第41話 ベニティアーノ館にて 5

「もう一つ、レフからの情報だ」


 コスタの声が緊張感を帯びて、小さくなった。


「アンジエーム港が陥ちた」


 アンドレとハロルドの眼が吃驚した様に見開かれた。ハロルドは思わず腰を浮かせ掛けた。


「そんなっ!」


 思わず声を大きくしたハロルドをコスタ・ベニティアーノが手で制した。


「今のところ口外無用だ。殿下にはわしから話す」


 アンドレが頷きながら、


「王宮は孤立してしまったわけですか」

「そうだ、しかしドライゼール殿下は上手く脱出された様だ。海軍の艦もほぼ無傷だと言うことだ。尤も配下の兵はかなり減ったと、なにしろ3,000の捕虜が出たそうだから」

「あいつはいったい……」


 ハロルドが言いかけるのに、


「目と耳をアンジエーム市内に持っているのだろうな。あいつならそんな手配くらい簡単にやりそうだ」


 多分ザラバティーの関連だろう、そう思いながらアンドレが言った。


「正確だと思うか?」

「レフのことです。抜かりはないでしょう」

「そうか、アンドレはそう思うのだな」

「はい」

「そうか……」


 コスタ・ベニティアーノそう言って、机の上に両肘を付いて手を顎に当てて考え込んだ。

 しばらくそのまま身動きもしないのを見て、


「それなら、仕事に戻ります。遠征日数が伸びるのならもう一度計算し直さなきゃ」


 そう言って、ハロルドが腰を浮かせ掛けたが、


「ちょっと待て」


 コスタに止められた。もう一度腰を下ろし直したハロルドとアンドレに、


「さっきの勝負をどう見た?わしとレフとの勝負だが」

「えっ?親父殿の剣が折れなきゃ、あれだけ押し込んでいたから親父殿の勝ちでしょう。レフは防戦一方になっていたし、あいつだっていつまでも親父殿の攻撃を躱せるものでもないでしょう」


 明らかにレフが押されている。ベニティアーノ卿の攻撃をうまく捌いてはいるが防戦一方だったし、徐々に後退していた。あと5歩も下がれば周りを囲んでいる領兵にぶつかる。領兵達もぶつからないように身を引き気味だった。ハロルドはそう見ていた。


「そう見えたか?」

「違うんですか?」

「アンドレ、お前はどう見た?」

「レフが意図してベニティアーノ卿の剣を折ったと……、違いますか?」


 その言葉に吃驚したようにハロルドがアンドレの方を向いた。コスタ・ベニティアーノが苦笑いしながら、


「アンドレにはそう見えたか」

「だから直ぐに引き分けの判定をしました。あいつも無理矢理勝ち負けを付けるつもりがなかったんでしょう。そのまま受け入れましたから」

「何を言っている、アンドレ。鉄製の剣だぞ、そんなことが出来るわけが」

「あいつならやりそうだ」


 訓練での剣の腕ならハロルドとアンドレは互角と言って良かった。しかし、もし実戦で真剣を持って立ち会うことがあれば確実にアンドレが勝つだろう。実戦経験の差だ。ハロルドには分からなくても、アンドレとコスタには分かっていた。


「そうだな、それにあの蹴りだ。身体は小さいくせしてやたら重い蹴りだった。もう少しで盾を取り落とすところだった」

「私もあいつに転がされたことがあります。握った手に少し余分に力を入れたら、あっという間に背中を地面に付けていました」

「無手でも油断できない奴だって事だな。だからハロルド、明日からの遠征にはわしが付いていく。もともと形式的には王女殿下の親征だからな、領主直々にお供をするのが筋だろう。それに連れていくのは1個中隊に増やす」


 コスタの言葉にアンドレがにやりと笑った。ハロルドが腰を浮かせて、


「親父殿、それは!」

「坐れ、そう決めたのだ。領主と後嗣が同時に領を留守にするわけにはいかない、だからお前は留守番だ」


 コスタ・ベニティアーノとしては、ハロルドの見たことを告げられるより自分で見る方が遙かに多くの情報が取れる、と言うのがこの決定の大きな理由だった。それ程レフはコスタ・ベニティアーノの興味を引く存在だった。


「それにな、アンドレが言っていた、奴の攻撃魔法、帝国騎兵を吹き飛ばしたっていうやつだが、それを明日出発前に見せるそうだ」

「えっ?」


 アンドレの声に、


「それを見せてくれなければ部下達をどう指揮すれば良いか分からぬ、と言ったら肯いおった。アンドレ、お前も攻撃魔法の発動を見るのは初めてなのだろう?」

「そうですね、騎兵を吹き飛ばすのは2度見ましたがどんなふうに使うのか見るのは初めてです」


 アンドレの声はどこかうきうきしていた。


 ハロルド・ベニティアーノは初めての実戦の機会になりそうな遠征に参加できなくなってがっかりし、次いでまた増えた仕事にがっくりしていた。






 次の日の朝、館前の広場に遠征軍が勢揃いした。ベニティアーノ領軍が1個中隊100人、カジェッロ領軍が3個小隊31人、王女一行3人、レフ一行4人、計138人だった。レフがアニエスを連れて列から前へ出た。整列した軍の右手に重騎兵の鎧――胴の部分――が置いてあった。レフとアニエスがその鎧から20ファルの距離を取って立った。整列した兵達の眼が2人の一挙手一投足を見ていた。


