第27話 アリサベル王女 1
帝国軍が王国軍の意図に気づいたのは港に向かう王国軍の半数近くがハウタームの交差点を過ぎてからだった。目の前に展開している王国軍の援軍ではないと気づいた帝国軍は、総力を挙げて目の前の王国軍に襲いかかった。ほとんどが歩兵で構成されている王国軍に対し、帝国軍は騎兵も動員していた。戦力に劣る王国軍は建物、横道などを利用して懸命に防戦したが、戦力差はどうしようもなかった。また援軍と思っていた友軍が戦いもせず港の方へ行ってしまったことも戦意を殺ぎ、最前線の構えを破られると、グズグズと後退を始めた。背中を見せた敵を帝国軍が見逃すはずもなく、戦いはすぐに一方的な追撃戦になった。王国軍を追撃した帝国軍はマーフェルト通りで南――港――に向かう王国軍の最後尾を捕らえた。逃げ切れないと覚った王国軍との間に激しい戦いが始まった。
「乱戦になったな。この辺りまで来るかもしれない、引き上げ時だろう」
レフの言葉にエガリオが頷いた。戦闘のどよめきが風向きによって大きく小さく聞こえてくる。
「ああ、そうだな。あとは王国軍がどれだけの損害で済ませられるかだな」
「包囲戦じゃない。全滅はしないさ。……だがこれで」
「だが、なんだ?」
「王国軍に負け癖が付いたように見える、どこかで挽回しないとこのままずるずる行きかねないぞ。まあ所詮は他人事だが」
レフのこの言葉にエガリオは舌打ちをした。それ以上誰かが発言することもなく、そこにいる人間達は黙々と階段を降りていった。
レフ達3人はエガリオと分かれて、自分達の家への道をたどっていた。まだ夜明けには時間があって灯りのない道は足下も覚束ない。それでも3人は速度を落とすこともなく、早足で歩いていた。ベンディッシュ通りはハウタームの交差点を西に越える辺りまで帝国軍と王国軍の戦闘が及んでいるため、その幾筋か南の小さな通りを西に向かっていた。3人とも暗色の服を着ている。気配を消して東へ向かう3人に気づく人間はいなかった。
空はまだ暗い。街の住民達は市内で始まった戦闘に身をすくめて、厳重に戸締まりをして家の中で震えていた。
遠く、近く、戦いのおめき声が聞こえる。3人はほぼ無人の裏通りを西にたどっていった。
アンジエームで一番道幅の広いマーフェルト通りは文字通り戦場になっていた。主戦場は少しずつ南――港に近い方――にずれてきていたため3人がマーフェルト通りに付いたときにはその場での大きな戦闘は既に終わっていた。通りには動かぬ死体と痛みにうめく負傷者が転がっていた。それでも何人かの兵がまだ近くにいたため、その兵達に気づかれない様にレフがタイミングを計ってマーフェルト通りを駆け足で渡りきったときだった。
レフが手で止まれの合図を送った。
「帝国兵がいる」
3人が進もうとしている道の一つ先の交差点だった。マーフェルト通りを誰にも気づかれずに横断することに気をとられすぎて、こんな明らかな気配を見逃していた。レフは唇を噛んで目の前の情景をあらためて見直した。10人ほどの帝国兵が6人の王国兵を囲んでいる。うち1人の王国兵は少し小柄で5人の後ろに隠れるようにしている。その小柄な兵はフードを目深に被っていて顔は見えない。小柄な王国兵を5人が守っているようだ。
王国兵が槍を構えた。帝国兵はそれぞれに剣や槍を構えた。いきなり帝国兵が打ち掛かった。かけ声もなく、タイミングを合わせている。一人の王国兵に複数の帝国兵が切りかかっていた。個人的な技倆も明らかに帝国兵の方が優勢だった。
ひとしきり金属の打ち合う音と戦いのおめき声が続いて、それが収まったとき路上に3人の王国兵が倒れていた。一人は士官――十人長――の兜をかぶっていた。帝国兵にはたおれた兵はいなかった。
最初の攻撃で3人の王国兵が切り伏せられたとき、後ろにいた小柄な人影が声を上げた。
「ミラーナ!」
斃された王国兵の名前のようだった。
その声に、戦っている兵達の横を気づかれないようにすり抜けようとしていた3人のうち、シエンヌがはっとしたように声がした方に顔を向けた。その動きで気配が漏れ出て、帝国兵の中にいた魔法士が気づいた。びっくりしたようにレフ達3人を振り向きながら、
