第29話 お茶の時間

「シエンヌは訓練中の事故で死んだと聞いていたけれど生きていたのね、あのレフという男に助けられたの?」


 レフが出かけたあと、アリサベル王女がお茶の時間にしたいと要求したのだ。レフが出かけて2刻近くがたっていた。アリサベル王女の要望に応えて茶の用意をしていたシエンヌに、王女がそう訊いた。1日2食が普通で、昼に軽食を摂るのは王族、高位貴族、それに作戦中の軍くらいであったが、アリサベル王女は王族だった。当然のように昼のお茶、軽食付きを要求したのだ。たぶんそうするだろうとレフが考えて、シエンヌに応えるように指示していた。王女の方からは、レフ達が王家の者のわがままをどれだけ許容するか試したいという意識もあった。

 王女だけが座っていて、その後ろにロクサーヌとルビオ、2人の親衛隊員が姿勢良く立っていた。そしてこの中で軽食を摂るのは王女だけだった。


「はい」


 僅かの躊躇いの後にシエンヌはとりあえずそう答えた。


「それで、親衛隊を辞めてあの男を主にしたわけ?」


 昨夜からの様子で、レフというあの男が今のシエンヌの主であることが、王女には分かっていた。さすがに隷属紋を刻まれていることまでは分からなかったが。普通、刻まれた隷属紋は外から見えるところに表出される。手甲がもっとも多く、頸部が次いでいるが、犯罪奴隷、戦争奴隷は額が多い。一目で危険な奴隷――犯罪者か敵国人――であることが分かるからだ。シエンヌとアニエスには表出された隷属紋はなかったから、ぱっと見には2人は奴隷とは分からない。隷属紋をきざめる能力を持つ魔法使いなら――ダナ程の優れた魔法使いなら――一目で分かるだろうが。


「命を助けられましたので」


 ロクサーヌとルビオはの内容を王女より詳しく知っていた。


「お前だけ助かったというのか?あので」


 訓練生が主力であったとはいえ、親衛隊の2個小隊が全滅したことは親衛隊全体に衝撃を与えた。の詳細はいまだ全く分かってなかった。

 1人の生存者もいないと思われていたが、シエンヌが生きていた。だからロクサーヌは王女が話をしている場に横から入るという無礼を顧みず、そう問いかけた。唯一の生存者であるシエンヌなら詳細を知っていると考えたのだ。同時にシエンヌがあのを生き延びるのに何かしたのではないかと疑っていた。


「いったいどうやって」


 尖った声の問いかけに、シエンヌはロクサーヌを見、次いでルビオを見、もう一度ロクサーヌに視線を戻して、


「話してはならぬとレフ様に言われております」


 わざとらしい平板な声だった。決して話さないという心情が表れていた。


「「なんだと!?」」


 ロクサーヌだけではなく、ルビオもいきり立った。


「候補生だったシエンヌ・アドルは死んだと思って頂ければ……」

「貴様!」


 激高しかけたロクサーヌを、


「止めなさい」


 アリサベル王女が止めた。王女はシエンヌが一門名――エンセンテ――を略して自分の名前を言ったのにも気づいていた。貴族の身分を捨てる気なのだ、なにかよほどの事があったのだ、と考えていた。


「王宮親衛隊の身分を捨てるくらいだからよほどのことがあったのでしょう。無理に聞かない方がいい。それに……、今一番大事なことはこの窮地をなんとしても脱することです。シエンヌやそこに立っている、アニエスと言いましたか、その娘の協力が必要でしょう。もちろんレフの協力も不可欠です。そのレフの命令に背かせるような余計なことをしてはなりません」


 ロクサーヌとルビオは王女の言葉に不満そうに、それでも矛を収めた。

 アニエスは食卓を挟んで2人の親衛隊員の対面に立っていた。武器に手を掛けてはいなかったが油断なく3人の闖入者を見ていた。アニエスにはなぜレフがこの3人を受け入れたのか分からなかったが、レフの決定に異を唱えることはなかった。しかし無条件に3人を受け入れる積もりもなかった。もし3人がレフや自分たちに不利になるような事をするならそれなりの対応をするつもりでいた。


