第41話 ベニティアーノ館にて 2
「ジェシカ」
拘束の魔器を付けて1日ほど経った頃からそう呼ぶようになった。最初は少し顔をしかめるような様子もあったが直ぐに受け入れた。
「この部屋をどう思う?」
「はっ?」
「魔法士は情報収集、分析、作戦立案の訓練を受けているのだろう?お前の目から見てこの部屋をどう思う?」
レフがじっとジェシカを見つめていた。まるで値踏みするように。ジェシカは姿勢を正した。試されている、その評価次第では戦争捕虜から戦争奴隷におとされる可能性がある。役に立たないと見なされたら売られるだろう。戦争奴隷の扱いはひどいものだ。まして今は帝国軍が一方的に押している。その帝国軍の軍人の奴隷などどんな風に扱われるか、考えるとぞっとする。
「この館の最上階、3階建ての館の3階で、奥まった位置にあります。通路を扼せば脱出が難しくなります。途中にいくつか部屋の扉がありましたが、ダミーでただの壁です。客用寝室がいくつもあるように見せかけていますがこの部屋だけです。ただ階段を昇った直ぐの所に十人程度の兵を詰めておくことが出来る部屋がありました。いざというときはあそこで脱出を阻止する積もりでしょう。窓の外はまっすぐに切れ落ちています。重力軽減がなければ飛び降りるのは危険でしょう。結論としてこの部屋は確かに客用寝室ではありますが、客というのは必ずしも親しい者ばかりではない事を想定して造られた部屋だと思います」
レフがふっと笑った。
「部屋の位置の分析はそれでいい。部屋そのものはどうだ?」
そう言われてジェシカは改めて部屋を隅々まで見回した。さっきレフが手で触れながら部屋を検めていたときに自分でも一度やったことだが繰り返したのだ。違和感があった。ジェシカの目が主ベッドの上の格子状になった天井の、その中の一枚の格子に向いた。
「そうだ、あそこに部屋の中の気配を探る魔道具が仕掛けてある」
さっきは気がつかなかった。
「中に居る者の動きをその魔力で探知する魔道具だな。音は拾わないようだから喋っていることは伝わらない」
「えっ、あんな所に」
アニエスが少し間の抜けた声を出した。
「アニエスでは少し難しいかな。シエンヌ、どうだ?」
「私も今気づきました。言い訳になりますが、もっと高性能な物なら却って気づいたと思います。中の人間の持つ魔力の位置情報しか分からないようですから」
レフがジェシカに視線を戻した。
「さすがは
「はい」
「で、魔道銀線の造り方を母から教えられたと言ったな」
「はい」
レフが自分の背嚢から小さな、小指の先ほどの大きさの魔道銀の塊を取り出した。それを机の上に置いて、
「紡いでみろ」
ジェシカは魔道銀の塊を取り上げて左手の掌に乗せた。右手の親指と人差し指で挟み、魔力を流す。一定の濃度まで魔力を込めて、全体が均等な濃度になるように均す。均等になったら、一瞬その濃度の5倍の魔力を注ぐと魔道銀の塊から“芽”が出る。その“芽”を魔道銀から離れないように移動させた親指と人差し指でつまんで一定速度で引っ張る。細い魔道銀線が紡ぎ出される。右手を顔の高さで止めてもそのまま魔道銀線は伸びていき親指と人差し指に挟まれた所を抜けると輪になり始める。注ぐ魔力も紡ぐ速度も一定に保つためには、根を詰めて注意を逸らしてはならない。掌の上の魔道銀の塊しか見えなくなるし、周囲の音も聞こえなくなる。
――イフリキア様はもっと気楽な感じでこの作業をされていたけれど私にそんな余裕はない――
シエンヌとアニエスが魅入られたように紡ぎ出される魔道銀線を見ていた。2人とも魔道銀線の作製を見るのは初めてだった。レフが作製していることは知っていたが実際にその場を見たことはなかった。2人ともその才能が無いことがレフには分かっていたからだ。
