第28話 エガリオの事務所で

 人がやっとすれ違える狭い通路だった。何回か角を曲がって同じように狭い階段を登った。ロットナンがエガリオの執務室のドアをノックした。中から直ぐに応えがあってドアが開いた。立ったまま数人の男達と話していたエガリオがレフの方に顔を向けた。ロットナンに続いてレフが部屋に入った。振り返ってロットナンが閉めたドアを見ると、壁紙の模様に紛れてそこにドアがあることなど一見しただけでは分からなかった。


「よし、分かったな。手配通りやれ」


 エガリオがそう言って男達に手を振ると、それを合図に男達がぞろぞろと正規のドアから部屋を出て行った。それを見送ったエガリオがレフの方に振り向いた。先に言葉を発したのはレフだった。


「なんだか随分慌ただしい雰囲気だな。何かあったのか?」


この部屋だけではない、ここまで通ってくる間も建物全体がざわめいているのに気づいていた。


「ああ、ちょっとな。ロットナンから聞かなかったのか?」


 レフがちらっと側に控えているロットナンに視線を走らせた。


「彼は優秀だからな。私に対して余分なことは口にしない」


 事実、ロットナンはエガリオの執事としての立場からしかレフに接してこなかった。無駄口一つきかないと言って良かった。エガリオが苦笑した。ザラバティー一家の幹部の中でレフに対して最も警戒心の強いのがロットナンだった。


「そうか。実は傭兵協会を通じて帝国軍から申し出――というより命令だな――があった」


 レフが何だ?という顔をした。


「人を出せとさ。王国兵の死体を片付けるためにな」


 昨日の戦闘で千人ほどの戦死者が出ていた。その8割は王国兵で、味方の死体は片付けた帝国兵も王国兵の死体は放り出したままだった。尤も死体漁りはしていて、価値のありそうな物は既にはぎ取られていた。つまり、街中には裸に近い王国兵の死体が八百ほど転がっているわけだった。


「相場よりかなり安いが手間賃も出すそうだ」


 死体を放っておけばやがて腐り始め、疫病の基になる。アンジエームの街を支配した帝国としても放って置くわけには行かない。


「それで、エガリオとしてはどうするんだ?」


 エガリオと呼び捨てにしたことにロットナンが苦い顔をした。いつものことでレフもエガリオをも気にしなかった。


「要請には応じるさ。死体を放って置くわけには行かないことは確かだからな。まあかなりの持ち出しにはなるが、これで帝国軍に小さなコネが出来る。だからまあとんとんと言ったところだな。ダナの所の奴隷と残っている傭兵、それにザラバティーの若いのを加えれば2百人くらいはすぐに集まる。それだけいれば片付くだろう。いまから集めるんだが出来るだけ早く済ましてしまいたい」


 死体は時間が経つほど状態が悪くなる。片付けの手間も危険性も増える。


「だが、手間賃を出すのか……」


 レフのつぶやきに、


「ああ、上手い遣り方だぜ、戦で陥とした街だからな、幾らでも武力で脅して動員することが出来るだろうに。無理押しして反感を買うよりこんな遣り方の方が結局は安くつく事を知ってやがる。テルジエス平原でも硬軟織り交ぜて実に上手く民を抑えこんでいるというし。戦だけじゃなく民政に関しても手強いな」


 エガリオがやれやれといった風情で軽く首を振った。


「で、何かあったのか?わざわざこんなときに顔を見せるなんて」


 エガリオが話題を変えた。


「ああ、昨日の帰りに姫さんというのを拾った」

「姫さん?」

「ああ、第三王女ということだ」

「第三王女?アリサベル様か?」

「そういう名前だったな」

「本物か?」

「シエンヌが親衛隊候補生だったときに、訓練の一環として護衛任務に就いたことがあるそうだ、その姫さんの」

「お嬢ちゃんが知っていた訳か。拾ったってのはどういうことだ?」

「帰り道で王国兵と帝国兵の戦闘場面に出くわして、気づかれないように通り過ぎようとしたんだが帝国兵に気づかれたんだ」

「それで帝国兵を殲滅したって訳か。何人くらいいたんだ?」

「1個小隊だな。王国兵は姫さんをいれて6人しかいなかったが」


 ひゅーっとエガリオが口笛を吹いた。


「帝国軍1個小隊を3人で殲滅か」


 レフ一人でも同じ事ができただろうが、他にあの2人がいればそれほど難しいことではないだろう。


「で、その6人を拾った訳か」

「いや、3人はやられていて、残ったのは3人だけだ」

「その3人が今あんたの家にいると、そういう訳だな。で、狭くなったから他の家を紹介しろとでもいうのか」

「いや、確かに手狭にはなったが今から引っ越すと目立つだろう。空き家だったところに人が住むようになれば近所の人間には分かる。街はもう帝国のものと言っていいからな、そんな時期に引っ越すのは止めた方が良いと思う。どこから帝国軍の耳に届くか分からない」


