第32話 王女達の会話

「わたしも付いて行きたかったわね、あの帝国軍が慌てふためく様を見てみたかったわ」


 アリサベル王女が、ルビオ親衛隊員がレフと一緒に帝国軍の偵察に行った話を聞いた時のことだった。昼のお茶を済ませて王女達3人は一部屋に集まって話していた。昼は軽食ではなく、クッキーを2枚ほどつけてお茶にすることにしたのは、王女が言い出したことだった。王女としても王宮から離れて昼の軽食の習慣を止めるつもりだったが、身体をそれに慣らしていかなければならない。その第一歩のつもりだったし、スープや肉を用意するよりずっと簡単になる。


「姫様!」


 その言葉を聞いて発したロクサーヌ親衛隊兵長の言葉には、多少のとがめる調子が籠もっていた。王女付きの護衛としてそんな危ないことをさせるわけにはいかない。安全を保つなら危険に近づかないのが最も効果的だ。


「分かっているわよ、ロクサーヌ。わたしではそんな強行軍には付いていけないことくらい。でもシエンヌはこなしたのよね、ルビオでさえやっとついて行ける偵察行を。もともと魔法士なのに」

「そうですね、シエンヌはレフと一緒に走っていました。悔しくはありますが私よりも楽に走っているように見えました。荷物を背負っていたのに。あれが魔法士の体力とは到底信じられません」


 アリサベル王女一行がレフ達の家で与えられている2室の内の1室だった。もう1室はアリサベル王女が寝室として使っているため、3人が集まるのは必然的に親衛隊の2人が使っている部屋になる。レフがエガリオから提供されているのは寝室が3つの、庶民としてはやや広い、貴族の感覚からはごく狭い家だった。レフが使っている主寝室にシエンヌとアニエスが移って、残りの2つの寝室を王女一行に提供していた。軍に所属しているロクサーヌとルビオには、男女の区別無く扱われることに抵抗がなかった。まして2人にとって今のアンジエームは戦場だった。戦場で男だから、女だからと言う莫迦はいない。

 他には居間と台所、食堂それにレフが工作室として使っている地下室があるだけの家だった。

 王女が椅子に腰掛け、ロクサーヌがベッドに、ルビオが床に座り込んでいた。ロクサーヌとルビオが王女の前に姿勢を正して立っていないということは、この会話がくだけた雑談に近いものだということを示していた。


「でも、私の警護実習に来たときにはシエンヌがそんなに体力があるなんて思わなかったわ。なんと言っても魔法士だったのだから」


 魔法士になれるほどの魔法が使える人間は体力的には弱い者が多い――ごく一般的な認識だった。魔法が使える代償の様なものだと思われていた。例外はあるにしても。王女はシエンヌが通心の魔法に秀でていることで――王女も同じ魔法が使えたから――シエンヌを個人として意識したが、それ以上の特徴があるとは考えていなかった。ましてルビオのような一般兵を凌駕するような体力があるなんて思いもしなかった。


「レフというあの男と暮らすようになって体力が付いたと言うことですか?」


 ロクサーヌの疑問に、


「そうなのでしょうね。レフという男、王国われわれの知らない魔法を使うようだし、魔法士を鍛えられた兵士よりも精強にする方法も知っていることになるわね。詮索するなと言われても興味が尽きないわ」

「なんとも恐ろしい男ですが、何者なんですかね、何国どこの出なのかも気になりますね」


 帝国軍の物資集積所を襲ったときのレフの様子を思い出して、体を軽くブルッと震わせてルビオが言った。


「彼の挙措を見ていると、貴族の出ね。食事の作法なんか、小さい頃からきちんと仕付けられている事が窺えるわね。エンセンテ一門のシエンヌと比べても、いえ、王族と比べても遜色ないもの」


 シエンヌとアニエスが用意した、いかにも庶民的な食事を摂るときのレフの作法を想い出しながら王女がそう言った。ロクサーヌとルビオにも異存はなかった。付け焼き刃ではないものがそこにはあった。もとが平民である2人にはとうてい出せないものだった。