「それより、お腹がすいたわ」


 自分の前に茶とともに並べられた堅焼きのクッキーと野菜のスープに手を出そうとした王女に、


「殿下!」


 ロクサーヌが悲鳴に似た声を上げた。


「まだ毒味が――」

「無用の事よ。シエンヌ達に害意があれば私たちはとっくに終わっているわよ」


 そのまま、如何にも品良くその庶民的な食事を食べ始めた。この友好的でない雰囲気の中で悠然と食物を口に出来る王女は、それなりに大した物と言ってよかった。





その夜、夕食が終わったとき、


「シエンヌ、帝国軍の様子を見に行く、一緒に来い」


 レフがシエンヌに声をかけた。


「帝国軍の様子……、偵察ですか?」

「ああ、そんなもんだ。帝国軍は随分たくさんの兵を街中に入れからな。本陣の辺りがどうなっているか確かめたい」


 シエンヌが立ち上がった。


「はい。直ぐに用意します」


 私は?と言うようにアニエスがレフを見た。


「アニエスは留守番だ」


 アニエスまで連れていくとこの家にいるのは王女達3人だけになる。家の中を探られたり、何かを持ち出されたりすることを危惧しているわけではないが、3人以外に誰もいなくなるのは問題だろう。そしてどちらかを連れていくなら索敵・察知の魔法に長けたシエンヌの方が良い。アニエスもそれを理解したのか、素直に頷いた。


「俺も、俺も連れて行ってくれ!」


 横から口を出す者がいた。親衛隊員のルビオ・ラクティーグラだった。

 全員が揃って同じ食卓で食事をしていた。分けると準備も後片付けも2回になりシエンヌとアニエスの手間が増える。それを告げられたときロクサーヌ・ジェスティ親衛隊兵長が“無礼な”という様な顔をしていたがレフは無視した。確かに王宮では王族と一緒の食卓につくのは特権だったが、この家でレフがいるときには王女だからと言って特別扱いするつもりはなかった。それにアリサベル王女自身も平気な顔をして受け入れていた。


 レフが視線をルビオに当てた。ルビオもレフを見返した。レフはアリサベル王女を見、ロクサーヌを見て、またルビオに視線を戻した。2人ともルビオがこう言い出したことに吃驚はしていなかった。また偵察行に付いていくことにも反対の気持ちは持ってないようだった。しばらくルビオの表情を見た後、


「いいだろう。付いてこい。しかし闇の中をかなりの距離走ることになるぞ。付いてこれるか?」

「ああ、夜目の訓練はしているし、走ることも得意だ」


 多少憤然としてルビオが答えた。親衛隊の訓練を舐めている、と思ったのだ。


「そこまで言うなら一緒に来い。ただし途中でばてたらそこに置いて行くからな」


 レフが余計にルビオを激高させるようなことを言った。


「分かった」

「直ぐ出発するぞ、外はもう真っ暗だ」


 市壁の警戒態勢はスカスカだった。もう王国は監視兵を出していないし、帝国も申し訳程度に少数のパトロールを出しているだけだった。帝国軍の主力は当然、王宮と港の包囲線に動員されていたからだ。昼の間の戦闘に疲れて休んでいる兵がほとんどだった。そのパトロールも実際に監視していると言うより、市壁の管理も帝国に移ったということを民達に知らせるのが目的の様だった。監視兵達はわざと目立つように動いていた。その監視の穴をくぐるのは簡単だった。

 市壁を乗り越えたレフ、シエンヌとルビオは、市壁の周囲に張り巡らされた平坦な更地を突っ切って、岩や倒木でごつごつした、道のない高低差の大きい丘とも言えないような場所を市壁に沿って北へ走った。素早く動く必要があるため、3人は防具を着けず武器だけを携えていた。レフとシエンヌは小さな背嚢を背負っていた。








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