第27話 アリサベル王女 2

「アリサベル・ジェミア・アンジェラルド第三王女殿下です」


 シエンヌの口から無造作に王女の名前が出てきたことに、2人の親衛隊員に緊張が走った。無意識に槍を持つ手に力が入った。アニエスがそっと腰の短剣に右手を沿えた。

 ひゅーっと短く、小さな掠れた口笛を吹いてレフは王女の方に向き直った。王女もレフの方を見ていた。


「そなたは?」


 問いかけられて、レフは右手の拳を左胸の前に持ってきて、申し分の無い貴人に対する略礼をした。


「レフ・ジンと申します。王女殿下」


 レフの理解では、第三王女と言いながら、第一王女は既に高位貴族に降嫁し、第二王女は先年病没しているから目の前の王女が実質第一王女のはずだった。


「レフ・ジン……ね。覚えておくわ」


 王女には聞いたことのない名――家門名――だった。確認するようにその名前を口に出した。


「で、レフ・ジン。あなたがリーダーね、3人の中で」

「はい、殿下」

「ではあなたに頼むわ。わたし達をかくまって欲しい」

「「姫様!!」」


 2人の親衛隊員が驚愕の声をあげた。声こそ出さなかったがシエンヌとアニエスも吃驚していた。平然としていたのはレフと王女殿下自身だった。


「姫様!こんな得体の知れない奴を頼るのですか?!」


 思わず声を大きくした親衛隊員――ルビオ・ラクティーグラと呼ばれた若い兵――に、


「声が大きすぎるわよ、ラクティーグラ親衛隊員!それにわたし達を助けてくれた相手にその言い方は失礼よ」


 慌てて王国兵は次の言葉を飲み込んだ。


「他にやりようがないでしょう?港へ行くのも王宮に戻るのも無理、貴族街や官庁街は夜が明ければ帝国兵が充満するわ。平民街に身を潜めるしかないでしょう?」

「そっ、それは確かに……」


 言い淀む女兵士から視線を外して、


「と言うわけで、お願いできるかしら?」

「あなたたちを匿って、私のメリットは?」


 王室の一員を助けるのに見返りを求めるとは、やはりこの男は王国の民ではなさそうだ。でもこの男は、見つかったと思った瞬間に帝国兵に襲いかかった。躊躇いも迷いもなかった。つまり、この男は帝国を敵と認識している。敵の敵は味方――と単純に言い切れなくても少なくとも王国の直接の敵ではあるまい。ともに帝国を敵としている立場で、この男にとって王国の王族と知り合うのは決して損な取引ではないはずだ。


「わたしは王室の一員、あなたにとっても利用価値のある立場だと思うけれど、どうかしら?」


 アリサベル王女とレフは暫く互いの顔を見つめ合った。レフがふっと頬を緩めた。


「いいでしょう、帝国軍が王宮と港の制圧に掛かっている間は平民街は比較的安全でしょうから。しばらくは私の所にいることが出来るでしょう。ただし私たち、私だけでなくシエンヌやアニエスについて詮索は無用に願います」


 王室の権威で命令してくる訳ではなく、その場に応じて柔軟に交渉することが出来る相手をレフはきらいではなかった。


「分かったわ。余計なことはしないと約束しよう」

「それでは私たちに付いてきてください」


 レフ達に続いて歩き出そうとしたアリサベル王女がちらっと倒れている王国兵、とくに女兵――王女がミラーナと呼んだ――に視線を向けた。ロクサーヌと呼ばれた女兵がそれを見て首を振った。


「殿下、もはや……」

「――そうか。連れてはいけないな」


 ロクサーヌが目を伏せた。ロクサーヌもルビオも浅手とはいえ負傷している。死体を担いでいくのは無理だった。それに運んでいってもどうしたらいいか分からない。埋葬することができる場所を見つけられるかどうかも分からない。

