第35話 ジェシカ
「んっ?」
魔法士が右手に何かを固く握りこんでいることにレフが気づいた。もう一度しゃがみ込んでその手を開かせた。能動探査の魔器が転げ落ちた。それを拾い上げてしげしげと見ているレフにシエンヌが声を掛けた。
「帝国軍の魔器ですか?」
「そうだ、法陣の紋様から見るとこいつが探査の魔器だな」
「私にも見せてください」
レフが、シエンヌの出した右手に魔器を載せてやった。シエンヌがコロコロと掌で転がして、それから親指と人差し指でつまんで陽に透かすように持ち上げて見つめた。陽をうけて球形の魔器がキラキラと光る。レフの造った魔器もいくつも手に持って見たが、何か少し違う感じがした。何というか、レフの造る魔器に比べて、紋様が柔らかい様に感じるのだ。
「綺麗、これが……」
「そうだ。こいつの所為でここに逃げてくる羽目になった」
レフは口に出さなかったが、精度の良い魔器だった。真球も魔導銀線もレフの作るものに匹敵した。
――おそらく母、イフリキアが手ずから作ったものだ。母以外にこれほどの魔器を造れる魔法士がいるとは思えない。以前に持っていた通心の、そして転移の魔器に続いて2つめの、自分が手にした、たった2つの母の手作りのものだ――
「ありがとうございました。なんだかレフ様の紋様とは少し違うような感じがするのですが……」
「ああ、選ぶ紋様が私とは違う。同じ効果を持たせるための紋様は幾つもあるから」
レフの雰囲気がいつにも増して優しいようにシエンヌには思えた。基本的にシエンヌとアニエスに対しては柔らかい顔を見せることが多いのだが、それとは違う柔らかさのように思えたのだ。
「お返ししますね」
レフは丁寧に自分の背嚢にその魔器を納めた。
王女達3人がレフ達の方へ近づいてきた。それに気づいたレフが3人の方へ顔を向けた。レフの背後に控えるようにシエンヌとアニエスが立った。
「ここは、いったいどこなんだ?」
訊いてきたのはロクサーヌ兵長だった。後ろに王女とルビオ親衛隊員が立っている。3人で打ち合わせて質問はロクサーヌがすることにしたようだ。
「地名は知らない。アンジエームから10里ほど東だな。見たとおり海の近くだ」
近い方に設置した魔器を目標に転移した。帝国軍の魔法士まで連れていては近い方に跳ぶのが無難だった。10里もアンジエームから離れているという言葉に王女が息を飲んだ。王女の知っている転移の魔法と全く違う。魔法にそれ程詳しくはないルビオは王女の様子にきょとんとしていた。
「おまっ……あなたたちはこれからどうするのだ?」
レフは改めて3人を見た。いずれアンジエームを出るつもりだったが、想定よりずっと早かった。しかしアンジエームを出てからやることは決めていた。
「王国の東は帝国の支配下に入っていない。領軍による抵抗線も敷かれているだろうし、帝国軍もアンジエームを陥落させないうちは大規模な軍を東に送ることは出来ないだろう。だからあなたたちも比較的安全に第三軍に合流することが出来ると思う」
「私たちは東へ行けとそう言うのか?」
「そうだ」
ロクサーヌの後ろでアリサベル王女が頷いている。レフの応えは王女の予想通りで3人で打ち合わせをした状況だった。
「そっ、それでは安全な所まで私たちを送ってくれないか?」
レフが怪訝な顔になった。ロクサーヌが言葉を継いだ。
「王都の周囲は王領で、今は力の空白地帯になっている。だから領軍が布陣しているところまで私たちを送って欲しい」
「少し東へ行けば領軍がいるだろう?」
「いや、領軍は許可無く王領に入ることを禁じられている。だから王領を抜けなければ布陣している領軍の所まで行けない。ここがアンジエームから10里東なら30里ほど行かなければならない」
「許可無く王領に入れないなんて、今は非常時だぞ。そんな惚けたことは言ってられないだろう」
