第23話 負け戦と混乱 2

 アンジエームに戻ったレフにエガリオから連絡があったのは、さらに2日経ってからだった。その2日をレフは帝国軍騎兵の小隊長から奪った魔器の解析に当てた。法陣を紙に写し取り、魔器を手にとって魔力を流してみたりした。自分が同じような魔器をレフから与えられていることもあり、その作業にシエンヌが興味を持った。2日目の昼過ぎ、紙に写し取られた法陣をじっと見ているレフの後ろからシエンヌものぞき込んだ。シエンヌが見ても自分が持っている魔器の法陣とは異なる紋様であることは分かった。机の上に置かれた四角い魔器を見ても、魔導銀線がシエンヌの魔器よりも太く、法陣の紋様も精緻さに欠けるように見えた。


「私の魔器とは違うのですね」

「そうだな。シエンヌ、今持っている魔纏の魔器を外してこれを持ってみろ」


 腕輪を外すと、なんだか裸でひどく無防備になったような気がした。レフから貰って今まで外したことがなかったのだ。そして身体が重い。この腕輪を付けるようになってから普段の動作でもごく薄い魔纏をするようになっていた。それによって動作が速くなり、疲れにくくなっていた。魔器を外すとそれがよく分かった。

 帝国の魔器を手に持った。


――あっ、これも使えるんだ――


 帝国の魔器でも、シエンヌの魔纏は強化された。


――でも、効率が悪い。同じくらいの魔纏をするのに倍以上の魔力がいるし、それに不安定だわ――


「それも使えるだろう?」


 レフが訊いてきてシエンヌが頷いた。


「魔纏の出来る魔法使いなら誰でもある程度は強化されるように作ってあるようだ」

「そうなのですか。でも余り効率が良くないようですが……」

「そうだろう、その法陣はシエンヌに特化してない。誰にでも使えるように作ってあるが、その分各人の魔纏強化を最大限にすることは出来ない」


 イフリキアの作った法陣だ、それは疑いなかった。母でなければこんな万人向けの法陣など作れるわけがない。しかし、魔器そのものを作ったのは母ではない。母がこんな粗雑な造りをするわけがない。特に魔導銀線の精度がお話にならない。一定の魔力を流しながら一定の細さにしなければならないのに、流す魔力にむらがあるし、細さも一定ではない。その上、魔導銀線を埋め込む溝の深さと幅も一定ではない。遠隔魔法――通心、転移、索敵・探知――と違って球面上に描く必要も無いのに、どうしようもなく下手だ。こんなことは実際に魔器を作ったことのある魔法使い――それも腕のいい魔法使い――にしか分からないだろうが。母が手ずから作れば半分の大きさで、もっと性能がいい魔器を作るだろう。おそらく自分では作らないことを前提に法陣を描いたのだろう。下手が作ってもある程度の効果が出るように。この魔器は使用時に流れる魔力があちこちでつっかえているし、無駄に流れるところもある。それでも使用に耐えるのは大したものだ。母の作った通心の、――そして転移の――精緻な魔器をずっと使っていたレフに、そういう魔器も必要な場合があるのだと教えていた。


「その上、魔器の造りが粗雑だ」

「そうですね、私には使いにくいですね」


 レフの作ってくれた、シエンヌに特化した魔器を使い慣れていると、この魔器を使う気にはなれなかった。言わば、体格に合わせて作られた椅子に座り心地の良いクッションを敷いて座っているのと、堅い木のベンチに座っているのを比較するようなものだった。


「私はレフ様の魔器の方がずっと良いです」


 可愛らしく頸を僅かに曲げながらシエンヌがそう言った。




 アンジエームに帰ってから3日目の夕方、レフはエガリオの事務所を訪ねた。まだ日暮れには間があるのにエガリオは目の下に隈を作って、疲れ切ったような顔をしていた。それでもレフが案内されてエガリオの事務室に入っていくと、立ち上がって手を挙げた。


