第26話 アンジエーム攻防・その4

 両軍がにらみ合っている場所からそれほど遠くない4階建ての建物の最上階に、レフ達3人がいた。ハウタームの交差点の西側、ベンディッシュ通りの南側にある建物で、もともとはアンジエームの東側を拠点にしていた裏社会の中ボスの持ち物だった。エガリオの所有になっておりレフが断って使わせて貰っている形だった。


「シエンヌの予測が当たったな」

「はい、当たって欲しくはなかったのですが……」

「あの距離で帝国軍の動きを察知したのだから大したものだ」

「まぐれです」


―――――――――――――――――――――――――――――


 2日目の帝国軍の攻勢が日没の所為で止んでしばらくした頃だった。シエンヌが帝国軍の大規模な動きを察知したのだ。遠すぎて正確なところは分からない。しかし少なくとも万に近い帝国兵が、王宮と堀を挟んだ北側に構えた本陣から動き始める気配を感じた。こんな遠くの気配が自分に分かるものだろうかとしばらく躊躇った後、レフに知らせることにした。レフは工作室で魔器作りに集中していたがシエンヌの報告を聞いて、自分でも探ってみた。


「動いているな。西の市門を目指しているのかな?」

「やはり……」

「よく分かったな。随分と離れているのに」

「レフ様のおかげです」


 魔器を使ってレフと通心を繰り返しているうちに探知の魔法まで上達していた。何となくそう感じていたがはっきりと実感したのはこれが初めてだった。実を言うと、近距離の精密探知についてはレフの方が優れていたが、遠距離についてはシエンヌの方が上手くなっていた。このときもシエンヌに言われて探ったのでなければレフは気づかなかっただろう。


「どう思う?」


 帝国軍の動きをどう解釈するかという問いだった。


「王宮でなく街を攻めるつもりだと思います。市門の警備は王宮に比べると弱いですから」

「そうだな。エガリオに連絡して西の市門の側に様子を見ることができる場所を借りよう」


 帝国軍が街を攻めるつもりなら、きちんと見ておかなければならなかった。レフは帝国に追われる立場だったのだから。これがレフ達3人がタイミング良くここに居た理由だった。


―――――――――――――――――――――――――――――


「それにしてもどうも王国軍は後手後手だな」

「はい」


 首を軽く振りながら答えるシエンヌの声に苦い物が混じっていた。かっては王宮親衛隊の候補生だったから王国軍に多少の思い入れはあった。


 レフが頸を回らせて部屋のドアの方を見た。どたどたと階段を上ってきたのはエガリオとその幹部達――ロットナン、レスラウ、ダナ――と10人余の若い衆だった。ダナは太った身体を折り曲げて膝に手を突き、大きく肩で息をしていた。


「始まったんだな。あんたの言ったとおり」


 レフに声を掛けたのはエガリオだった。


「ああ」


 レフが簡潔に答えた。


「西門が突破された。王国軍の援軍は間に合わなかったな、今はにらみ合っているが、街は帝国軍の手に落ちたとみていい。王国軍はいずれ王宮に引き上げていくだろうから」


 エガリオが小さく舌打ちをした。


「もともとアンジエーム市全体は守り切るには大きすぎたんだ。市壁も長大で少なくなった王国軍ではカバーしきれない。これで王宮だけを守れば良いことになるから均衡して長期戦になるな」


レフの言葉に、


「面倒くせえ」


 エガリオの本音だろう。帝国軍相手でも上手くやっていけるようなことを言っていたが、このまま王国との関係が続く方が望ましいのは言うまでもない。


「東から兵力を持ってこれるかどうかだな。第三軍が来ればアンジエームを取り返すことも可能かもしれない。それでも無理かもしれないが……」

「くそっ、要するにこれから少なくともしばらくは街を支配する帝国軍とよしみを通じなきゃならないし、しかも王国軍が帰ってくる可能性も考えながらつきあわなきゃならないわけだ。っほんとっに面倒くせえ」

