第26話 アンジエーム攻防 ・その3

 その夜日付が変わったころ、西の市門から半里ほど北に離れた市壁の内側に、20人ほどの男達がどこからともなく集まってきていた。帝国軍が敗兵達に紛れ込ませて送り込んだ先遣工作隊と、あらじめアンジエームに潜り込ませていた工作員達だった。夜目が利く者、同時に平均よりも腕の立つ者が選ばれていた。

 彼らは近くに――少なくともすぐに駆けつけられる距離に――王国兵がいないことを確かめて、鉤の付いた縄を壁に引っかけるとするすると登って、市壁の上にもうけられた巡回通路に立った。


 たまたま通りかかったアンジエームの市民3人が悲鳴を上げるひまもない内に物理的に黙らされた。


 全員が登り終わると一人を除いて半数ずつ左右に分かれた。市壁の上で不寝番をしている探知の魔法士を始末するためだった。このとき王国側の市壁の警戒は手薄だった。魔法士の配置も、本来は市壁外の一地点について少なくとも二人の魔法士がカバーすることになっていたが、帝国の攻撃が王宮に集中しているため、そちらに手を取られて一人がカバーするのがやっとだった。どこに魔法士が配置されているか、暗い巡回通路の中でそこにだけかがり火がたかれているので簡単に分かった。警戒に当たっている魔法士の注意が市外にばかり注がれていたのも男達の任務の遂行を容易にした。

 かがり火はその明かりが届かない闇の深さを増す。二手に分かれた帝国軍の工作員達はタイミングを合わせて市外の警戒に当たっている魔法士とその警護兵に襲いかかった。


 魔法士による監視を排除したと連絡を受けて、市壁に上った地点に待機していた男が右手を挙げ、市外に向けた手掌に小さな灯火を浮かべた。チカ、チカ、チカ、と3度点滅させて、消した。

 市壁の周囲は半里に渡って更地にされている。市壁の上の巡回通路から目視されずに接近することができないようにという配慮だった。また探知の魔法も探知範囲に木や大きな岩がない方が上手く働く。その更地を100人ほどの帝国兵が市壁に近づいてきた。強化兵で構成される部隊だった。走ってないのは、走ると気配が大きくなるからだ。まして100人という集団で走ると本来ここをカバーしていない魔法士に――それが腕のいい魔法士であれば――探知される可能性がある。槍の穂先部隊はもってきたはしごを市壁に掛けてするすると登ってきた。全員が登り終わって巡回通路で戦闘態勢を整えて、通心を繋いだ。


「準備完了」




 アンジエームの東西の市門は街の防衛の拠点として、砦のように整備されていた。そこで壁は厚くなり幾つもの望楼を構えている。常に多数の要員が詰め、警戒に当たっている。門扉は頑丈で鉄で裏打ちされており、門を抜けても10ファルはあるトンネル状の通路を通らないと市内には入れない。通路の両側、天井には様々な仕掛けがあり、そこを通る人間を攻撃できるようになっていた。門の内側には駐兵場パークが設けられており、守備を厚くする場合や、ここから出陣する場合に備えていた。


 西の市門に付属している望楼で不寝番をしていた魔法士は徐々に強くなる敵の気配に冷や汗をかいていた。彼の周りで、たたき起こされた他の魔法士3人も同じように冷や汗をかいていた。


「敵の規模はわかるか?」


 訊いたのは門の守備隊の隊長だった。


「まだ2里ほど離れているので……」

「ええい、正確でなくとも良い!大体の所も分からぬか」

「歩兵と騎兵の混成です。歩兵が少なくとも3千、騎兵が少なくとも5百……」


 答えたのは3人の魔法士の中で最も探知に長けた女魔法士だった。

守備隊の幹部達は顔を見合わせた。平時では3百人ほどの兵が詰めているが今は戦時で千2百になっている。それでも探知された敵の数よりずっと少ない。


「慌てるな、既に王宮には報告してある。敵の勢力が確定したところで再度報告をあげる。どうするかは王宮が決める」

「援軍は?隊長、援軍は来るのですか?」

「だから王宮が決めると言っただろう!来るのかどうか、来てもどれくらいの数か、こっちでは分からん!」

「しかしここが抜かれたらアンジエームの街は敵に蹂躙されます!援軍が来ないはずは」

「探知した敵の数は3千5百だぞ。侵攻してきた敵の規模にしては少ない。残りの帝国兵に他の場所も攻められている可能性が高い。ここにだけ王国の兵を集めるわけにも行くまい」