レフの疑問に王女が答えた。
「いや、軍が許可無く王領に入れば反乱と見なされる。領軍を率いている領主達は迷うだろうが、境界を越えてないと思う。小心者が多いから、戦の帰趨がはっきりしないうちに反乱と見なされるような行動は取らないと思う」
王領の周囲には意図的に一門名の異なる少領主を配していた。団結して王家に逆らわないようにするためだった。例え大貴族が王家に対して反乱を起こしてもそれに加わらなかった領主が言わば“鉱山のカナリヤ”の役目を果たしてくれる。
やれやれというようにレフが肩をすくめた。
「わ、わたしとルビオだけでは殿下を守り切れるか分からない、だから、あ、あなたたちに頼みたい」
本当はレフ達など当てにしたくなかった。しかし、冷静に考えて、秩序を保つための力が空白になった王領を、2人の護衛だけで王女を無事に抜けさせることが出来るのか、ロクサーヌには、そしてルビオにも自信が無かった。いや、おそらく出来るだろう。だが帝国軍のパトロールや、どうしても根絶できない匪賊の群れに会う可能性を考えると幾ばくかの危険性が残る。護衛対象が王族と言うことを考えるとその危険性は出来るだけ減らしておくべきだ。だからこうやって下げたくもない頭を下げてレフ達に頼んでいる。
「うっ、うーっ」
気を失っていた帝国軍魔法士が声を発した。気がついたようだ。レフが伏せたままの魔法士の横にしゃがみ込んだ。額に手を当てて僅かな魔力を流し込んだ。魔法士の目が開いて、上体を起こし座り込んだ。キョロキョロと廻りを見回した。
「名前は?」
レフに声を掛けられてびくっとしたようにレフの方に顔を向けた。思わず両手を口の所に持ってきた。
「イフリ……キア……様?」
魔法士の言葉にレフの顔が厳しくなった。人違いであることが魔法士にも一瞬で分かった。魔法士の知っているイフリキアはこんな鋭い雰囲気を纏うような人ではなかった。口をつぐめとレフの表情が言っていた。
「私たちを護衛してくれるのか!どうなんだ?」
自分たちとの話の最中に別のことに注意を向けたレフに対して、いらだったようにロクサーヌが訊いてきた。
レフがちらっとロクサーヌの方を見て、
「分かった。あんた達を護衛しよう。領軍が布陣しているところまでで良いんだな?ただし
無礼な!と思いながらでもロクサーヌはほっとした。ロクサーヌが目を向けると王女とルビオもほっとしている様子がうかがえた。
「分かった。今は手持ちがないから後払いにしてくれれば有り難い」
返事をしたのはアリサベル王女だった。
「ああ、それでいい」
レフは直ぐに魔法士の方に向いた。再度レフに見つめられて、魔法士は後ずさろうとした。そして自分の手足が枷が掛かったように動かないのに気づいた。
「拘束の魔器を使っている。それでお前の名前は?」
2度目の問いだった。
「ジェシカ……」
「一門名と家門名は?」
「ジェシカ・グランデール。一門名はありません」
「帝国軍魔法士だな?能動探査に携わっていたな」
「そうです」
「何故魔力を切らなかった?お前までこんなところに引っ張ってくるつもりはなかったんだぞ」
「切れませんでした。わたしはてっきりあなたが絡んできているのだとばっかり」
「レフだ」
「はっ?」
「わたしの名前はレフだ。お前は戦争捕虜の扱いになる。わたしは軍人ではないが、準軍事行動の間にお前は捕虜になった。そう認識しておけ」
ジェシカはその言葉にがっくりしたように頸をうなだれた。
「お前には拘束の魔器を付けた。わたしの意に反した行動は出来ない、いまさっき手足が動かなかったようにな」
「立ちなさい」
シエンヌがジェシカに声を掛けた。ふらっと立ち上がったジェシカを見て、
「よし、行くぞ」
レフが全員に号令を掛けた。
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