第34話 脱出
王女とルビオに煽られて、ロクサーヌも渋々覚悟を決めた。
「そっ、それなら、……私も行くわ」
「一緒に来るなら、急いで荷物を取ってこい」
ロクサーヌとルビオがバタバタと自分たちの部屋に駈けていった。すぐに戻ってきたロクサーヌは王女の荷物も持っていた。時間が掛からなかったのは、ここに来て間もないので荷をほどいてもいなかったからだ。王宮から港の海軍基地に移るだけのつもりだった3人の荷物は、シエンヌやアニエスのものに比べるとかなり少なかった。ロクサーヌとルビオは一応行軍用背嚢を背負っていたがフル装備にはほど遠く、王女の荷には本当に身の回りの物しか入っていなかった。食料も予備の武器も着替えも、海軍基地に充分にあると思っていたのだ。
レフがシエンヌに合図をした。シエンヌが3人に向かって手を出した。
「私の手に触れてください。それで一緒に転移できます」
言われてすぐに王女がシエンヌの右手を取り、それを見てロクサーヌとルビオも自分たちに向かって差し出されたシエンヌの左腕をつかんだ。それを確かめて、
「跳ぶぞ」
レフがシエンヌとアニエスの体に手を回して転移しようとして、一瞬体をこわばらせた。小さく舌打ちをした。
「レフ様?」
シエンヌが心配そうな声を出した。転移を中断したのが分かったからだ。
「大丈夫だ。探知の魔法を使っている魔法士の魔力が絡みついているだけだ」
「えっ?」
「くそっ、離さないつもりか。ならどうなっても知らないぞ」
レフはグランデール魔法士の魔力を絡みつかせたまま強引に転移した。
「すぐに2個中隊が東西から来るわ。だからもう少しの間頑張って!」
「分かりました、殿下」
答えたグランデール魔法士の額に汗が浮いていた。顔色も悪かった。探査の魔器を握り込んでいる右手がブルブルと震えていた。
「大丈夫なの?ジェシカ」
大丈夫そうには見えなかった。みるみる顔色が悪くなり、顎から汗がしたたった。魔器を握った手の震えがだんだん激しくなる。今にも倒れ込みそうだ。
「だっ、大丈夫です、殿下」
軍に奉職しているのだ、任務の最中に弱音を吐くわけにはいかなかった。
「しんどいなら探知を外してもいいのよ。リアルタイムで位置が分からなくてももう逃がさないわ」
「こいつは、そんな、生やさしい、相手ではありません。探知を、外せば、何をするか、わかりません!」
唇をかんだグランデール魔法士の青かった顔色が赤くなった。
「くっ!」
グランデール魔法士の体がビクッと震えた。背をそらせて弓なりになった。ただならぬ様子に皇女が悲鳴に似た声を上げた。
「ジェシカ!」
次の瞬間、ジェシカ・グランデール魔法士の姿が消えていた。後に、呆然とグランデール魔法士のいた場所を見つめているドミティア皇女と護衛の兵達が残された。
くらくらする頭を振りながらアリサベル王女は目を開けた。レフに連れられて転移した瞬間、周囲の景色が高速で溶け流れて真っ白になり、まぶしくて目を開けていられなかったのだ。ごく短時間の浮遊感があり、直ぐに足が地面に着く感覚があった。
景色が一変していた。砂浜に、足下も覚束なく辛うじて立っていた。そのままでは倒れ込みそうで、前屈みになって膝に手を突いて姿勢を安定させた。横ではロクサーヌとルビオが座り込んでいる。
「大丈夫だったようだな」
声を掛けられて、その方を見るとレフとシエンヌが並んで立っていた。少なくともふらついているようには見えない。だがその向こうでアニエスが座り込んでいた。一度ブルッと頭を振ると、
「きついわね。転移の能力の無い者が強制的に転移させられると……」
ブツブツ言いながら立ち上がった。それを見てルビオが立ち上がろうとしてまた尻餅をついた。隣でロクサーヌが立てた膝に顔を埋めて、懸命にえずきをこらえていた。大きく息を吐く度に肩が苦しげに上下する。それでも何とか落ち着かせてやっとの思いで顔を上げた。2人に比べるとアリサベル王女は転移の影響をそれ程は受けていないと言えた。魔力が2人より多かったからだ。
