第25話 情勢

 一通りの魔法の確認を終えて、レフ達3人はエガリオの屋敷の応接室で茶をもらっていた。エガリオの情報をレフが欲したのだ。レフ達3人は並んで座ったが、そういうときはレフの左にシエンヌ、右にアニエスが位置する。

 茶を運んできたメイドがドアを閉めるのを確認して、


「ちまたの噂では、ジェイミールが陥ちたと言っているけれど……」


 茶を一口飲んで――おいしい茶だった――レフが質問した。エガリオが苦い顔で、


「なにせ宗家の当主が残った領軍を総ざらえしてアンジエームに来たからな。警備隊も残さなかった。ジェイミールに残された文官達が開けられた門の前に勢揃いして帝国軍を迎えたそうだ」


 警備隊は街の治安を担当する部署だ。軍に比べると軽武装だったが、武装勢力には違いない。法を執行する暴力装置がなくなればそこは無法地帯になる。ジェイミールに残される行政担当の文官達も街の民も、警備隊を残してくれるよう嘆願したが結局一人残らずアンジエームに引き連れてきた。警備隊の人員もジェイミールに残ることを拒否した。帝国軍が来たときに、武装勢力と言うだけで粛正される可能性があったからだ。文官達もアンジエームに連れていって貰いたがったが、ディアドゥ・エンセンテには戦いに役立たない文官を連れて行くつもりはなかった。領軍、警備隊以外に彼が連れて行ったのは家族と側近、普段から誼を通じている大商人達――彼らは金を持っているし、アンジエームにも拠点を持っている――だけだった。残された人々はその運命を帝国軍の気まぐれに委ねるしかなかった。


 結局、ディアドゥ・エンセンテがジェイミールを脱出して帝国軍が来るまでに2日しかなかったから大きな混乱はなかった。スラム街に住む住人達が、治安維持のための暴力装置がいなくなったことを幸いに、脱出した大商人の家を襲って略奪したくらいだった。彼らは帝国軍が来る前に略奪したお宝を持ってジェイミールから逃げていった。


 その後帝国軍はジェイミールに居座り、テルジエス平原の平定を確実なものにするため、中小の領主の完全な武装解除、反抗の可能性のある領主の粛正などに勤しんでいる。これらの点についても帝国軍は事前に情報を集めていて、実に手際よく進めていた。後方を可能な限り安全にしてアンジエームの攻略にかかるためだった。


「アンジエームに籠もって闘うつもりなんだな」


 レフの確認に、


「野戦は無理だろう。帝国軍に対して数が少ないし、質を考慮に入れたらなお差が大きくなる」

「アンジエームにいる王国軍はどれくらいの数になったんだ?」

「国軍、つまり第一軍と第二軍の残りが併せて2万、そこにエンセンテ領軍が5千、新たに徴集した兵が――兵役経験者なんかだな――5千、それに東部でもアンジエームに近い領主達が送ってきた兵が併せて6~7千、海軍を勘定に入れれば4千、全部で4万前後ってところだな。帝国軍に対してこれだけ差があれば王都の壁に頼っての籠城しかない」

「東の領からは6~7千しか来ないのか。王都が陥ちれば彼らは背後から攻められるんだがな」

「嫌らしいことに第三軍と対峙している帝国軍が妙に活発になっているらしい。第三軍とディセンティア、アルマニウスの領軍は釘付けだ。あんたが言ってたようにレドランド、デルーシャとの同盟交渉も始めたらしいんだが進展ははかばかしくない」

「どうせ王国が高飛車に出ているんだろう?」


 レフの言葉にエガリオが肩をすくめてため息をついた。


「帝国軍に占領された地の様子はどうなんですか?なにか情報は入ってませんか?」


 シエンヌが訊いた。


「アドルの領地と言うことなら特に情報は入ってないな。ただ帝国軍は行儀がいい。今のところ略奪、暴行なんて話はほとんど聞こえてきてない。王国軍の敗走に伴う乱暴狼藉がひどかったから、テルジエス平原の民はむしろ帝国軍を歓迎している。アドル領だけが例外とは考えにくい」


