第37話 焼け跡

 

 時間を少しさかのぼる。


――――――――――――――――――――――――


「どうだったの?」


 ドミティア皇女が自分の前に直立不動で立っているレザノフ百人長に訊いた。


「地下室が最もひどく焼けておりました。おそらくそこが火元でしょう」


 応援の中隊が駆けつけるのを待って、踏み込んだ。玄関のドアを蹴り破って突入したとたん、家全体が火に包まれた。1階部分も2階部分もほぼ同時に燃え上がった。火はあっという間に家全体を包み込み最初に突入した2個小隊が逃げ遅れた。消火の準備など有るはずもなく、呆然と全てが焼け落ちるまで見ている他なかった。レンガ造りの土台と壁の一部を除いて焼け落ちるまでそれ程の時間は掛からなかった。火が出たとき家の中にいた帝国兵は一人も助からなかった。

 そうしたことも含めて焼け跡の整理がやっと一段落したところだった。


「何かめぼしい物は残っていた?」

「地下室以外はただの家具類、生活用具しかありませんでした。地下室についてはご覧頂いた方が良いかと」

「それは、危険ではないのか?」


 疑問を呈したのはディアステネス上将から付けられていたお目付役の将校だった。


「もう、燃える物は焼け尽くしております。火で脆くなった壁は崩しました。今更危険なことなどないかと」

「そうね。レザノフがそう言うのなら私が直接見た方が良いのでしょうね」

「はい、是非」


 皇女の言葉にレザノフ百人長が頷いて、頭を下げた。




「こっ、これは?」


 ドミティア皇女はレザノフ百人長に案内されて地下室に踏み入れたところで吃驚したように立ち止まった。木造の建物部分は完全に焼け落ちていた。地下室へ続く階段も焼失していて、代わりに設置されたはしごを伝って降りた。土を掘った地下室の輪郭は残っていたが壁の木材や机の残骸、半分溶けて元の形も分からない金属片が乱暴に部屋の片隅に投げ捨ててあった。普通の火事ではこんなに金属が溶けるほどの熱は出ない。補給物資集積所を焼いた王国の魔法がここでも使われたことを示していた。最も重要な物は床に散乱している焼け溶けたガラスの塊だった。皇女には既視感があった。


――魔器の土台になる球だわ。それにこの部屋の中の道具、焼け溶けて元の形は崩れているけれど魔法院の工作室にあった物を想い出させるわ、部屋自体はずいぶん狭いけれど――


「まさかここで魔器を造っていたの?」


 ガラスの塊を一つ手に取って思わず声に出していた。王国にも帝国の魔法院に充る組織があることは知っていた。しかしそれは王宮の敷地内にあるはずだ。こんな平民街の中の何の変哲も無い民家に有っていいものではない。それに王国で魔器を造っているなど、これまでの諜報活動で引っかかってきた情報の中にはなかった。


「そんなことが……」


 有り得るのだろうか?


「ここに住んでいたのは3人だと、近所の住民が申しております。いずれも若い人間で愛想もなく、近所づきあいも少なかったとか」

「3人……、本当に3人だけなの?」

「近所から分からないようにもっと居たかも知れません。しかしご覧の通り狭い家です。ベッドも3つしかありませんでした。居ても倍が精々でしょう」

「一体王国は何を考えているのかしら?」

「さあ、王宮を陥としてから、然るべき人間に訊かなければ分からないかも知れませんね」

「……そうね、いずれにせよ王国は追い込まれているわ。多少の魔器が作られていたとしてもとても帝国には敵わないし、ここが魔器造りの場所の一つだとしたら、さらにその能力ちからが削られたわけだものね」


 納得のいかない顔のまま皇女がそう言った。


―――――――――――――――――――――――――――――――


「それで王国はそこで魔器を造っていたとおっしゃるわけですな」


 司令部の幕舎でドミティア皇女の話を聞いたときのディアステネス上将の言葉だった。


「そうね、魔法院に比べるとずいぶん慎ましい規模だけれど、あそこで造っていたことは間違いないと思うわ」

「ちぐはぐですな」


 皇女が頷いた。同じ感想を持っていた。


「王国軍のやり方を見ていると、我々の魔器に対応できていない。全体として旧態依然の、才能と魔道具頼りから抜け出していないと考えられるのに、一部では我々の知らない魔法を使っている。今日殿下が見られた、魔法士をさらっていった魔法もそうでしょう。おそらく魔器かそれに類するものを使っているのでしょうな」

