第40話 アンジエーム港の陥落
ディアステネス上将は一段高くなった指揮台の上から戦況を見つめていた。すぐ側にファルコス上級魔法士長が控えて、戦場の各所から通心で送られてくる戦況を上将に報せていた。
「もう破れるな」
「はい」
「半日か、やはり脆かったな」
「主力は海兵です。陸での戦闘には慣れてないのかと」
「王宮から来たのもいるだろう」
「所詮は逃げ出してきた兵です。腰を据えて海軍本部を守ろうなどとは思わないでしょう」
「それもそうかな。いずれにせよ今日中には決着が付くな」
かつかつと足音がして、皇族の豪華な鎧を着たドミティア皇女が指揮台に上ってきた。さして広くもない指揮台の上で、上将の護衛兵達がスペースを空けるように下がって姿勢を正した。上将が振り向いた。護衛隊長であるレザノフ百人長を従えたドミティア皇女が立っていた。
「殿下、こんなところまで」
上将の言葉にとがめるような調子があるのに、
「これだけ離れていれば大丈夫でしょう。弩弓だって届かないわ。それに後方で報告を聞いているだけなんて、退屈で」
ディアステネス上将が指揮台を設置したのはマーフェルト通りに面して、海軍基地の正門から200ファルほど離れた背の高い建物――5階建てでもとはアンジェラルド王国でも有数の大商会の本部――の屋上だった。
「それにやはり気になるものね」
「指揮官は後方でどっしりとしているものです。まあ、わざわざおいでになったのだからご覧になってください。もうすぐ正門が破れますので」
戦場のどよめきも、煌めく刃も、壁の上と下とで盛んに撃ち合っている矢もそこからは見えていた。壁の下には死傷者が転がっている。矢合戦は高いところに陣取っている王国軍の方が有利だった。見える範囲の死傷者は帝国軍の方がずっと多い。もっとも壁の内側には王国軍の死傷者がたくさんいることは当然予想された。矢だけではなく、槍に貫かれた兵士、大きな石に押しつぶされた兵士も見える。王国軍の兵士も混じっているのは壁の上から落ちたからだ。ぐしゃっとつぶれた身体があり得ない形に変形している。
「謀将、いえ知将と言うべきかしら、ディアステネス上将としては随分と強引な正面からの力押しの遣り方ね」
「楽な戦ばかりでは兵が
損害を顧みずに力押ししている様に見える。ディアステネス上将ならこんな強引な戦をしなくてもこの程度の基地を潰すことが出来るはずだ。
「それに本当の苦戦になったときに最後に勝敗を決めるのは、そういう苦戦を乗り切った事があるという自信ですからな。この程度の基地であれば力押ししても損害はしれていますな。尤もこんな経験が役立つような戦はしたくないものですが」
ディアステネス上将としては早めに海軍基地を落としておきたい理由もあった。
補給物資、特に食料を焼かれたのは痛かった。直ぐに飢えるなどということはないものの、レクドラムに補給を急かせる必要はあった。アンジエーム市内の食料は既に王国軍が徴発しており、民がぎりぎり飢えない量しか残されてなかった。無理矢理徴発出来なくはないが、民の抵抗は強いものになるだろう。海軍基地と王宮とに敵兵がいる段階で街の民をはっきりと敵に回すのは得策とは言えなかった。今でさえ少数の兵でアンジエームをうろつくのは決して安全とは言えなかった。
もう一つ、海軍基地を短時間で陥とせば、そこに集積してある補給物資を運び出す時間が足りず、そのかなりの部分を手に入れることが出来るとも期待された。
それに、アンジエームの周りを偵察させる目的で半個騎兵中隊の偵察隊を4つ出していたがそのうち1つが帰らなかった。捜索隊が街の東で全滅しているのを発見し、領軍の部隊と遭遇戦になったのだと考えられた。ディアステネス自身で偵察隊の死体を検めたわけではなかったため、レフ達が関与していることまではディアステネス上将には分からなかったが、王国軍がアンジエームの周囲で蠢動し始めていると考えるには十分だった。つぶせるものは早い内につぶしておこうと考えたのだ。
王宮の抑えに1万、そのうち7千を正門に、3千を北門に配し、残った5万を全て海軍基地の攻略に当てていた。王宮は閉じこもってしまわれれば攻めがたかったが、2カ所の門を抑えてしまえば中から攻勢に出ることも難しかった。
厚い板を鉄で補強した城門に先端に尖った鉄をかぶせた攻城槌が、頑丈な馬に引かれて何度も打ち付けられていた。馬は破城槌を引くために育てられた馬で、頑丈で、力強く、短い距離であれば結構な速度で走れる。壁の上から降ってくる矢や槍に倒されないように馬自身も鎧を着せられ、全身鎧の騎手が乗っている。2頭で1本の攻城槌を引っ張って城門に打ち付ける。壁の上からの攻撃でかなりの犠牲が出てはいるが、朝から間断なく続けられている攻撃で門にはもう一部穴が開いていて、蝶番が歪んでいた。ディアステネス上将がドミティア皇女に言ったようにもう2~3回も攻城槌をぶつければ門は壊れるだろう。それを見越して門の周りに帝国兵が集まっていた。城門が破れれば我先に海軍基地内になだれ込むためだった。