「よお、久しぶりだな」

「ああ、元気そう……、でもないな」


 輸送隊に混じってアンジエームを出立するときに会って以来だったから、一月ぶりくらいになる。エガリオは執務用の机の後ろから出てきて、ソファに座った。


「まあ、座ってくれ」


 エガリオに促されてレフも丈の低い机を挟んでその向かいに座った。エガリオが顎で合図をして、レフを案内してきた男はドアを閉めて出て行った。出て行く男に、


「茶を持って来るように言え」


 というエガリオの言葉が追いかけた。


 ふ~っとため息をついたが、エガリオは難しい顔をして中空を見つめたまま口をひらかなかった。レフも黙ったままエガリオの対面に座っていた。


 ノックの音がして、入ってきたのはクロエだった。盆の上に薫り高い茶と焼き菓子が載っている。それをいかにも上品そうにエガリオとレフの前に置いた。高位の貴族のメイドでもつとまりそうな作法だった。


「ダナから一通りのことは聞いたが……」


 クロエが部屋を出るのを待っていたように、エガリオが話し始めた。


「あんたからも聞きたい。あんたにしか見えないこともあるだろうし」

「そうだな……」

「転移の魔法で司令部を不意打ちしたと聞いたが……」

「ああ、本当だ」

「転移用の魔器を使用していたらしいとダナが言っていたが、多人数をあの距離で正確に転移させることができるのか、その転移の魔器とやらは?」

「ああ、転移元と、転移先に魔器を設置して、転移する魔法士に補助用の魔器を持たせれば可能だろう。転移先のぶれもないし、時間も短くて済む」


 そういう魔器が出来るかどうか、自分で法陣を考えてみた。できる、というのがレフの結論だった。魔器にその法陣を落とし込むことも難しくはないだろう。


「3里も離れたところへ転移して不意打ちできるのか。厄介だな」

「エガリオ、正確には違うぞ。多分その10倍くらいの距離は転移できると思う」

「そんな距離を!?レフ、お前、それは確かなのか?」

「まあ魔器の性能と、魔器を使う魔法士の魔力によるがな。だが普通に転移の能力を持つ魔法士ならそれくらいの距離は跳ぶだろう」


 魔器の性能が、イフリキアの作ったものならレフの想定する性能の限界を下回るはずがなかった。このときレフはまだ、母が転移の魔器を最後まで作りきる時間を持たなかったことを知らなかった。


「転移した魔法士の数は分かるか?」

「多分800人から1000人の間だな。遠かったのと時間が短かったから正確には分からない」

「それだけの人数で奇襲されたのか。司令部が壊滅するわけだ」

「その上、その奇襲に合わせて王国軍の本隊を攻撃した帝国兵の先鋒を、魔纏で強化した魔法士が勤めた」

「それもダナから聞いた。100人くらいの部隊だと言っていたが」

「ああ、それくらいの数だったな。魔纏を魔器で強化していたし、王国軍が浮き足立っていた所為もあるがやたらに強かった」

「司令部の奇襲も、その先鋒部隊も魔法士だろう?魔法士ってのは直接戦闘にはむかないんじゃなかったか?肉体的には余り頑丈でない奴が多いって話だが」

「鍛えたんだろうな。転移の素質を持った魔法士と魔纏の出来る魔法士を選抜して」


 特別に虚弱というわけでなければ、鍛えれば並の兵士くらいにはなるだろう。その上で魔纏をさせ、魔器で強化すればかなりの強さになる。その強化兵を集団で運用するわけだ。帝国の遣り方はいやらしい。


「転移の奇襲部隊が1個大隊、魔纏の強化部隊が1個中隊か。出てきたのはそれだけだがどれくらいの人数がいるのか、どう思うレフ?」

「王国人と帝国人で魔法の素質を持つ人間の割合が違うわけではない。だから王国人の中で今言った素質を持つ魔法士がどれくらいいるか調べれば、帝国にどれくらいそんな魔法士がいるか見当が付くと思うが」

「そうだな、確かにそうだ」

「エガリオの方からも情報提供するのか?

「ああ、輸送隊に手下てかの者を入れたことを話したら、分かったことがあったら教えろと言われている。情報通であることを宮廷内に示したいんだろう」


 エガリオの口ぶりからするとかなり高位の貴族にコネを持っているようだ。


「で、王宮の中はどうなってるんだ?あれだけ派手に負けたんだ、これからどうするか決まったのか?」


 エガリオはさらに深いため息をついた。






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