 エガリオの答えにシエンヌは明らかにほっとしていた。


「アンジエームを攻めるのに後方が不安定では困るだろうからな。だから少なくとも暫くはこんな状態が続くだろう」


 レフが言葉を継ぎ足した。


「暫く?」


 シエンヌの疑問に、


「アンジエームが陥ちるまでは、と言うことかな。帝国軍の行儀の良さは多分に戦術的なものだろうが、それで占領政策が容易になるなら継続される可能性もある」

「アンジエームは陥ちるのかしら?」


 アニエスの質問だった。深い堀に囲まれた王宮の堅固さはアンジェラルド王国の自慢だった。街も高い市壁を廻らせている。


「防御に徹すればそうそう簡単には陥ちないだろうが、どこまで頑張れるかな?」

「王都だから最後まで頑張るんじゃ……?」

「海が開いてる」


 レフの言葉にああ~と言うようにエガリオが頷いた。


「どういうこと?」


 とっさにはアニエスは理解できなかった。


「帝国軍がアンジエームを包囲しても、港は抑えることができない。帝国海軍を北の海から持ってきていない」


 フェリケリア神聖帝国は基本的に陸軍国だった。海軍も持ってはいるが北の海はいつも荒れていて冬には凍り付く。だから王国に比べると小規模な海軍だった。


「だからアンジエームに対する食料や武器の輸送は心配ないが、包囲の一角が開いていると包囲されている方はそこから逃げることを考える。一度負けた軍だから包囲軍から攻められれば逃げ出す可能性がある。王家を保護するためとかなんとか称して」

「そんな……」


アンジエーム育ちのアニエスには王都に他国の軍が入ってくることが想像できなかった。


「多分、ディセンティアの領都、エスカーディアにでも臨時政府を作るんだろうな。王家の別荘もあることだし」


 これはエガリオの言葉だった。王宮の内情を多少とも知っているエガリオとしては王国の抵抗に期待できないと考えていた。数だけは4万を集めても、それを纏め上げて、統一的に指揮できる強力な将がいなかった。最も兵達から信頼されていたルドメ上将が戦死してしまったのが痛かった。


「エガリオはどうするんだ?」


 レフに問われてエガリオがレフの方を向いた。


「どうするんだ?って何をだ?」

「帝国がアンジエームを占領したときにどうするんだ?と訊いている。街から逃げ出さないのか?」


 エガリオが舌打ちしながら首を振った。


「俺たちは街中でしか生きられない。上が王国であろうと帝国であろうと俺たちは街で生きていく。今は行儀のいい帝国兵だって息抜きしたり、発散したりする場所が必要だろう。そういうのを提供するのは俺たちになる。そうこうしている間にコネもできるしな」


 ある意味レフの予想通りの応えだった。


「あんたはどうするんだ?」


 逆に質問してくるエガリオに、


「暫く様子見かな。エガリオ達と違って街にこだわる必要はないが、土地勘もないところに逃げていくのも面倒だって気もある」

「カジェッロ達の話を聞くと、あんたのやったことを帝国軍が知れば放っておかないと思うぜ」

「カジェッロ?」


 とっさには思い出せなかったが、


「ああ、あいつか」


 帝国騎兵の2個小隊を潰したときにいた傭兵だ。確かにあいつらの前で攻撃魔法を使って見せた。なるほど不味かったかも知れない。そのうえあいつらは帝国騎兵の馬でアンジエームに帰ってきて門のところでトラブルを起こしたと聞いた。そのあたりの話を帝国軍が聞きつければカジェッロからレフにたどり着くかも知れない。


「あんたがカジェッロを知っているとは思わなかったな」

「ザラバティー一家は傭兵協会も宰領しているからな。カジェッロは有力な傭兵グループのあたまだ。当然俺も知っている。あいつらがレクドラムから早々と戻ってきたから話を聞いたんだ。その中にあんたらの話も出た。帝国騎兵を殲滅したことも含めてな。一応口外するなとは言っておいたが……」


レガリオが言い淀んだ。レフが続きを言った。


「噂を広げる一番の方法は、“ここだけの話だが”とか“他には言ってほしくないんだが”とか付け加えることだからな」

「そういうことだ」

「あの場には他にも何人かいたから……。全員が口が堅いとは思えないな。分かった、あの事が帝国軍に知られることを前提に対策を考えよう」

「ああ、そうした方がいいと思うぜ。一応東へ行く護衛任務があるから、あいつらをそれに当てて街から出すつもりだけどな。けどあいつらだけでなく、市門でもめたことは結構大勢が知っていると思うぜ」


エガリオが真剣にレフの心配をしているような声音で言った。


「「レフ様」」


シエンヌとアニエスが左右からレフを心配そうな顔で見た。


「ああ、ちょっと考えなきゃいけないな。でもそんな心配そうな顔をするな」


レフはそれでも心配顔がとれないシエンヌとアニエスを連れてエガリオの屋敷から帰った。







 

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