第26話 アンジエーム攻防・その2

同じ頃、


 帝国軍の陣からも王宮を見つめるたくさんの目があった。その中に、周囲を10ファル以上無人にして王宮を見つめる2対の目があった。ドミティア皇女とディアステネス上将だった。ドミティア皇女の護衛についている近衛兵とディアステネス上将の護衛兵達は、二人を遠巻きにして周囲に気を配っている。二人のすぐ横には人一人が充分に身を隠せる程の鉄で補強した盾が並べてあった。弩弓による遠距離射撃への対策だった。目のいい魔法士がいればここに帝国軍の高級士官がいることが分かる。


「陥としにくそうな王宮ね。堀は深くて広い、城壁は高い。城門の向こうには王国兵がひしめいている」


 皇女が後ろに並んでいる5基の櫓を振り返りながら言った。櫓は城壁よりも高く組み上げられている。部品に分けて運んできて、ここで組み立てたものだ。基部には4つの大きな鉄製の車輪が付いていて、動かすことが出来る。敵の矢の届かないところで組み立てて、それから城壁に近づけようということだった。ただし、重い櫓は動かしにくく、方向転換も難しかった。さらに動かすときには全体が不安定になって、上手く動かさないと倒れてしまう恐れもある。それでも櫓に登れば城壁よりも高くなるため弓を射るのに高さの不利をなくすことが出来る。櫓から城壁まで板を渡すことが出来れば王宮に乗り込むことができる。その意味では攻城機と言うことも出来たが、この幅の広い堀の上を渡す長い板など櫓に取り付けることは出来なかった。ひどく不安定になるし、城壁に向かって板を伸ばしている間にバランスを崩して倒れてしまうだろう。たとえ櫓から城壁まで板を渡せたとしても、そこを渡りきる前に矢で射落とされてしまう事は明白だった。狭い板の上をまっすぐに走ってくるしかない敵などいい的でしかない。


 さらに二十機ほどの投石機も並んでいる。そしてその横には弾になる石も積まれている。さらには投石機用の秘密兵器もあった。いかにも城攻めをしますよと言った装備だった。これらの重い攻城用の装備を運んできたのもアンジエームに来るのが遅かった理由の一つだった。


「そうですな」


 とぼけた声で上将が答えた。


「でも、必ずしも王宮を陥とす必要はありませんな」

「えっ?」

「まず、アンジエームの街を陥とします」

「王宮を南から攻めるわけ?南側だって同じように堀があるし、城壁だって低いわけじゃないって聞いているわよ」

「街を陥とせば王宮は孤立します。港と切り離せば補給物資や兵員の補充が出来なくなります。何より王宮から港へ逃げることが出来なくなりますな」

「逃げる?」


 ドミティア皇女には疑問だった。あの要害と言うにふさわしい王宮に依っているのに逃げることなど考えるのだろうか?城攻めは守備兵の3倍の兵を要するという、確かに帝国兵の方が多いが、3倍にはならない。いかに帝国兵が精強であっても攻めあぐねるのではないか?食料や武器にも十分な備蓄があるだろう。


王国兵やつらは一回手ひどく負けています。負けた経験を引きずっている兵というのは腰が引けているものです。退路を断たれて平静でいられるかどうか……、かなりの兵が浮き足立つと予想しますな。それに王宮の中にいるのは兵ばかりではない。王家の姫君達や貴族の家族などもいます。そんな闘うことなど知らない連中が退路がないという状況に耐えられるかどうか、大いに疑問ですな」

「櫓や投石機を用意しているからてっきり王宮を攻めるものとばかり思っていたけれど……」

「そんな損害ばかり増えるような戦はしません。櫓や投石機はフェイントですな。フェイントと分からせないためには本気で用意をしなければなりませんからな。よしんば想定通りに王国兵やつらの士気が落ちなくても、王宮を港から切り離すというのは良い戦術でしょう。敵を孤立させるというのは基本でしょうからな」