「だとすると、王国の民ではないわね、ジンなんて家門名は聞いたことがないわ。一門名を知りたいところね。」

「本当のことを言っているとは限らないと思いますが……」

「嘘を言う理由もないわ。それにジンと名乗ったとき、シエンヌの様子は聞き慣れた名前を聞いたという感じだったわ。少なくともシエンヌにはレフ・ジンとして認識されていると思うわ」

「シエンヌはいったい何をしているのかしら。エンセンテ一門の出で、仮にも王宮親衛隊の候補生だったのに、完全にあの男の言いなりになっている様だわ」


 ロクサーヌがいらいらした様子でシエンヌという名前に反応した。少なくとも彼女の中では、王族に仕えるというのは何よりも優先されるべきことだった。


「その上、アニエスとかいう娘と一緒にあの男と同衾しているし……」


 これも気に入らないことの一つだった。それを聞いて王女が苦笑した。


「仕方ないでしょう。私たちに自分の部屋を譲ったのだから。まさか廊下に寝るわけにもいかないでしょう」

「複数の女を侍らせるなんて、不潔です!」


 吐き捨てるように言ったロクサーヌに、


「陛下も兄様達も複数の側妃をお持ちよ。うかつにそんなことを言わない方が良いわよ」


 指摘されて慌てたように、


「お、王族の方々には跡継ぎが絶対に必要ですから……」

「レフとシエンヌの関係については外から余りとやかく言わない方が良いと思うわ。それよりレフのことね」


 ロクサーヌも本題から外れたことに気づいた。


「そうですね、あの男、一体どこの出なのでしょうか?あれほどの魔法が使えるとなると……」

「多分、帝国……。」


 王女の推測にルビオが吃驚したように反論した。


「まさか!あいつは帝国兵を敵として戦ってますぞ。あの容赦なさが同国人に対するものとは到底思えませんが」

「デルーシャ王国やレドランド公国ではないのですか?」

「デルーシャやレドランドなら私たちもその内情を少しは知っているわ。少なくとも帝国に関してよりもね。あの2国が王国われわれの知らない魔法を開発できるなんてとても思えないわね。小国群については言わずもがなね」


 魔法研究、法陣の解析などに関して帝国に次いでいるのはアンジェラルド王国だった。それでも王国の魔法研究は穀潰しと言われることが多かった。膨大な試行錯誤の残した成果はあまりに少なかった。


「強い帰属意識を持っていた集団からはじき出されれば、憎しみって言うのは余計に強くなるものよ。つまりレフという男は帝国のかなり中枢にいて何らかの理由でそこから放逐されたと言うのが私の考え」


 そこまで言って王女は首をすくめた。


「詮索は無用と言われているわね。でも私たちがいろいろ想像を巡らせることまで止めろとは言われてないわね。そんなことは不可能だもの」

「はい、殿下。でも今の殿下のお考えはレフに知られないようにしなければいけないのでは……?」

「ここはレフの巣よ。巣の中でどんなことが話されているか、多分レフには筒抜けだと思うわ」

「そんな!殿下が遮音の結界を張っていらっしゃるではありませんか」

「たしかに結界を張っているけれど、少なくともここでは役に立たない可能性を考えておくべきだと思うわ。だからそのつもりで行動しなさい。ロクサーヌ親衛隊兵長、ルビオ親衛隊員」


 魔法については王女の方が2人より上だった。実のところ親衛隊の魔法士に遜色ない魔力を持っていた。もっとも魔法士のようにその能力を引き出し、伸ばすような訓練は正式には受けていなかったが。だからシエンヌが自分の護衛に付いたときに、親衛隊ではどんな訓練をするのか聞き出して、それをなぞることで自分の魔法を伸ばしていた。

 王女の言葉に2人の親衛隊兵士は立ち上がってかかとを合わせ敬礼した。


――殿下はなんだか、王宮にいらっしゃるときよりも生き生きしておられるようにみえる――


 ロクサーヌの感想だった。


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