「だれっ……!?」
魔法士は最後まで言えなかった。レフが直ぐに飛びかかったからだ。頸を貫いたナイフを素早く抜いて次の帝国兵に襲いかかる。帝国兵達がレフに気づいて構える前に魔法士を含めた3人の帝国兵をレフは斃していた。ようやく襲撃者がいることに気づいて、レフに対峙した帝国兵に、横からものも言わずにアニエスとシエンヌが打ち掛かった。レフに気をとられて――レフは意図的に強い殺気を放っていた――帝国兵はアニエスとシエンヌに気づいていなかった。
決着はあっけなかった。3呼吸するほどの短時間の間に10人の帝国兵は全員地面に倒れていた。レフがしゃがみ込んで帝国兵の服で血をぬぐった。ふっと気づいて懐を探るとひもでぶら下げられた魔器が出てきた。
「アニエス」
呼ばれてアニエスがレフの側に来た。レフが帝国兵から取り上げた魔器を見せながら、
「こいつら強化兵だ。魔纏強化の魔器を回収しておけ」
「はい、レフ様」
帝国が使っている魔纏強化の魔器は質がいまいちでレフの要求水準には達しない。しかし、このまま放って置いて帝国に回収されると新たな強化兵が生まれる可能性がある。アニエスが倒れている帝国兵の側にしゃがんで魔器を回収し始めた。
シエンヌが近づいてきてレフが立ち上がると、
「あ、あなたたち」
生き残った王国兵の一人が声を掛けてきた。女兵の方だった。
「傭兵でしょう?傭うから港まで私たちの護衛を頼む」
レフが声を掛けてきた王国兵をジロッと見た。引き締まった身体をした女兵だった。レフより背が高かった。親衛隊の防具を身につけていてまだ若い。
「断る」
即答だった。
「なにっ!?」
「第一に私たちは傭兵じゃない、第二に……」
レフは顔を港の方に向けて遠くを窺う目をした。
「海軍司令部はもう帝国兵に取り囲まれている。あんたらを連れてあそこを抜けて行くのは無理だ」
レフ達3人だけなら多分出来る。アニエスの熱弾で穴を開けてそこを全力で駆け抜ければいい。だがこんな足手まといがいては出来ない。
「何だと!」
王国兵が棒を飲んだような顔になった。斃された王国兵の生死を確認していたもう一人の大柄な兵士が怒気を含んで顔を上げてレフを睨み付けた。
「ロクサーヌ・ジェスティ親衛隊兵長!」
2人の王国兵の後ろにいた小柄な人影が呼びかけた。フルネームを呼ぶことで黙らせたのだ。レフと同じように港の方へ顔を向けて、
「その者の言うとおりだと思うわ。港の方はもう無理ね」
「っ、姫様!」
言葉にしてはならないこと――その身分――を思わず口走るほど王国兵は慌てていた。
「私にも分かるくらい敵がびっしりと取り囲んでいるわ。王宮へは戻りたくないのだけれど……」
あらためて王宮の方角へ顔を向けてそう呟いた『姫様』に、
「王宮も無理だ。王宮前広場に既に帝国軍が入っている。まだ騎兵が主だが、直ぐに歩兵も着く」
レフの言葉に『姫様』がレフ達の方を見た。『姫様』の側に戻った大柄な王国兵が我慢できないといった風情で前に出た。
「無礼者、何という口の利き方をする!いったい誰に口を利いているつもりだ!」
「ルビオ、黙ってなさい」
『姫様』の叱責に、
「しっ、しかし、姫様」
「ルビオ・ラクティーグラ親衛隊員、黙ってなさい」
「――はい」
それでも納得できない様子の兵士を放って置いて、
「そうなのか?シエンヌ候補生」
名を呼ばれてシエンヌが一瞬びくっとした。『姫様』に対して姿勢を正して、
「はっ、はい、殿下。そう思います」
シエンヌが答えたことに『姫様』はにっこり笑った。
「やはりシエンヌなのね。見違えたわ、雰囲気がまるで違うのだもの」
「――殿下」
困ったようにシエンヌが呼びかけた。
「シエンヌが言うのなら、そうなのでしょうね。でもそうしたら私たちの行くところがなくなったって事ね」
『殿下』はレフに視線を移した。レフが肩をすくめてシエンヌを見た。それだけでシエンヌは何を求められているのか理解した。
「アリサベル・ジェミア・アンジェラルド第三王女殿下です」
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