第31話 皇女と将軍 Part Ⅱ 1

 ディアステネス上将は苦い顔で補給物資集積所の焼け跡を見ていた。20張りの補給物資用大型幕舎のうち10張りは完全に焼け落ちていた。残りの10張りも無事な物は1つもなく、5張りは半焼、5張りは1/4から1/3が焼けているといったところだった。消火に使われた水が、焼け残った物資をさらに駄目にしていた。


「ひどいものね」


 ディアステネス上将の横でドミティア皇女が呟いた。


「そうですな。まさか王国軍が王宮や港を離れて、これだけの攻撃が出来る兵力を出してくるとは予想外でしたな」

「王宮や港に居すくんでいるだけではないって事ね」


 ディアステネス上将が後ろを振り返って、


「で、どのくらい残った?」


 その問いに輜重隊の責任者をしている上級千人長が青い顔で答えた。


「食料のほぼ8割がやられました。予備の武器や衣料は半分程度の損害ですから、王国兵てきは重点的に食料を狙ったものと思われます」


 皇女と上将の後ろには20人ほどの護衛の兵と輜重隊の幹部が詰めていた。護衛兵の輜重隊を見る目は冷たいものだった。帝国が王国に攻め込んでから初めての大きな失態だったからだ。


「どれくらいの王国兵が襲ってきたのだ?本陣に詰めている魔法士達が、ファルコス上級魔法士長を含めて、ここでの戦闘を感知していない。不寝番も置かずにいた所為で敵にいいように焼かれたのではないかという者もいる」

「閣下!それは誤解です。昨夜もきちんと規定通りに2個中隊の不寝番の警備を置いておりました」

「では何故戦闘が起きなかったのだ?本陣とここの距離で2個中隊が戦闘に従事すれば魔法士に関知できないわけがない」

「実は、警備の兵の誰も敵を見ておりません。気がついたら幕舎が燃え上がっていたと申しております」

「そんな莫迦なことがあるか!同時に幾つもの火が上がったことを考えれば少なくとも2~30人くらいの敵はいたはずだぞ。それを2個中隊の警備兵が見てないなどということが考えられるか!警備兵共は寝ていたのか!」


 闇の烏でも無理だ、だれか隠形の得意な者を潜り込ませて迎門を設置し、さらに2~30人を転移させ、戦闘配置につかせ、火を付け、撤収する。いったいどれほどの時間が掛かるだろう、その間集積所を巡回している警備兵に見つからずに済むなどとは考えにくい。


「いえ、決してそのようなことは」


 上級千人長や輜重隊幹部も散々に、昨夜の警備に当たっていた中隊の隊員を尋問したのだ。証言に対する虚実判定の訓練を受けた魔法士を同席させて。2個中隊、200人の兵の誰も敵を見なかったと言っている。そして魔法士達はその証言が嘘ではないと判断した。勿論警備中に居眠りしていたなどという警備兵もいなかった。軍規の厳しい帝国軍で任務中の居眠りや、虚偽の証言をすれば、その場で即決処刑されることもある。


「こちらでも調べるぞ。かばい立てなどしていたらお前も覚悟しておくことだ」


 上級千人長は一瞬顔をしかめたが、直ぐに返答した。


「はい、是非に。私は部下達を信用しておりますが、上級魔法士長殿に尋問して頂ければ私どもでは分からなかったことが判明するやもしれませんので。それに……」


 上級千人長がドミティア皇女に向き直った。


「実は焼け跡を調べた部下がこんな物を見付けております」


 ドミティア皇女に示されたのは焼けて溶けたガラスの小さな破片だった。赤ん坊の握り拳くらいだろうか、中にほとんどの部分が焼けただれ、一部だけ精緻な紋様を構成している細い魔導銀線が見えた。皇女が差し出されたそのガラスの破片を手に取った。指先で紋様に触れてみた。すーっと僅かに魔力を吸われる感触があった。魔導銀線が微かに輝いたが勿論、何も起こらなかった。