破城槌が左右から馬に引かれて奔る。巻き付けられた鎖を左右から馬が引き、後部は車輪の付いた台に乗っている。壁の上から降ってくる箭や槍をものともせず門の直ぐ手前まで馬が奔って破城槌をぶつける。メリッ、バキッという音がして門が吹っ飛んだ。
馬車がすれ違えるほどの幅がある門から帝国兵が壁内になだれ込んだ。阻止するために集まった王国兵が抵抗するが、帝国兵の勢いは止まらない。たちまち海軍基地内に橋頭堡を築くとそれを拡げていった。
「敵の艦隊が港の外に逃げていきます」
という報告が来るまでに1刻かからなかった。
ドミティア皇女とディアステネス上将は護衛兵を引き連れて基地の正門をくぐった。戦闘があったばかりと言うことで20人を超す護衛兵が先導し、同数の兵が周囲を固め、さらに同数の兵が後衛を務めた。VIPが2人になって、護衛兵も倍になった。ドミティア皇女の護衛兵も、ディアステネス上将の護衛兵もどちらも自分たちに任せろと言って引かなかったのだ。結局両方が行くことになったため、門を通り抜けるときなどかなりの混雑だった。
正門の付近が最も激戦になった地点だった。まだたくさんの兵が負傷者の収容、死体の片付けをしていた。しかし、皇女と将軍が通りかかると、その作業の手を休めて、武器を右手に振りかざし、
「ドミティア殿下、万歳!ディアステネス閣下、万歳!」
を叫んだ。
皇女と将軍が基地内に進むに従って、“万歳!”の声は内部に移動していった。一行は本部の建物の前で立ち止まった。背の高い建物を見上げる。ディアステネス上将が副官に向かって、
「中を案内できるような捕虜はいないのか?」
「はっ、探して参ります」
待つほどのこともなく副官が連れてきた捕虜は王国海軍上級千人長の階級章を付けていた。右肩から包帯が巻かれている。捕虜はディアステネス上将の前で姿勢を正した。
「ネフィクス・イクルシーヴ王国海軍上級千人長であります。右手が動かないため敬礼はご容赦願います」
「海軍基地の中を見たい。案内してくれるかね?」
「はっ」
“喜んで”とは言わなかった。
イクルシーヴ上級千人長の案内する海軍本部内はどの部屋も書類が散らかり、机や椅子が乱暴に倒され、書類が入ったままの引き出しが裸で積まれていた。その中でイクルシーヴ上級千人長は落ちつかなげに視線をキョロキョロとさまよわせていた。放り出された書類の中に機密のものがたくさんあるはずだった。下手に手を出せばどれが重要な書類なのか帝国軍に教えるようなものだ。
「まあ、この辺りの点検は情報部に任せよう。さてイクルシーヴ上級千人長、倉庫に案内してくれるかね?」
ディアステネス上将は本部の中の状況には余り興味が無かった。情報の吸い上げは専門家に任せれば良い。王国海軍が慌てふためいて逃げ出したことが分かれば充分だ。
それより倉庫だった。
2つある補給物資倉庫はどちらも7割ほど物が入っていた。懸命に運びだそうとした形跡はあったが、半日で、戦闘状態下では焼け石に水だった。
「焼こうとした形跡さえないか……」
敵に渡すくらいなら、と退却する場合には運びきれない物資は焼いてしまうのが定石だ。それすら徹底できていない王国軍の無様さを嘲笑する気持ちはあったが、とにかく食糧事情に余裕が出来たことが満足だった。
「貴官は捕虜になった王国海軍士官の中で最上位かね?」
「はっ、そのようであります」
「そうか。得られた情報の整理に協力を願うことになるだろう」
連れていけと顎で示された護衛兵がイクルシーヴ上級千人長を倉庫から連れ出した。ディアステネス上将がニヤニヤと笑いを浮かべた。それを見て、
「あなたの目的はこれだったのね。えらく急ぐと思ったわ」
「まあ、運び出されたり、焼かれたりしてはたまりませんからな。こういうものは有効利用すべきですな。王国軍に我々の物資が焼かれたのだから、それを戻して貰うのは理屈に合っていると思いますな」
ドミティア皇女は肩をすくめただけだった。
海軍基地と港の争奪戦で帝国軍は2200人の死傷者を出した。うち死者が800人だった。王国軍は500の死者を残して撤退したが正確な死傷者数は帝国には分からなかった。なお脱出が急すぎた所為もあり、舟に乗り損ねた王国兵が多く取り残された。この戦いでの王国兵の捕虜は3000人と言われる。ただし、その捕虜の中にドライゼール王太子は勿論、将軍、提督といった高級将校は一人も含まれていなかった。結局、ドライゼール王太子の元には1万の軍が残ったことになる。
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