「どれくらいの威力で撃ちます?穴を開けるだけなら1/4で充分だと思いますが」

「いや、少し派手にデモンストレーションしたい。ぶっ壊しても良いそうだから1の威力で胸のど真ん中を狙ってくれ」

「分かりました」


 アニエスが鎧を真っ正面に見て両手を肩幅に拡げて指を開いた。アニエスの両手の間に直径5デファルの光球が出てきた。アニエスはじっと鎧を見つめている。光球がすーっと小さくなって、周囲からは突然消えたように見えた。同時にガンッと大きな音を立てて、据えられていた鎧がはじけ飛んだ。鎧はがらんがらんと派手な音を立てながら5ファルほど転がって止まった。それを見ていたほぼ全員が息を飲んだ。表情を変えなかったのはレフ達だけと言って良かった。

 コスタ・ベニティアーノに合図されて、その側に立っていた兵が2人、転がった鎧の方へ駆けていった。鎧を抱えて戻ってくるとコスタ・ベニティアーノの前に置いた。レフとアニエスが近づいてきた。コスタの周りの兵達が思わず一歩引きながら腰の剣に手をやりそうになった。


「こんなものでいいかな?」


 レフの声を掛けられてコスタ・ベニティアーノが我に返った。改めて目の前の鎧を見た。ひしゃげて変形している。何より胸の真ん中に拳大の穴が開いて背中に抜けていた。この鎧を着ていた者がいたとしたら即死だろう。フーッとため息が出る。


「すごい威力だな。こいつが、アンドレが見たという攻撃魔法なのか」

「ああ、そうだ。ちょっとしたものだろう?撃たれると分かっていても避けることはできないだろうな。これで最初に魔法士と指揮官を排除する。そうすれば後はまあ、統制の取れない烏合の衆が残るわけだ」

「なるほど、貴公の遣り方は分かった。この攻撃魔法があれば細かい作戦など要らないだろうな。ところでアニエスと言ったかこの魔法を使ったあの娘は?貴公や赤毛の娘、シエンヌだったか、にも使えるのか?」

「う~ん、まっ、一番使い慣れているのがアニエスだ、と言っておこう」


 答えをはぐらかされてコスタ・ベニティアーノは一瞬不愉快そうな顔をしたが直ぐに表情を戻して、


「そうだな、貴公にとっては機密だろう。だが良いものを見せて貰った。どうやって帝国軍の補給隊を襲うのかと思っていたがこれなら十分に成算がある。頼りにさせて貰おう」


 コスタ・ベニティアーノは整列した領軍の方へ顔を向けた。両手で破壊された鎧を頭上に掲げながら、


「さあ、行くぞ!今見たとおりの魔法が我々の味方に付いている。帝国軍の奴らに一泡吹かせてやるぞ」


 おーっと領軍が槍を持った右手を挙げた。


「「「王国万歳!、ベニティアーノ様万歳!」」」


 これまで知られていない強力な攻撃魔法を見せられて領軍の士気は上がっていた。ざっ、ざっと足並みを揃えて遠征への一歩を踏み出した。



「あれが……、レフ達の力……」

「姫様」

「あれに狙われたら助からないわね」

「私の命に替えてもお守り申し上げます」

「無理よロクサーヌ、アニエスの手の間からあの光球が消えるのと鎧が吹っ飛ぶのが同時だったわ。20ファルの距離を置いてよ。まあ、今はレフが味方だったことを喜ぶしかないわね」

「姫様……」

「ルビオ」

「はい」

「この前お前がレフ達と行動を共にしたときあの魔法は使わなかったのね」

「はい。わたしも初めて見ました」


 アリサベル王女はため息をついた。


「ということは、レフはまだ見せてない魔法を持っているかもしれないという事ね」

「多分……」

「帝国軍の魔法と言い、レフの魔法と言い、王国はいつの間にか置いて行かれているわね。何とかしないと二流国に成り下がるわ。その前に帝国の植民地になるかもしれないわね」

「姫様」

「殿下」

「とにかくレフがどんな魔法を使うのか、どんなことをするのか見逃さないように気をつけるのよ。あの魔法については、威力は見せつけられたからそうね、続けて撃てるのか、続けて撃てるとしたらどのくらいの間隔で撃てるのか、何発くらい撃てるのか、射程はどうか、命中率はどうか見て頂戴。それにレフとシエンヌにも使えるかどうかも大事ね。いい?」

「「はっ」」


 ロクサーヌとルビオは姿勢を正してアリサベル王女の言葉を承った。そして急いで遠征隊の列に加わった。





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