第30話 強行偵察

 足下がやっと見えるくらいの闇の中を、レフやシエンヌに遅れずに付いてくるルビオは、大言するだけあってなかなか大したものだとレフを感心させていた。シエンヌとの通心で、


『へぇ、ちゃんと付いてくるじゃないか。夜目を訓練しているって言うのは大言ではなかったんだな』

『そうみたいですね、親衛隊では夜目が利くというのは役に立つ能力とされていましたから。でもレフ様ほどには周りが見えてないと思います』


 シエンヌは通心によってレフから周囲の情報を得ていた。足下の凸凹、道の上り下りや曲がり、周囲の景色など明るい陽ノ下で見るのとほとんど変わらない情報だった。視覚ではない、頭の中に直接周囲の様子が組み立てられてもたらされるような感覚だった。驚いたことには視覚では分からないところ――後ろ側――の情報まで入って来た。最初は吃驚し、与えられる情報の処理にあたふたして間に合わないこともあったが、何度も繰り返すうちに慣れてきた。与えられる情報から自分で必要な部分を取捨選択できるようにもなっていた。


『少しバテてきたみたいだな。この暗さの中をこのスピードで駈けるのはやはりきついか』


 レフが先導していたが、ルビオが肩で息をし始めた気配を感じてややスピードを緩めてやった。頑張りながらなんとかついてくるルビオへの褒美のつもりだった。いくら夜目が利くと言っても、足下を懸命に探りながらレフとシエンヌのスピードに付いていくのは結構しんどいことだった。その上ときどきは躓きかける。心持ち遅くなったことにほっとしながらそれでも息を切らせながらルビオはレフ達の後を追った。 


 東の市壁に沿って北に向かい、市壁が尽きたところで西に曲がって半刻も走れば、王宮の北に布陣している帝国軍が見えてきた。篝火を盛大に燃やして、如何にも勢いよく見せていたが、実際の人数は王宮の北を抑えるための1万人強程度であった。しかしまだ司令部を置く本陣はここにあるため精鋭が選抜されていた。門と堀を渡る橋の近くと本陣の周囲は分厚く兵を配置した上で、堀に沿って兵を並べ、堀を渡ってくる王国兵がいないかどうか監視していた。

 レフ達3人は陣の外側の篝火から100ファルほど離れて身を伏せた。それ以上近づかなかったのはルビオが大きく肩で息をしていて気配が強く漏れ出ていたからだ。この距離でも練達した探知の魔法士がこちらに気を配っていれば隠しきれないだろう。やっと休憩を与えられたルビオはそれでも懸命に気配を抑えながら息を整えようとしていた。


「王宮の方に注意が全部行っているからな。こっちを警戒してる魔法士はいないようだな」

「そうですね。それに魔法士は主に堀沿いに配置されているようですね」


 アンジエームの王宮は深くて広い堀と高い城壁に囲まれた要塞だった。門は直接外につながる北門とアンジエーム市街につながる南門しかなく、堀を渡る橋はその2つの門から続くものしかない。堀を泳いだり、船に乗って渡ることもできるが多人数の兵を短時間で渡らせるには橋を使うしかない。広いとは言っても幅の限られた橋を多人数で押し渡るのは自殺行為だった。あらゆる武器が橋上に狙いを定めて準備してある。だから王宮に籠もって防戦すれば攻められ難いが、逆に2本の橋を外から押さえられてしまえば閉じ込められているとも言えた。

 レフはしばらくその姿勢のまま帝国軍の本陣を探っていたが、ゆっくりと立ち上がると背をかがめたまま、帝国軍の陣に沿って北へ早足で歩き始めた。ついてくるように首を振って合図をされたシエンヌとルビオがあとに続いた。走らなかったのは速く動くと気配が大きくなるからだ。レフとシエンヌだけであればそんな心配をする必要はないが、ルビオは2人ほど気配を隠すのが上手くなかった。

