第39話 アンドレ・カジェッロ 2

「アンドレ様、5騎ほど逃げていきます!」


 アルティーノ魔法士の指さす方を見ると、5騎が背を向けてアンジエームの方へ駆けていた。先頭の2騎は指揮官と魔法士だった。その後ろ、少し距離を置いての3騎は形勢不利とみて逃げ出した騎兵だった。そのうち2騎は士官の兜を被っていた。後ろの方にいて乱戦に巻き込まれていなかったのだ。


「畜生、逃がしたか」


 倒した敵の馬を駆って追いかけてもとても追いつけないだろう。


――その時、全力で先頭を駆ける馬の横から騎兵めがけて飛び付いた人影があった。あっという間に1人目――指揮官の方だ――を馬からたたき落とし、直ぐに横を走っていた魔法士に飛びかかった。魔法士はあっさりと馬の背に倒れ込んだ。2頭の馬が足を止めた。


「やっぱりあいつだ」


 思わずそう言った俺を、周りに兵達が何を言っているのかといった顔で見た。だがこの遣り方は強烈な印象とともに覚えている。突撃してくる騎兵を倒した火の玉も、馬上の兵に飛びかかって行くあいつも、忘れられるものか。

 指揮官と魔法士が襲われたのを見て後続の3騎が足を緩めた。そのうちの1騎の兵の頭を火の玉が貫いた。火の玉が入った反対側から、赤いものが兜を突き抜けて飛び散ったのが見えた。血塗れの脳漿だ。とっさには反応できず、その場でスピードを緩めて迷っていた2騎の兵も次々にその頭を火の玉に貫かれて落馬した。


――火の玉を撃ったのはあいつじゃなかったんだ。それなら連れの女のうちどちらかだろう。――


 あいつが2頭の馬を引っ張って近づいてきた。乗り手を失った残りの3頭をこっちへ追い立てている。倒れている帝国騎兵の方など見むきもしない。即死だということが分かっているのだろう。

 途中から女が1人、脇から出てきて3頭の馬の手綱を取り、あいつの後ろについて一緒に近づいてきた。髪の黒い方だ。なにかあいつに話しかけている。


――こいつなのか、火の玉を撃ったのは?いや赤い髪の方は隠れているだけという可能性もある――


 俺の周りにも帝国兵との闘いを終えた部下達が集まって来ていた。尤も死傷者が20人近く出ていたからその世話と後始末があって、俺のところに来たのはアルティーノ魔法士、小隊長のジェディアス、マリストスの他は2人だけだった。皆、帝国騎兵の馬を引いて近づいてくるあいつを、納得できない顔で見ている。アルティーノ魔法士も最初から見ているはずなのに、狐につままれたような顔をしている。俺だって直に、しかもこれが2回目だったが、見ていなければあいつが本当に帝国騎兵を倒したなんて信じやしないだろう。あいつも黒髪の女も見かけは華奢だ。2人とも一ひねりでつぶせそうに見える。


 あいつがすぐ側まで来て笑顔になった。


「やあ、アンドレ。元気そうだな」


 やっぱり覚えてやがった。


「あんたもな。レフ」

「ところでこの前の馬と武器の代金がまだだぞ」


 いきなり借金の請求をしやがった。そう言えばアンジエームに帰ってから顔を合わせる機会もなかった。当然金も払っていない。こいつを怒らせてはいけない。俺たちの方が人数は多いが勝てる気がしない。


「ああ、払うよ。それに今回も馬を分けて欲しいんだが」

「私達には7頭必要だ。今回はあんた達も闘っているから残りは好きにすれば良い」


へえ~。仲間を増やしたのか、前は確か3人だったよな。今は見えないがやっぱりあの赤毛もいるって事だ。


「そうか、助かるよ」


 馬の配分を廻ってこいつと諍いにでもなれば、せっかく帝国騎兵との闘いを生き延びたのがむだになってしまう。あわてて懐から金袋をだした。


「1頭金貨2枚で良いか?そんなに余裕があるわけでもないからな、俺たちにも」


 相場より随分安い金額を先ず口にした。いきなり相場通りの金額を示すより少しでも値切れないかと思ったのだ。レフは俺が率いている領兵達を見回して、


「ああ、良いだろう。確か7頭だったから14枚、それに武器を返してやった分を1枚上乗せして貰おう」


 あっさりその金額で頷きやがった。


「わかった。全部で15枚だな」


 周りに集まっていた兵達がざわめいた。あのときの傭兵仲間じゃないから俺のレフに対する態度が理解しがたいのかもしれない。圧倒的強者を前にしているという自覚がないのだろう。


