第39話 アンドレ・カジェッロ 1

 その時俺は親父から命じられて、実家の領兵50人をベニティアーノ領まで率いていく途中だった。コスタ・アルマニウス・ベニティアーノは親父の国軍勤務時代の戦友で、同じアルマニウス一門でもあり、しかも同じように百人長にまでなったということもあり、随分気があったようで勤務明け以降もつきあいを続け、後嗣のファイストスの正室にコスタ・ベニティアーノの娘を迎えている。

 ベニティアーノ領はゼス河の東岸で、帝国軍に占領されたテルジエス平原と河を挟んで向かい合っている。言わばいつでも最前線になり得る領って訳だ。まあおそらく王都を陥とした後帝国軍が東へ進軍してくるとしてもその正面からは外れる場所だが、コスタ・ベニティアーノとしては少しでも護りを固めたいところだろう。そこでカジェッロ家に援軍を求め、カジェッロ家としても自領がアンジエームから少し離れていることで直ぐには帝国軍との戦闘の矢面に立たなくて済むという見込みから、俺に領軍の1割を率いてベニティアーノ領へ向かわせたわけだ。まあ、姻戚としてはこの程度はのつきあいはしなきゃいけないだろう。

 傭兵仲間と別れて実家に帰っていた所を、丁度良いということで親父に命じられたわけだ。傭兵仲間をカジェッロ領に置くという事は考えられなかった。傭兵ってのは金がかかる。短期間目的があって――例えば商隊の護衛など――傭うなら良いが、目的も期間も決めず傭うなど、中小の領主には出来ない相談だ。いつだって領のやりくりにピリピリしているのにそんな余裕があるはずがない。

 そういう訳で俺は一人で実家に残り、帝国軍と闘った経験のある領兵など一人もいないから、俺の経験を踏まえて領軍の訓練をしていたわけだ。いつもはどちらかと言えばのんびりしている領兵達もアンジエームが攻められているという事は知っており、俺の訓練にそれほどの文句も言わずつきあってくれた。

 領兵達も俺になついていたし、庶子という立場でもあり、領にいなくても一向に差し支えがないという点も親父が俺を派遣すると決めた理由の一つだろう。


 50人という兵力が多いか少ないかについてはいろいろ考えがあろうが、カジェッロとしてもそれ程の無理もなく派遣できて、他領を通らせて貰うときに脅威とならない数、ということでこの辺に落ち着いたわけだ。これが100を越える様な兵力なら領内の通過を断る領主が出てきただろう事は想像に難くない。




「アンドレ様!」


 隣を歩いていたアルティーノ魔法士から声を掛けられたのは、マチェレア街道からノルゾード街道が北に分岐する地点の少し手前だった。つまりまだ王領に入らないぎりぎりの地点だった。ノルゾード街道は王領の境界に沿って北に延びている。王領にまとまった数の領兵を率いて入るなど、その時俺はまだ考えてなかった。


 妙に緊迫した声に魔法士を見ると、


「騎兵が西から近づいてきます」

「何?」


 本当かという疑問が先ずあったが、こんなことで嘘を言うはずがないと直ぐに考えなおした。


「どれくらいの規模だ?それにどれくらい離れている?」

「20騎から30騎くらいで、まだ1里ほど西です。まっすぐこっちに向かっています。この動きだと我々は既に探知されていると思われます」


 領に2人しかいない魔法士の1人を付けてくれたことに感謝した。魔法士がいなくて気づくのが遅れ、半個中隊の騎兵に不意打ちされるなど考えたくもない。まあ親父が魔法士を付けてくれたのは情報を集めるためだったが。領に残した魔法士との通心でベニティアーノ領の様子や俺たちがどうしているか親父も把握できる。