 1里ほど歩いただろうか、レフが足を止めた。後ろから近づいてきたシエンヌとルビオに身を伏せるように合図をし、前方を指さした。指さされた方向に大きな幕舎がいくつも見えた。一定の間隔を置いて篝火がたかれ、警戒の兵が立ち、小隊単位で警備兵が巡回している。


「帝国軍の補給物資集積所だ」


 シエンヌの後ろに伏せているルビオに視線を当ててそう言った。


「補給物資集積所……」


 ルビオがゴクリとつばを飲み込みながら繰り返した。膨大な補給物資の山だった。帝国の本気を見たような気がした。


「さて、それでは」


 レフが座り込んで背嚢を下ろした。シエンヌが背負ってきた背嚢も受け取った。


「何ですか、それは?」


 シエンヌが、レフが背嚢から取り出した物を見てそう訊いた。レフから持って行くように言われただけで、中に何が入っているのかシエンヌは知らなかった。レフが地面に置いたのは直径が10デファル、厚さが1デファルほどの円盤だった。一つの背嚢から5枚、合わせて10枚が重ねてある。


「発火の魔器だ」

「えっ?」


 かなりの間レフと一緒に生活していて、シエンヌはいまだにレフの言葉に驚かされることがある。今回もそうだった。“発火の魔器”、聞いたこともなかった。


「魔力を通してから一定時間たてば高温で発火する、そして幾つもの破片に分かれて周囲に飛び散る」


 レフが円盤を1枚手に取った。レフが魔力を通して一瞬淡く光った円盤を、手首のスナップをきかせて前に投げた。軽く投げられた様に見えた円盤はそこからいきなり加速をつけて補給物資集積所の幕舎の方へ飛んで行った。念動で弾いたのだ。シエンヌとルビオが飛んで行った円盤の行方を見ている内に、レフは次々に円盤を手に取って飛ばしていった。無造作に飛ばしているようで、10枚の円盤はそれぞれ違う幕舎に向かって飛んでいった。


「さっ、引き上げるぞ」


 レフはごく短い時間で10枚の円盤を飛ばし終わった。声を掛けられて振り返ったシエンヌとルビオは、さっさと帝国軍の陣から離れ始めたレフの後をあわてて追った。

 レフは帝国軍の陣から200ファルほど離れて立ち止まった。振り返って、


「そろそろだな」


 その声にシエンヌとルビオも立ち止まって振り返った。ちょうどその時、帝国軍の幕舎から次々に火の手が上がった。まぶしい光とともに太い火柱が立ち、火柱から周囲に無数の火の玉が飛んだ。火はたちまち広がり帝国軍の陣地は大混乱に陥った。叫び声があがり、右往左往する人影が火に照らされてシルエットのように浮かび上がった。火だるまになって転げ回っている者もいる。


「帰ろう」


 レフに促されて、呆然という様子で燃え上がる幕舎を見ていたシエンヌとルビオが我に返ったようにレフを見た。


「レフ様、あれは一体?」

「発火の魔器だと言っただろう?ひょっとして使うことがあるかも知れないと思って持ってきた。無駄にならなくてよかった」



――レフ様はとぼけているけれど、最初からこういうつもりだったんだわ。でなければずっと工作室に籠もってあんな魔器を作ったり、こんな唐突に『帝国軍の様子を見に行こう』なんて言わないと思う。それにこのルビオが一緒に来るのも計算のうちじゃなかったかしら?ルビオから言い出さなければレフ様の方から誘ったと思うわ。別にルビオじゃなくロクサーヌでも良かったでしょうけれど。アリサベル殿下に自分の力を見せつけて……、どうするつもりなのかしら?――




――一体こいつは何なんだ?王国軍は帝国軍にいいようにやられているってのに、こいつ一人で一泡吹かせている。こいつ一人の方が王国軍より有能だってのか?それにこのレフという男、いや他の2人の女も見かけ通りだと思わない方が良いな、一見華奢に見えるがあれだけ走って息も上がってないという体力も、それに帝国兵を相手にしたときに見せたように戦闘力も高い。……正直、恐ろしい――





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