「そういうのは得意だろう?エガリオ。そう言ってじゃないか」

「それでも面倒くせえ事は面倒くせえんだよ!」


 吐き捨てるような口調だった。



 不穏な気配に気づいたのは、レフとシエンヌ、それにダナがほぼ同時だった。それほどに大きな気配だった。3人が一斉に同じ方向――王宮の方角――を向いたことで他の人間にも何かがあったのが分かった。


「なんだ?」

「なに?」


 エガリオとアニエスが同時に訊いた。それにレフが、


「王宮から兵隊が出てきた!」

「1万くらい」


 ダナが付け加えた。


「マーフェルト通りをまっすぐに南下しています」


 これはシエンヌだった。

 レフとエガリオが眉をひそめた。意味の無い出撃に思えたのだ。いま王宮を出てきた人数を合わせても1万5千、西の市門から続々と入市してくる帝国軍と拮抗しているが、敵を排除して市門を取り返せるような数ではない。


「いったい何をするつもりだ?」


 エガリオが声を上げた。先の王国軍の撤退を援護するつもりか?確かにいま帝国軍とにらみ合っている王国軍の撤退は容易になるだろう。しかし追撃されることは間違いない。その中で損害担当の殿軍が今出撃した王国軍に移るだけで、損害を被るのは変わりない。


「先の王国軍の中に重要人物でもいたのかな?」


 レフの言葉に、


「そんな重要人物が市門警備の援軍に出てくるとは思えないがな」


 エガリオの反論は説得力があった。

 しかし駆けつけた王国軍の行動はその場にいる誰にも予想できないものだった。ハウタームの交差点をそのまままっすぐ南下したのだ。市門の応援に行くなら西に曲がらなければならない。


「えっ?」


 誰もが一瞬あっけにとられた。しかし直ぐにエガリオだけが納得顔で頷いた。


「なるほど……」

 

 それをレフが聞きとがめた。


「何が『なるほど……』なんだ?エガリオ」


 呼び捨てにしたことにエガリオの部下達が気色ばんだ。レフ達3人とエガリオ自身は気にしなかった。


「つまり、王国は港を守りたいんだ」

「港を守る?」

「そうだ。今アンジエームにいる王国兵のほとんどは王宮にいる。港を守っているの

は海軍兵と後は僅かな領軍だけだ。まあ主には海沿いの領から船できた連中だ。全部会わせても5千くらいか。それではとても港を守り切れないと考えたんだろう」

「莫迦な!それでなくても帝国兵より少ない人数を2手に分けるというのか?何を考えているんだ、王国の連中は」


 レフが吐き捨てるように言った。


「まあ、アンジエームは交易都市だからな。港は富の源泉だ。それに港をとられるとアンジエームから逃げ出せなくなる」

「街が陥ちてしまえば王宮と港は分断されるだろう。港を保持していても逃げ出すことなど出来なくなるぞ」

「理屈はそうだがな、冷静に状況を判断できる状態じゃないってことさ。御前会議の前の予備会議なんかしっちゃかめっちゃからしいからな。とても理屈が通る雰囲気ではないそうだ」

「それで敗戦への道程を早めるというのか?信じがたいセンスだな」

「まあ、――そうだな」


 エガリオは渋々と言った様子で相づちを打ったが、彼には港にこだわる王国の気持ちも分かるのだ。アンジエーム港は中原一の交易の拠点だった。テルジエス平原の収穫物、メィディザルナ山脈にある鉱山からの産出物、アンジエーム自体が巨大な工房でそこで生み出される様々な製品、そういった物を輸出し、南方大陸や中原の東にある国々からいろんな物を輸入している。港はアンジエームの繁栄の礎だった。それを捨てる覚悟はそうそうは持てないだろう。それに今は王国内も一枚岩ではない。1万という数はかなりのものだがそれが王国全体の一致した意志で出されたとは限らない。一部の跳ねっ返りの行動である可能性もあるのだ。


「はあ~、面倒くせえ」


 エガリオの口癖になりそうだった。








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