 王女に個別の護衛が付くようになってからずっと――ロクサーヌと一緒に――王女の側にいた女兵だった。一瞬王女の瞳に悲しみが走ったが直ぐに視線を外して、足早にレフの後について歩き始めた。




 次の日の昼過ぎ、レフはエガリオの事務所への道をたどっていた。レフ1人だった。シエンヌとアニエスは残してある。王女殿下一行が留守中に何をやるか完全には信用できなかったからだ。特にアニエスには王女達を外に出すな――庭にも――と言ってある。見慣れぬ人間がレフ達の家にいることを他人に知られるのは、それが王国の民にであろうと好ましくなかった。


 街は西の市門が突破されて1日もたっていないのに、もう帝国軍の支配下に入っていた。尤も帝国軍の主力は王宮と港の海軍司令部の包囲に回っており、街は少数のパトロールが回っているだけだった。しかも敵の都ということもあり、パトロールに回る帝国軍は最低でも小隊単位であり、街を監視する帝国軍の目は粗いものだった。レフは索敵魔法を使って、帝国軍のパトロールに会わないように気をつけながら道を選んでいた。当然細い裏道ばかりをたどることになったし、最短距離を行くわけにもいかなかった。

 外に出ている民は少なかった。どうしても外に出なければならない用を持っている人以外家に籠もっていた。これまでの占領地で帝国軍が行儀良く振る舞っていることは噂としては知っていたが、実際にこれまで見たことのない軍装の兵が完全武装で動き回っているのを見るのは恐怖だった。

 レフは足を止めた。ハウタームの交差点近くにあるエガリオの事務所から5ブロックほど離れた場所だった。ハウタームの交差点周辺に1個大隊ほどの帝国兵が布陣していた。その周囲は特に警戒網が密だった。考えてみれば当然だった。ハウタームの交差点の位置はほぼアンジエームの真ん中だったし、主要道路であるベンディッシュ通りとマーフェルト通りの交点で、しかもマーフェルト通りは王宮から港までをまっすぐに繋いでいる。占領軍である帝国軍が扼さないわけはなかった。


 レフは通心でエガリオの執事であるロットナンに連絡した。


「エガリオ様はそこで待っていてほしいとおっしゃってます。私が迎えに参りますので」


 レフの現在地――ベンディッシュ通りより2本南側で、マーフェルト通りから4本西側の交差点――を告げたときにエガリオがロットナンを通じてそう言ってきた。


「で、そこに帝国軍が近づく様子はないのかとエガリオ様がお尋ねですが……」

「大丈夫だ。あんたが来るのにどれくらい掛かるか知らないが、すぐにここに来る事ができる位置に帝国軍はいない」

「すぐに伺います。少々お待ちください」


 言葉通り、すぐにロットナンが1本北の通りから姿を現した。早足でレフに近づいて軽く頭を下げた。


「案内します」


 周囲を警戒しながらついていくと、ベンディッシュ通りから1本南、マーフェルト通りから3本西の交差点に面した建物の西側に面した入り口からその建物に入っていった。さすがに建物に入るときにはロットナン自身で周囲を確かめた。帝国軍に見られるのもまずいが、同じくらい王国人に見られるのもまずい。

 続いて建物に入ったレフを、入ってすぐのところでロットナンが待っていた。レフが扉を閉めたことを確認して、しゃがみ込んで壁をいじった。ぱかんと隠し扉が開いた。扉の奥に下に降りる狭い階段が見える。

 先に階段を降り始めたロットナンはふっと言う笑い声を聞いたような気がして振り返った。レフが唇をほころばせていた。その目は決して笑っていなかったが。


「いや、用心深いことだと思ったのさ。エガリオのアジトはいくつか知っているが、どのアジトにも複数の出入り口――そのうちいくつかは擬装されている――があるからな」

「当然のことかと」

「ああ、その通りだ」


 それ以上の会話はなく、ロットナンはエガリオをところまでレフを案内した。






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