「これ……、魔器の欠片だわ」


 僅かに残っている精緻な紋様は明らかに法陣だった。しかも、皇女の見るところイフリキアの作成した魔器の法陣に匹敵する精緻さだった。無事に残っている紋様は小さなものだったが、細い魔導銀線を実にスムーズに魔力が流れていた。


「まさか、王国が……」


 イフリキアと同等の魔法士を擁していることになる。完全に帝国の、帝国魔法院の想定外だった。


「イフリキア様のレベルで魔器を作れる魔法使いが王国にいるとしたら大変なことだわ。根本から考えを改めなければ……」


 帝国は既にイフリキアを失っている。このレベルで魔器を作ることは、少なくとも当面は出来ない。それに対して王国は新しい魔器を次々に作ってくる可能性がある。それは戦の帰趨に大きな影響を与えるだろう。




 アンジエームを占領した帝国軍はまだアンジエーム市内に宿を求めていなかった。平民街は建物が小さく、まだ平民がいることからそこを宿にするには追い出さなければならなかった。そこでトラブルが予想されるし、せせこましい平民街を舞台に抵抗されることも考えられる。正規の市街図には載ってない建物や迷路のような路地も少なくなく、そこでゲリラ戦をやられたら負けることはなくても掃討するのに結構手間取るだろう。王宮も港もまだ陥ちてない段階でそんなことに手を取られたくはなかった。官庁街と貴族街は今は無人になっているが、きちんと中を検めて有用な情報が残ってないかどうかを確かめた後でないと使えなかった。だから今は封鎖して見張り番を置いている。“お宝”を狙って侵入する者――帝国兵や王国民――がいないとは限らないからだ。中に情報――主には書類――が残されていないか確認するのは、これも王宮と港の少なくともどちらかを陥としてからだとディアステネス上将は考えていた。

 だから司令部はまだ最初に本陣を構えたところ――王宮の北側の市外――にあった。

 見張りについていた兵の尋問はその司令部の幕舎の一つで行われた。





「嘘はついていませんな」


 カナエス・ファルコス上級魔法士長はため息をつきながらディアステネス上将にそう言った。昨夜の物資集積所の見張り兵、200人の中からランダムに10人を選んで尋問したのだ。その最後の10人目の尋問が終わったところだった。輜重隊で行われたより詳細に、時間を掛けてねちこく尋問は行われたのだ。


「行っていいぞ」

「はっ!」


 ファルコス上級魔法士長にそう言われて、尋問を受けていた兵は姿勢を正して敬礼し、帝国軍司令部の幕舎を出て行った。その額には汗が浮いており、如何にも疲れた顔ではあったが、無事に尋問を切り抜けられた安堵感が浮かんでいた。


「10人とも嘘はついてない、つまり敵の姿は見ていない。だのに大量の補給物資を焼かれてしまった。いったいどういうことだ?」


 ディアステネス上将の疑問に、


「警備兵に見つからずにそれなりの人数の敵が集積所に潜り込んで、一斉に10カ所以上に火を付けて、見つからずに逃げ出した。確かにそういうことなのね」


 尋問に同席していたドミティア皇女が答えた。そしてファルコス上級魔法士長に向かって、


「そんなことを可能にする魔法があったかしら?」


 いきなり皇女から話を振られて上級魔法士長は吃驚したように、


「はっ、いえ、私は存じません。ルファイエ家に属されるドミティア様の方がお詳しいのではないかと存じますが……」

「残念ながら私にも心当たりはないわね、魔法が使われたのは間違いないと思うけれど、上級魔法士長にも私にもどんな魔法がそんなことを可能にするのか分からない」


 難しい顔をして皇女が続けた。


「つまり、アンジェラルド王国は帝国われわれの知らない魔法を使ったことになるわ」

「そんな莫迦な……」


 上級魔法士長は冷や汗を浮かべていた。魔法の質と量に関して帝国ははるかに王国を――アンジェラルド王国だけではなく、デルーシア王国やレドランド公国も含めて――凌駕している、と言う前提が崩れてしまう。





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