小半時ほど掛かって魔道銀の塊は魔道銀線に加工された。ジェシカは魔力の半分ほどを消費し、魔道銀線作成の間ずっと緊張していた所為で額に汗を掻き、右手が細かく震えていた。結構疲れる作業だった。直径3デファルほどの何重にもなった魔道銀線の輪をジェシカがレフに差し出した。それを受け取って、
「なかなかの物だな」
右手の人差し指を魔道銀線の輪に沿って動かしながらレフがそう言った。
「ちなみに私が造った魔道銀線がこれだ」
ポケットから魔道銀線の輪を取り出してジェシカに渡した。
「きれい」
イフリキアの造った魔道銀線を触ったことがある。そっくりの手触りだった。魔力の流れが自分の作ったものよりスムーズであることに気づいた。それに細い、本当に髪の毛の細さだった。
「お前の造った魔道銀線も充分に実用的だ。それにもっと上手になるだろう。そうすれば私も今より楽に魔器を造れるようになる」
これは私を手元に置いておくという宣言なのだろうか?そう思いながらジェシカはレフに軽く頭を下げた。
同じ頃、館のコスタ・ベニティアーノの居室で、ベニティアーノとアンドレが話していた。コスタの後嗣、ハロルド・ベニティアーノが同席していた。ハロルドとアンドレは同年配で、アンドレがカジェッロ家から家出同然に出て傭兵稼業を始めるまではよく
三人の前にはグラスに入った琥珀色の酒が置いてあった。それを取り上げながら、
「ふーっ、やっと部屋に引き上げてくれたか」
ついさっきまで食堂を兼ねた会議室で王女をもてなしていたのだ。気疲れもあって、コスタ・ベニティアーノの口調はぞんざいだった。
「アンドレ、まったく貴様は厄介な仲間連れで訪れてくれたものだ」
「王女殿下を厄介者扱いにするのは問題では?」
「王女殿下?ああ、確かに殿下も厄介だな」
「それでは、レフ・ジンのことですか?」
「言うまでもなかろう。帝国軍の補給隊を襲撃するだと?」
「そのように言っています」
「その上、それにアリサベル殿下が同道する?いったいどうすればそんな話になるのだ?貴様には止められなかったのか?」
「殿下から言い出されたことです。こちらが口を挟む時間などありませんでした」
中小貴族の庶子が王女の言葉に逆らえるはずがない。そもそもこんな戦時でなければ口を利くことさえ出来ない。
「まったく、出来るだけ出番を遅く、少なくするつもりだったのに」
コスタ・ベニティアーノは一気にグラスの酒を飲み干すと手酌で追加の酒をグラスに注いだ。レクドラムの戦いにはテルジエス平原に領を持つ、主としてエンセンテ系の貴族が動員された。エンセンテ当主のディアドゥ・エンセンテ・ヴァリウスが他の有力貴族の一族が動員されるのを嫌ったのだ。それで手柄でも立てられたら、その後テルジエス平原の運営に口を挟んでくるかもしれないと危惧したせいだ。今となってはお笑いぐさだった。
アンジエーム攻防戦にはベニティアーノ家もカジェッロ家も動員されなかった。系統の違う中小領の領軍が多くなりすぎると統制が取れなくなると思われたからだ。それを幸いにコスタ・ベニティアーノはできるだけ表に立たない行動を取っていた。
「アンドレ、貴様、一緒に行くと言ったそうではないか」
ハロルドが目を輝かせてそう訊いた。
「さすがに王女殿下が戦に出ようというのに、我々が付いていかないというわけにはいかないだろう」
「俺も行きたい」
「ハロルド!」
コスタに厳しい声でたしなめられて、
「父上!?ベニティアーノも兵を出さなければ笑いものになりますぞ」
「闇雲に突出させるつもりはない、領兵というのは結局領民の中の最良の部分なのだぞ」
そう、若くて、健康で、体力があって、命令を理解できて、その命令に従順に従う。どんな仕事に就くにしても望ましい資質だ。領はそういう若い男達の働きで保たれている。そんな領の維持・発展に使いたい男達を領兵として徴集している。彼らを無駄に費消する余裕などはない。
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