 ドミティア皇女に対してはディアステネス上将はいつも饒舌だった。教育しているつもりだった。自分のやり方を理解してもらうためと、将来も自分の作戦に関わってくる可能性があるのなら、それをやりやすくするためだった。


「街の方は高さ4ファルほどの市壁で囲まれているだけで堀はない。確かに王宮よりも陥としやすそうではあるわね……」

「アンジエームは大きくなりすぎたのですな。あの長い市壁全体を4万や5万の兵で守り切れるはずもない。アンジエームの直ぐ外まで敵が来る事態など予想してなかったのでしょう。その上今は王国軍は王宮の護りを固めるつもりで兵力を王宮に集めている。当然市壁の護りは手薄になっています。敗残兵に紛れて何人か街中まちなかに潜り込ませています。彼らに手引きさせれば市壁の突破は難しくないでしょう」


 敵にとって嫌らしいことばかりしてくる。皇女は一部の上級士官達に上将の評判が悪いことを想い出した。演習でも相手の嫌がることばかり仕掛けてくる、正々堂々などという言葉は上将の辞書にはないのだ、と息巻いているのを聞いたことがある。反面、兵達には評判が良かった。上将の指揮下であれば勝てるという期待が大きいからだ。勝ち戦なら生き残る可能性が高くなる。混戦の中で戦う一般兵にはその手柄を個人的に認めて貰う機会などまずない。何はともあれ生き残ることが最優先なのだ。


 次の日から帝国軍は王宮へ攻勢をかけ始めた。攻城機の櫓の天辺を城壁より高くしてそこに弓兵を登らせて絶え間なく矢を射かけさせた。一つの櫓辺り6人ほどの弓兵だったから全体で30人、大した数ではなく、盾を並べた城壁に陣取る王国兵には目立った損害もなかった。ただ煩わしかったし、すぐ側まで敵が来ているというのは気が滅入るものではあった。堀を挟んで防御用の盾を並べた陰からも帝国の弓士がさかんに射かけたが、高いところに向かって放つ矢がそれほどの効果を上げることもなかった。勿論王宮側からも矢を放ったが、これも盾に阻まれて大きな戦果はなかった。全体としてみると矢合戦は王国側のやや優勢といったところだった。。

 投石機からは一定の間隔を置いて、大人の頭より少し小さい程度の石が王宮に打ち込まれた。これは王宮の建物にそれなりの損害を与えたし、城壁に当たればそこに待機している兵をはじき飛ばしながら破壊したが、それが攻城戦の帰趨を決めると言うほどの威力はなかった。初日は様子見と言うところらしく、それ以上の攻撃はなかった。


 攻勢2日目、帝国軍投石機は城壁を狙うようになった。1日目の投石でそれぞれの投石機の飛距離と癖を把握し、城壁を中心に石を落とした。落ちてきた石に盾の陰からはじき出された兵は櫓の天辺に陣取った弓兵に狙われて1日目よりも死傷者は多くなったが全体から見れば損害は軽微と言って良かった。

 投石機は石以外の物も打ち出した。帝国が用意した秘密兵器――油の詰まった陶器の弾だった。これは城壁ではなく、建物を狙って放たれた。中に油と一緒に発火の魔器が入れてあり、落下と同時に飛び散った油に火が付いた。着弾と同時に四方八方に広がる火は恐ろしいものではあった。油は普通の油より粘性を持たせてあり、くっついた所でブスブスと燃え続けた。建物ならその木の部分を焼き、運悪く人体にでも当たれば大やけどを負わせた。王国兵の集まっているところを狙って撃ち出される油の弾はやっかいだったが重力で落ちてくるだけの弾から逃げることはそれほど難しくはなかった。

 王宮の守備兵はその日一日投石機から打ち出される石と油の壺に翻弄されて走り回った。しかしそんなことをしても深い堀と高い城壁に守られた王宮の防備が破られるわけでもなく、王国兵はまだどこか余裕を持っていた。





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