 当然帝国軍に協力する民が出てくる。消極的にか積極的にかは分からないが。昨日の戦闘のあと、王宮にも港にも逃げ込めずに街中に潜んだ王国兵がいることは当然帝国も考えていることだ。遅かれ早かれ逃亡兵を探して街の捜索が始まる。まずその対象となるのは戦闘前にはいなかった人間だ。


「ま、それはそうか。だとしたら何の用事だ?」

「姫さん達からの情報だ。エガリオにも知らせておいた方が良いと思ってな」

「それはまた、こっちのことも気に掛けて貰っているようで嬉しいもんだな」


――こいつは身内以外のことは気にしない。こんな風に気にしているのは俺も半分くらいは身内認定されているのかもしれないな――


「で、どんな情報なんだ?」

「昨日の王国軍、港へ移動したやつらだが、王太子が指揮していたという話だ」

「ドライゼール殿下が?」

「そんな名前だったな。王族の間で決めたことだそうだ。王と王太子が1カ所――この場合アンジエーム王宮だな――にかたまっているとそこが破れたらアンジェラルド王家は全滅だから」


 エガリオはため息をついて肩をすくめた。


「それで王と王太子を別々にしたってわけか。それでなくても劣勢の王国軍を2つに分けてまで」

「まあ王家存続を第一に考えるなら悪くはない。アンジエームが陥ちても東の王国領は残っているから、そこを拠点に活動できるだろう。正室、側室に子供達も全員連れていたそうだ、そうする気満々だな」

「でもなんでアリサベル様まで一緒にいたんだ?」

「王宮に立て籠もっても先の見込みはないからだと。だから王太子の軍の最後尾について出たんだって。姫さんは元々王宮に残る方に入れられていたそうだ」

「まあ、我々下々の関与する所じゃないがな。でも助かったぜ。情報不足のまま動くってのは嫌なもんだからな」

「まあ、エガリオの立場じゃこれから帝国と王国の間での綱渡りだろうからな。知らせておいた方が良いと思ったんだ。それで、見返りにって訳じゃないが、ちょっと頼みがあるんだが」

「何だ?」

「たいしたことじゃ無いんだが、3人でしばらく家に籠もっていればいいつもりだったのが6人に増えた。備蓄してある食料が心許ない。少し援助してもらえないか?」

「そんなことか、クロエに言うから必要なだけ持っていけば良い」

「助かるよ」

「なに、この戦が始まったときに結構な量を手に入れてあるからな。3人分くらい増えてもどうって事はない」


 むしろこれでレフが恩に着てくれれば後々、何か役に立つことがあるかも知れない。こいつは結構義理堅いからな。


「それと……、昨夜拾ったのは姫さんと親衛隊の兵士が2人、そのうち1人は女兵だ。武装したままじゃ外に出せないんだが、男の方が私よりずっと体格がいい。私の服じゃ入らないんだ。エガリオの所から調達させて欲しいんだが」

「ああ、それもクロエに頼めば良い」

「悪いな」

「まあ、お互い様だ」


 情報との交換だな、どっちが得したのか分からないが、とエガリオは思っていた。





 結局レフは大きな袋いっぱいエガリオから分けて貰った品を持って帰って行った。


「あきれたものですね。あんなにたくさん入れて重くはないのでしょうか」


 クロエの感想に、


「欲張りなんだろ、自分の物と思えば重さなんか感じないんじゃないか。尤も重すぎて途中で放り出すかもしれないが」


 ロットナンがいくらかの嫌みを込めてそう言った。袋の中には保存の利く食料として、かなりの量の堅く焼きしめたパンやチーズ、腸詰め、塩漬けや燻製の肉が入っていた。子供の体重くらいはあるはずだ。


「いや、あいつはああ見えて結構力持ちだ。それに、重力緩和も使える。それほど苦にはしてないと思うぞ」


 エガリオの言葉にロットナンが当てが外れたような顔をした。








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