「アンドレ様!」


 アルティーノ魔法士がとがめるような声を出した。無理もない、金貨15枚といえば今の我々の所持金の3割だ。まあ目的地に無事に着けばその時スッカラカンになってても良い訳だが。親父もその積もりでかつかつしか持たせなかったのだろう。


「口を出すな、アルティーノ!」


 アルティーノは不満そうに口を動かしていたが、声には出さなかった。俺はレフに近づいて差し出された手に金貨を15枚載せた。


「利子はなしにしてやるよ」


 恩着せがましくそんなことを言う。金貨を受け取ったレフがふっと南に顔を向けた。


「あっ、やっと来たな」


 レフにつられて視線を廻らせて、海岸の方から人影が近づいてくるのに気づいた。一緒にいた領兵達も同じ方を向いた。


「5人……」


 近づいてくるのは5人だった。1人、大柄な男がいる他はどうも女のようだ。レフの連れだろう。2人はフードを被っていて顔が見えない。顔を見せている女のうち小柄な方がこの前会った赤毛の女だ。大柄な女の方はレフより大きいだろう。そしてこいつと男の身のこなしは訓練された兵士のものだ。レフよりずっと強そうに見える。それに信じがたいがフードを被っている内の1人は帝国の魔法士の軍装だった。レフが引いてきた馬の上で伸びている魔法士の格好そのものだ。俺が馬の上で伸びている魔法士に視線を当てているのに気づいたレフが、魔法士を馬から引きずり落とした。地面に横たわった魔法士はぴくりとも動かなかった。


 俺たちに注視されながら近づいてきたがレフの前で止まった。赤毛が少し頭を下げながら、


「遅くなりました。もう済んだのですね」

「ああ、終わったようだ。馬を7頭分けてくれるそうだ」


 その言葉を聞いて、フードを被っていた女が被りものを取った。フードの下から現れた顔を見て俺は思わず姿勢を正した。


「ア、アリサベル殿下!?」


 名を呼ばれて王女が俺を見た。王族の肖像画が出回っているわけではない。王女の顔を知っている人間など、王宮の奥付きの使用人と護衛兵を除けば、貴族と王宮御用達の大商人とその係累などに限られる。


「あなたは?」


 小さい頃からしつけられた習慣だった。傭兵稼業にいそしんでいる内に忘れたと思っていたが“雀百まで踊り忘れず”ってやつだ。


「はっ、マークス・アルマニウス・カジェッロが3子、アンドレ・アルマニウス・カジェッロであります」

「そう、私を知っているのね、あなたは」


 アリサベル王女殿下は王族の中でもその美貌で知られていた。王宮に出入りできる若い貴族の子弟の間では有名な存在だった。俺も父に連れられて王宮に何回が参内したことがある。たまたますれ違っただけだったが後で同じような立場の男達に羨ましがられた。

 親父に王族の前で取るべき態度について嫌というほどたたき込まれた。王宮に行くのが余り楽しくなかったこともあり、王宮への出入りなんてことはカジェッロ家の後嗣に任せれば良いと思っていたので、参内した回数は決して多くはなかった。その数少ない機会の中で謁見の間以外の所で王族とちらっとでも会ったというのは、幸運だったのだろうか。

 ちなみに俺は妾腹で、後嗣は正室の長男だが、俺より5歳も若い。母親が平民の出だった所為で正室になれなかったのだ。カジェッロ家の子供の中で一番年上だが立場として3番目と言うことになる。


「はい」


 畏まって王女に挨拶する俺をレフが面白そうな顔で見ていた。そして、俺たちに近づいて、


「つまり、傭兵カジェッロは姫様を知っているわけだ」


――この野郎、何を企んでやがる――


 レフの笑顔と機嫌の良さそうな声が俺の警戒心をあおった。


「ここであんた達と役目を交代しよう。姫様達を王国領軍の抵抗線まで連れていくという役目だが」

「えっ?」


 多分俺は間の抜けた顔をしていただろう、とっさには何を言われているのか分からなかった。






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