を外していった。
「で、他の部隊はどこに居るのだ?見えないのだが。帝国軍を追っているのか?」
当然の疑問だろう。ラザキェルが答えにくそうに、
「いえ、これですべてであります」
「これですべて?たった6人しか居ないではないか」
「はっ、6人であります」
どう反応すれば良いのか、イクルシーブには分からなかった。
「たった6人で2個大隊の帝国軍を逃走させたとでも言うのか?」
「はい、その通りであります」
「し、信じられるか、そんなこと!」
「逃げてくれて助かったよ。さすがに2000人もいると、じっくりと構えられたら手の出しようがないから」
横からレフが口を挟んだ。
「まっ、逃げてくれるように誘導したんだけれどね」
平気な顔でこんなことを言うレフにイクルシーブ上級千人長は言葉もなかった。
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