第26話 アンジエーム攻防・その1

 その次の日から3日間、レフは自分の部屋に籠もった。食事と睡眠以外の時間のすべてを新しい魔器造りに費やした。3日目の夕方、夕食とその後片付けが終わったときにレフはシエンヌとアニエスの目の前に3日間をかけて作った魔器を出した。レフの右手の掌の上に2個の小さな球形の魔器が載っていた。細い魔導銀線で精緻な法陣紋様が刻まれた魔器はレフの掌の上でキラキラ光っていた。


「これは何の魔器です?レフ様」


 アニエスが好奇心を抑えきれずそう訊いた。


「これも転移の魔器だな」

「転移の魔器?私の貰ったものとは違うようですが……」


 シエンヌの目から見ても明らかに法陣の紋様が異なっていた。それにシエンヌの持っている物より小さい。


「そうだ。帝国軍が転移の魔器を使って王国軍の司令部を奇襲していただろう?」


 シエンヌとアニエスが頷いた。


「転移先を魔器で精密に規定すれば、ブレがなくなり安全に転移できることをあれが教えてくれた。だから作ってみた」

「転移先を規定する魔器ですか?」

「こいつを転移先にセットしておけば正確にそこに転移できる。その上、周囲の転移を邪魔するような異物を排除できる。まあ余り大きい物は無理だが」


 レフが食卓の上に魔器を置いた。球形の魔器は少し転がって食卓の凸凹に捕まって静止した。レフの手から離れると魔器は光らなくなった。

 シエンヌが魔器の一つを手に取った。レフが持っているときと異なって、魔器は光らなかった。目の高さに持ってきてしげしげと見つめた。小さな球の表面にびっしりと紋様が刻まれている。


――なんだろう?レフ様が新しい魔器を作るたびに紋様が細かくなっている気がする。特に魔導銀線の間隔が小さくなっているような……――


「どっちかが転移元の魔器で、もう一つが転移先の魔器なのですか?」

「いや、2つとも転移先を規定する魔器だ」


 シエンヌがえっというような顔でレフを見た。


「私の魔力パターンに特化してある。私が転移の魔法を発動するとその魔器が受け止めてくれる。だから転移先を規定するだけで十分だ。15里くらいは跳べるかな」

「じゃあ、2個あるのは?」

「1個だと思わぬ事で失われるかも知れないからな、誰かが見つけて持って行ってしまうかも知れないし。だから念のために2個作った。明日にでも市外にでて適当なところに設置してこようと思う。そうすれば好きなときにアンジエームから逃げ出すことができる」

「アンジエームから逃げ出すのですか?」


 意外なことを聞いたようにシエンヌがレフの言葉を繰り返した。少なくとも当面はアンジエーム市内で動くのだと何となく思っていたのだ。レフがこんなに早々と逃げ出す算段をするとは思っていなかった。


「大軍とけんかをする気にはならないからな。数の暴力ってのはあがらいがたい」

「あたし達は、あたし達はどうなるのですか?レフ様がいなくなったら」


 アニエスが勢い込んでそう訊いた。


「あっ、言うのを忘れていたが4~5人連れて一緒に転移することができる」

「だって、シエンヌは転移ができるけど、あたしはできないから……」


 アニエスは泣きそうになっていた。


「4~5人っていうのは、転移能力のない人間の場合だ。シエンヌほどの転移の能力があれば10人くらいは可能だ」

「じゃあ、あたしも連れて行ってもらえるですね?置いて行かれる訳ではないのですよね」


 レフは苦笑した。


「アンジエームに残るのなら、隷属紋を外して解放してやるぞ」

「絶対嫌!レフ様について行く。どんなことがあっても」

「私もついていきます」


 シエンヌも静かに、しかし断固とした口調で言った。



 その夜、暗くなってからレフ達3人はアンジエームの東市壁を乗り越えて市外に出て、魔器を設置しに行った。王宮の防衛準備に掛かりきりになっていて、市壁の警備は穴だらけになっていた。壁全体を探知魔法でカバーすることも出来ず、レフやシエンヌの眼には簡単に抜け穴が見つかった。