「しっ、しかし門が破られれば街はおしまいです」

「王宮は残る」

「!っ……」

「まっ、街が見捨てられるというのですか!?」

「だからこっちでは分からん!そういう可能性もあると言うことだ。とにかく現有勢力のみで対処する覚悟がいる」


 その場にいる者が各々顔を見合わせた。


「巡回に出ている者を呼び戻して持ち場につけ!2里程度、騎馬ならすぐに門までたどり着くぞ!」


 隊長の声に全員が弾かれたように動き始めた。



 盾の陰に身を潜めた王国兵達はゴクッと生唾を飲んだ。帝国兵は200ファルほどの距離に迫っている。こちらが身構えていることを知っているはずなのに悠然と近づいてきている。月明かりしかない暗がりの中でも、近づいてくる軍勢が肉眼でも視ることができる距離だった。尤もまだべたっと地面に広がる黒々とした塊としか見えない。この距離では有効な攻撃は何もできない。しかし弓の射程に入るのにあとわずかな時間だろう。手に持つ弓をぎゅっと握りしめる。


 ――レクドラムに出陣した一線級の王国軍を一蹴した帝国軍だ。王都の警備に残された俺たちで相手になるのだろうか?――


 警備隊を主とした守備兵の多くの気持ちだった。

 後ろで突然歓声が上がった。ビクッと振り返った最前線の兵達に大声の報せが届いた。


「援軍が来るぞ!」

「本当か?」

「敵が攻撃しているのはここだけだ!王宮が援軍を出すことを決めた。半刻も頑張れば4千の援軍が来る」


 守備隊の隊長のよく通る声が兵達を元気づけた。


「お―っ!」


 守備兵達が一斉に歓呼の声をあげた。それをきっかけのように、粛々と前進していた帝国兵が喊声をあげて走り始めた。


「迎え撃て!」


 王国兵が弓に矢をつがえて遠距離射撃のため上方に向けた。


 まさにその時、横から帝国兵が襲いかかってきた。密かに巡回通路に登ってきていた部隊だった。前方にしか注意を向けていなかった王国兵は文字通り捲り上げられるように蹴散らされた。

 横からの奇襲を受けた王国兵達がそれに対処しようと狼狽えるうちに、外から市壁にとりついた帝国兵が次々に梯子を伝って市壁の上に登ってきた。

 そこからの展開は一方的だった。内側から開け放たれた門を通って騎兵が市内に侵入した。そして最初は5百騎と見積もられた帝国騎兵はいつのまにか千に増えていた。西の市門の外に続々と帝国軍が集まり始めていた。

 ほどなく王国軍の増援が到着したが、西門望楼を中心に橋頭堡を築いた帝国軍に気づいて足を止めた。もはや増援の王国軍より帝国軍の方が大きな戦力になっていた。それでも体勢を整え、盾を並べて帝国軍と対峙した。市街戦では単純な数だけでは必ずしも勝敗は決まらない。それにアンジエームの地理は王国軍の方が遙かに詳しい。しかも未だ暗い。うかつに出て行けば思わぬ所から襲われる恐れがある。それが帝国軍がすぐに攻勢に出なかった理由だったが、王国軍は王宮に撤退する機会をうかがっていた。しかし下手に敵に背を向けると追撃されるという恐怖が王国軍をその場にとどまらせていた。明るくなれば戦力の大きい方がより有利になる。王国軍の指揮官はどの部隊を殿軍――おそらく全滅するだろう――にするか考え始めた。





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