レフがしゃがみ込んで、海岸の砂に浅く埋めて設置した転移の魔器を取り上げた。軽く舌打ちをして、
「やはり壊れているか……」
予定より転移させる人数が多くなった。過負荷により魔導銀線が何カ所か切れていた。壊れた魔器を背嚢にしまいながら、
「もうしばらく座っていろ。慣れないと平衡感覚が戻ってくるまで多少の時間が掛かる」
忠告はレフの優しさなのだろうか?表面の愛想なさの反面、レフの行動には王女一行に対する気遣いが見える。
「さて……」
レフが振り返った。少し離れたところ――10ファルほど――にうつぶせに倒れている人影があった。帝国軍の魔法士の軍装をしていた。フードがめくれて短いライトブラウンの髪が見えていた。
レフが気を失ったままの魔法士の側にしゃがみ込んだ。左手の人差し指と中指を魔法士の後頭部に当てた。右手の人差し指をうなじに当て、そこから背骨に沿ってゆっくりと動かしていった。尾てい骨の辺りまで動かしてから指を離して立ち上がった。いつの間にか側にシエンヌとアニエスが来ていた。
「特に損傷はないようだな。こいつにも転移の能力があったんだろう、あんな遣り方でもちゃんと欠けることなく全部ここに来ている」
魔力で繋がっただけの相手を無理矢理転移させたのだ、身体の一部を置いてくるか、あるいは
アニエスが興味なさそうに倒れたままの魔法士を見下ろしていた。シエンヌは魔法士が腰に差していた短杖を取り上げてしげしげと見ていた。杖の頭に小さな球形の魔器が埋め込んであった。シエンヌが候補生の時に使っていた、魔道具を装備した短杖よりずっと性能の良い物だった。
「どうします、殺しておきますか?」
アニエスに問いかけられてレフは少しだけ考えた。
「いや、少し気になることがある。取りあえず反抗しないようにだけしておこう。アニエス、シエンヌ、こいつを仰向けにしてくれ」
レフが背嚢の中から細い鎖を付けた小さな魔器を取り出した。それを倒れている魔法士の頸に回して留めた。魔器を左右の鎖骨の中間に置く。
「拘束の魔器ですか?」
シエンヌが訊いた。魔器に描かれている法陣に見覚えがあった。シエンヌの知っている法陣に比べてずっと小さなものだったが。
「そうだ」
レフの答えは簡潔だった。
普通に使われている拘束の首輪に比べるとずっと優雅で頼りなく見えるが、その効果は比べものにならなかった。拘束の首輪は、無骨な首輪に拘束の法陣を描いた魔導銀を貼り付けたものだ。犯罪者や戦争捕虜に、隷属紋を刻むまでの間装着させておく。拘束者の意に反した行為をすると痛み――犯罪者や屈強な兵士が悲鳴を上げるほどの激痛――を与える。
「隷属させないのですか?」
意外だという思いを載せてアニエスが問うた。降伏したシエンヌは直ぐに隷属させたのに。
「もう少し事情が分かってからだな。どうするか決めるは」
「何か気になることでもあるのですか?」
今度はシエンヌだった。
「ああ、あの距離で、わたしの転移に付いてきた。しかも後遺症無しだ。想定外だった」
それがなにか?と言うようにレフを見る2人に、
「わたしの魔力に絡みついてきた。普通なら振り払えるはずなんだが……、こいつのは離れなかった。妙にわたしの魔力パターンに親和性が高い」
“親和性が高い”その言葉にシエンヌの表情を一瞬よぎったのは嫉妬だった。初対面の相手に対するレフの態度が妙に優しいと思ったのだ。アニエスは少しだけ興味が増したように、まだ気を失ったままの帝国軍女魔法士を見下ろした。レフはそんな2人の少女の感情の動きに気づかなかった。
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