 周りを歩いている兵がそれを聞きとがめた。


「騎兵だって?」

帝国軍てきか?」

「味方かもしれないぞ」


 がやがやとうるさくなったのを合図して黙らせた。


「ここで迎え撃つぞ。ジェディアスの小隊は左へ、マリストスの小隊は右へ展け、残りは真ん中を固めろ。弓兵も真ん中だ」

「アンドレ様、味方という可能性は?」


 魔法士が震え声で訊いてきた。


「ない」


 ちょっと考えれば分かることだ。王宮も港の海軍基地も帝国軍に包囲されている。そこから半個中隊ほどの騎兵が簡単に脱出できるわけがない。もし脱出できたとしても追跡が掛かっているはずだからなりふり構わず駆けてくるだろう。前に向かっての戦闘態勢を取って進んでくることなどない。

 迎え撃つ体勢に展き、盾を並べ槍を構えて待った。逃げることなど考えなかった。こちらは歩兵で敵は騎兵だ。逃げ切れるわけがない。背中を見せれば全滅までの時間が短くなるだけだ。それは率いている領軍の兵士にも分かっている。だから逃げようという話は出てこない。それにしても本当に都合の悪いところで出くわしたものだ。道を外れれば牧草地で、多少の起伏はあってもほぼ平面で木も生えてない。騎兵のためにあつらえた様な場所だ。

 1里の距離は騎兵にとっては短い。待つほどもなく遠く小さく騎兵が見えてきた。周囲にいる兵達がゴクリとつばを飲み込むのが分かった。こいつらはほとんどが初陣だ。それなりに鍛えてあるが、領兵はどうしても常備兵に比べると練度が低い。しかも初陣の相手が騎兵だというのはさらに分を悪くする。何とか騎馬の行き足を止めることが出来なければ、速度の付いた重量物(騎馬と騎兵)の突進をまともに受けてしまう。


――覚悟の決め時か――


 槍を握りしめる手がすこし滑った。汗を掻いているようだ。手を見る。


――よし、震えていないな――


 指揮官の怯えは敏感に兵達に伝染する。周りの兵達の様子を見る。何とか教えたとおりに陣を張り、槍を構えている。何回かの実戦を死なずにくぐり抜けることが出来ればいい兵隊になれたかもしれないな。


――何とか小人数でも逃がしてやりたいが――


 100ファルほど離れて帝国騎兵が突撃体勢を整えた。重騎兵ではなく進出距離に重点を置いた軽装騎兵だが、ずらりと並んで騎兵槍を構えると迫力がある。盾など何の役にも立つまい。降伏勧告はなかった。指揮官らしい騎兵が槍を持った右手を挙げて振り下ろした。それを合図に突撃してきた。ウォーという言葉にならないおめき声と武器のぶつかる音、蹄の音が見る間に近づいている。


「迎え撃てー!弓兵構え!」


 俺は大声で命令を下した。


 敵騎兵の姿がみるみる大きくなる。弓はせめて15ファル程度まで近づかなければ有効射にならない。射てと命令したくなるのを懸命に我慢して、射程距離になったと思ったとき、先頭を走っていた騎兵がいきなり横に弾かれたように倒れた。数騎を巻き添えにして倒れ込む。続けて2騎目、3騎目と同じように弾かれた。後続の騎兵が慌てて止まろうとする。倒れた馬に躓いて数頭が兵を放り出して転倒した。前の様子が分からずそのままの速度で突っ込んでくる騎兵と止まろうとする騎兵がぶつかってさらに数騎が落馬した。


――しめた!――


 何が起こっているか分からずとっさには動けない味方をあらん限りの声を出して鼓舞した。


「弓兵放て!突撃、奴らの勢いが止まったぞ、足の止まった騎兵など鴨だ!突撃!」


 叱咤されて、盾の後ろで槍を構えていた兵達が俺に続いて敵めがけて走り出した。


(助かった!)


 1撃目は分からなかったが、2撃目、3撃目ははっきり見えていた。馬の頭を光るものが貫いたのを。そしてそれには見覚えがあった。


――あいつらだ。あいつらが来てるんだ、勝ったぞ!――


 部下達がぶつかったとき敵騎兵の混乱はまだ収まっていなかった。もともと数ではこちらが上回っている、その上、あの攻撃で10騎ほどが撃ち減らされている。敵1騎に対し3人ほどの兵が群がって攻撃している。足の止まった馬に騎乗したままでは左右、後ろからの同時攻撃に対処できない。たちまち敵の数が減っていった。




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