「まったく、ちょっと気が利いた魔法使いがいれば簡単に市内に侵入できるぞ。いくら壁を高くしても監視できないんじゃ意味が無い」


 敵の攻撃が間近いというのにこんな状態で街の防衛線を放置している王国軍の思考がレフには理解できなかった。魔法使いが出入り自由な街なんて工作のし放題ではないか。


 魔器を設置したのはアンジエームから東に10里位離れた砂浜だった。砂浜にしたのは周囲に実体化を邪魔するような物が少なかったからだ。満潮でも水没しない所を選んで、浅く砂に埋めた。砂に埋めたのは通りがかりの人間から隠すためだった。魔器の上、半ファルほどの空間に実体化するように調節して、2つの魔器を1里ほど離して設置した。


 シエンヌもアニエスも大人の背丈の5倍はある市壁を縄を使って乗り越え、一晩でこの程度の距離を走る事ができるようになっていた。





 帝国軍がアンジエームの北に布陣したのはジェイミールが陥落してから20日目だった。昼に近い時間に到着した帝国軍は王宮から1里ほど離れた場所を本陣に決め、前衛をずらりと並べたその後ろに陣を築き始めた。さらにその後ろには背の高い攻城機が幾つも並んでいる。

 アンジエームの王宮の一番高い塔の最上階に二人の男がいて、布陣した帝国軍を見ていた。背の高い、白い顎髭を生やした60歳前後の豪華なマントを纏った男――アンジェラルド王国の王、ゾルディウス2世――と、がっしりした体格の、ピンとたった口髭を生やした華麗な鎧を着た男――王宮親衛隊長、ディルティウス・フォルティス下将――だった。

 親衛隊は、規模は師団より小さいが王族の護衛を務める特殊任務に従事する事から、その司令官は下将に任じられている。


「6万というところかの」

「御意」


 もともとは王国領だ、撤退してきたとは言っても目や耳は残してある。その情報によればレクドラムを経由して侵攻してきた帝国軍は6万ということだった。それがほぼ欠けること無く王都の近くまで来ている。つまりここまでの王国側の抵抗はごく軽微だったということだ。


「軽武装の警備隊を2万ほどあらたに呼び寄せたと聞いております。そいつらに後方を任せて全軍で押し寄せてきたものと」


 警備隊は軍に比べると軽武装だが、治安維持訓練を受けている。占領地を押さえるには軍よりも適している。


「全く用意周到なことだ」


 苦々しげに呟く王にフォルティス下将が小さく頷いた。


「帝国はずいぶん前から準備していたと見える。その兆候をどうして捉えられなかったのだ?」

「暗部では1年ほど前から何かおかしいと感じていたとか聞いております。しかし、この手際を見るとそのずっと以前からかと思われます」


 ゾルディウス2世は小さく舌打ちした。


「1年もあればいろいろできたものを。なぜ余の所までその情報が上がってこなかったのだ?」

「おそらくは確報ではなかったからかと」


 間違った情報を上げれば足を取られる恐れがある。暗部の中でも派閥と足の引っ張り合いはある。そんな中で、好意的でない連中にこちらを攻める口実を与える事はしたくない。そんな思いを持っている人間が多すぎた。


「そのあたりきちんと組み立て直さねばならぬな。他国が侵攻してくる可能性があるのを確報ではないからとあげてこぬのは問題であろう」

「御意」


――次か?そんな余裕があるだろうか?――


 相づちを打ちながらフォルティス下将は目の前に堂々と布陣する帝国軍を見てそんな思いを持っていた。彼の目の前で帝国軍は実に手際よく動いていた。


 厄介な相手だ、その動きを見るだけでよく分かった。








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