「私もそう思うわ。法陣なしに新しい魔法を使うなどこの500年誰もできてないもの」

「そして、その魔器をその家で造っていたと。小人数で細々と」


 明らかに有用な魔法だった。少なくとも一人は魔法使いがあの家に居たに違いない。それがいきなり消えてしまった、ジェシカを拉致して。転移の魔法だろうが、帝国の転移とは異なる。送門も置かずにジェシカを転移させたのだ。戦にも役立つだろう。大々的に造って戦場で使われていないのはおかしい。あの魔器の土台になる球の数を見ると、かなりの量の魔器を造るつもりがあったことが分かる。球の大きさにも幾種類かあったから、造る魔器も単一の種類ではないと見当が付く。当然もう既に造られた魔器もそれなりにあるはずだ。そんなものが帝国軍との戦場で使われた形跡はない。


「今日は小手調べのつもりで港の方にいろいろ仕掛けてみたのですよ。ひょっとしたら港に逃げ込んだ例の王国兵からの魔法攻撃があるかも知れないと思っていたのですがね」

「何にもなかった?」

「正直、拍子抜けしましたな」

「いったいどう考えればいいのかしらね」

「多分……」

「多分?」

「新しい魔法を使う連中は王国の中で主流ではないのでしょう。そんな連中が活躍するのを主流派が喜ばない、だから表に出さない。レクドラムで捕虜にした王国の魔法士達も新しい魔法のことなど言ってませんでしたからな。旧態依然たる魔導具しか持っていませんでしたし、魔器に類するものの知識もありませんでしたな。ですから一般の魔法士に知られていない連中と言うことになりますな」


 捕虜にした王国兵のうち士官、魔法士はそれなりの手段を使って全員尋問した。魔法士長や上級魔法士長が尋問に立ち会っていればその目をごまかすことは難しい。それだけのことをしても新しい魔法についての情報など一切出てこなかった。


「そうだとすると港に逃げ込んだという我々の想定も間違っているかも知れませんな。あの面倒くさそうなのがいなければ案外簡単に港は陥ちるかも知れませんな、ガンガン攻めてみますかな」


 良くあることだ。帝国軍でもその弊害は免れない。ディアステネス上将に隙あらばその足を引っ張ろうとする勢力には事欠かない。敵対する派閥の勢力が落ちるなら、味方に損害が出ることさえ気にしない。ましてや敵対する派閥の功績を無視することくらい気にも留めないだろう。


「例の王国兵達は二手に分かれたのかもしれませんな。その家で魔器を造っていたのと、市外に出たのと。それで市外に出た連中が補給所を襲撃したと考えれば大体のつじつまは合いますな」

「仮定の上に推論を並べただけとも聞こえるわ」


 皇女の皮肉に上将は軽く肩をすくめて見せた。


「確実に分かっていることが無いのですから、一番もっともらしい仮説を採用するべきでしょう。と言うことで、港には例の王国兵達はいないとして行動しましょう。やつらがまた一つになったのなら、出来るだけ早く港を落とし、兵力に余裕が出来たところで市外をきれいに掃除するとしましょう」


 港の海軍基地に総攻撃する意志を上将は既に固めていた。小手調べにこれまでつついてみた感じでは、陥落させるのはおそらくそれ程難しくはない。無理攻めすれば多少損害は増えるだろうが、それほどの時間は掛かるまい。それに船で逃げるという選択肢が残っている。不利に傾いたとき最後まで抵抗することなどあるまい。


「取りあえず市外のパトロールは強化した方が良いと思うわ。ジェシカを拉致した連中がいることだけは間違いないから」


 結局それが結論だった。ドミティア皇女も、魔器を造っている連中を先に追いたかったが、上将の意見を不承不承ふしょうぶしょう首肯せざるを得なかった。




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